怖い顔8割
叱られ慣れている娘は、こちらが普通に話しかけているときでも、怒られていると捉えてしまう傾向にあります。
怒られていると思うから、言い訳をしたり、口答えしたり、なんだか険悪なムードになってしまいます。
先日も、ツムギはこう考えがちだから、こうするように気をつけましょうね。と言ったことが気に入らず、考えてないもん!の一点張り。
そんなに口を尖らせる話じゃないよ?と言うと、だってケイトが先に怒ったんじゃん!と言われてしまいました。
怒ってないよ?と言っても、だって怖い顔してたじゃん!と言うので、えー、これ普通の顔なんだけどー。と、少しガッカリして見せました。
じゃあさ、ツムギから見て私の顔、怖い顔のときと、可愛い顔のとき、それぞれ何割ぐらいなの?って聞いたら、怖いの8割、可愛いの2割と言われました。
少しじゃない。
ガッカリ
でも確かにその感じ、私がこの2年間を対ツムギにフォーカスして振り返ったときに、楽しくなかった時間と楽しかった時間の比率に近いと思うので、あながち間違った感覚ではないんだと納得しました。
世の中のお母さん、怖いけど大好きってお母さんと、怒ったことない優しいお母さん、どっちが多いんだろう。
叱り役が母親か父親かでも違うでしょうし、叱れない母親もいるでしょう。時代背景によっても異なるかもしれません。
怖さや優しさの程度や、割合だって、各家庭によって様々でしょうから、一概には言えないと思いますけれど、優しいお母さんでありたいと思う親側の気持ち、優しいお母さんがいいと思うこども側の気持ちは、どちらも普遍的なのではないかと思います。
ステップマザーの場合、叱り役を買って出てはいけないと言われています。
その忠告から見れば、私のやり方はNGだったのだと思います。
優しいおばさんみたいでいられたのは、新生活が始まってたった10日ほどでしかなかったので。
よく、継母は継子に意地悪をする怖い存在として描かれますが、私は実子がいたとしても、やっぱり怖いお母さんになったのではないかと思います。
私の母が、怒ると怖いけど大好きなお母さんだったので。
たらればを言っても意味がないことがわかっていながら、時々やっぱり考えてしまいます。
私のやり方は間違っていたのかな?
ステップマザーのくせに叱ったりして、ツムギの心にシコリを残してしまったんじゃないかな?
ツムギに対して、ずっと優しく笑顔で接していたら、関係性も変わっていたのかな?
人生にはいろいろなタイミングがあって、ちょっとの違いで人生は大きく変わってしまいます。
でも、タイムマシンに乗って、あの同じ日に戻ったとしても、人間関係は結局、同じような曲線を描くのではないかと思います。
だから、振り返って後悔することはあるけれど、自分を責めるのはやめようと思います。
私だって、がんばってきたもの。
2年前の今頃、新生活に向けて、不安より希望を持って楽しく忙しなく準備を進めていました。
この、春に向かう高揚感が、さらに特別なものに感じるようになりました。
笑顔の割合を少しずつ増やして、あの頃のケイト怖かったなぁ、と、いつしか過去形で話してもらえる日がくることを願って、3年目を迎えたいと思います。
怒る親に育てられると、人の顔色を伺う人に育ってしまうと言うけれど、本人目の前にして、8割怖いと言うんだもの。
そうは言っても、大して応えていないのでしょうね。
だって、私そんなに怖くないもの。
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