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言い続けること、言わずに見守ること、環境を整えること
この夏、ちょっとだけツムギ変わったと思わない?と、夫に言ってみたら、サッカーの合宿とか行ったから成長したんじゃない?と軽く返されました。
おいっ!その合宿だって私、お手伝い保護者として、三泊四日付き合って来たんだからな?
いろいろ工夫してくれてるからだね。とか、労いの言葉はないんかい!!
と、言いたくなったのはがまんしました。
自分の成果(と疑わず)を誉めて誉めて!と言うのは、あまり品がいいとは思えませんから。
それでも、なんとか私なりに、叱らない工夫、不機嫌にさせない工夫をしてきたつもりですし、実感として怒ることが減ったな。と思うと同時に、ツムギもまた、成長したかな?と感じさせてくれることが増えて来ました。
大きくわけると、三つの方法に落ち着いています。
それぞれに少しずつ成果が出て来てると思うので、エピソードを備忘録として。
【言い続けること】
先日、家族みんなで義母の誕生日祝いをすることになりました。
今年の夏休みにツムギは、8月の2週目と4週目を前の家(夫の実家)で過ごすことにしていたのですが、1回目に帰ったときには、一緒に住んでいたころと同じように、おばあちゃんと大喧嘩してしまったそうで、家まで送り届けてくれた際、義母は、助手席から残念そうな悲しい顔をしていました。
誕生日祝いの後はそのままツムギだけおばあちゃんたちと2回目のお泊まりに行くことになっていました。
今の家に戻っていたわずかな間に、私たちも大喧嘩をしました。
いつまでも同じことを繰り返す娘の向こうに、義母の悲しい顔が思い出されていたから、余計に私のスイッチが入りやすくなってしまっていたのだと思います。
大喧嘩の後、今度こそ、本気の反省をしたかな?と思える態度に変わったように感じました。
ツムギと共に家を追い出された夫が何を話したかわかりませんが、そこでの話が変わるきっかけとなったのであれば、それは夫の手柄だったのかも知れません。
本題はここからなのですが、その、義母の誕生日祝いの席で、こんなことがありました。
ツムギの右隣におばあちゃんが座っていたのですけれど、その先に置いてあった醤油に手を伸ばした際「前を失礼します」とツムギが声をかけたのです。
義母はすかさず言いました。
「え?ツムギ、今何て言ったの?おばあちゃんビックリしちゃったわ」と。
家の食卓で、私は娘の左隣を定位置にしています。
それは何度も何度も繰り返し注意してきたことでした。
ああ、伝わっていないと思っていたけれど、ちゃんと身についていたんだ。
私は嬉しく、誇らしい気持ちになりました。
躾が身につくプロセスを初めて体感したように思いました。
2回目のお泊まりでは、特に喧嘩をすることもなく、楽しく過ごせたようでした。
【言わずに見守ること】
「だってお父さんがしつこいんだもん!」
娘がよく言う言葉です。
夫は娘のグズグズががまんできないようで、確かにしつこい。
その姿は、何でも先回りして注意をしてきてしまった。と反省する義母によく似ています。
「一度声をかけたらほっとけばいいよ」
夫にはそう言うものの、めんどくさがりの娘を見ていると、私もイライラしてつい何度も言いたくなってしまいます。
「出かける前に水筒を洗ってね」
出かける支度もグズグズしていて、時間間に合うのかしら?と言う状況だったので、もう一回声をかけないと、午前中のサッカーで使った水筒は、結局そのまま置き去りにされるのだろうと思っていました。
もう一回言いたくなった言葉を飲み込みました。
すると、その後、娘はちゃんと水筒を洗いに来たのです。
その分自分の部屋の片付けは完了しなかったけれど。
余計なひと言を減らせたときの気分のよさときたら。
「今やろうと思っていたの!」は、言い訳ではなく、本当であるのかも知れません。
許せる限り、娘のペースに合わせることも、素直さを引き出すコツなのですね。
【環境を整えること】
娘とテレビの関係については、一緒に暮らし始めてからずっと向き合って来ている問題です。
テレビはその家庭によって考え方がまちまちですから、私のやり方を押し付けるのはよくないかもしれませんが、自身がテレビっ子でありながら、娘にはいい番組しか見てほしくないと言う夫の理不尽な要望を合わせ見ると、やっぱり『見る』と『見ない』のメリハリを付けることを、ウチのスタンダードにしたいと思うのです。
テレビを見たい気持ちもわかります。
私はどちらかと言うと、テレビやマンガを制限されて育った方なので、今でも同級生たちとの話題に入れないことがあります。
その寂しさもわかるので、闇雲に禁止をするつもりはありません。
エンドレスに見続けてしまうこと。
テレビに近い距離で見てしまうこと。
そのふたつについて、気をつけてほしいと思っているのです。
とは言え、留守番の多い我が家。
タイムリーに注意ができないので、習慣は悪い方に悪い方に流されてしまいます。
ホームカメラで時々チェックをして、遠隔でテレビを消す手段に出ました。
1時間半以上見続けていると気づいたとき。
食事をしながら姿勢を崩して見ているとき。
テレビに近付いて見ているとき。
見疲れていることに気づかず惰性で見ているとき。
最初は、少しやり方が強引かな?と思いました。
私が消すと、すぐにまた娘がつける。
8回も9回も繰り返すことがありましたが、絶対に負けない!とがんばりました。
娘が根負けしてテレビの前を離れるまで。
娘には、どんなときにテレビを消しているかは具体的には教えていません。
それでも、一定の基準を決めてブレずに繰り返すことによって、娘は、テレビが突然切れたときに、やっぱり消されたか。と言う反応を示すようになりました。
1・2回抵抗はしてみるものの、次の行動に出られるようになったのです。
おとなでも行動を切り替えるのは難しいのですから、小学生なら尚更です。
外にいても、そのキッカケを作ってあげられる仕組みは必要だなぁと思いました。
もっと顕著に効果があったのは、テレビ視聴用の座椅子でした。
今までも、家具のレイアウトを変えたりいろいろ試していましたが、どれもしっくり行かず、吸い寄せられるようにテレビに近づいて、もう、目がバカになっているのでは?と心配するほどでした。
昔の小さな画面が見えず近づくのとは違い、その距離では寧ろ拡大され過ぎて、全体など見えていないだろうと言う距離感なのですから。
どうやったら近づきたくなくなるか。
そこにフォーカスしていましたが、それはことごとく失敗しました。
どうやったら離れて見たくなるか。
その対策が座り心地のよい座椅子を設置することでした。
こんなに効果的なら、早く導入すればよかったと思いました。
今のところ、きちんと距離をとってテレビを見ています。
これが習慣化されれば、近づいて見ることによる目の負担に気づいてくれるようになるのではないかと期待しています。
叱って疲れてを繰り返していた去年の夏を思えば、自分の成長に驚かされます。
50歳の私に、いろいろな経験をさせてくれてありがとう。
50代を振り返ったとき、大変だったけど面白い人生だったなと、きっと懐かしめると思います。