思い出のない子育て
ここ二週間ほど、仕事で追い込まれています。
営業職なので、数字が出ていなければ、詰められるのは当たり前のこと。四月に大きく組織改正をした際に、家庭の事情を優先して、スタートダッシュが切れなかったのだから、その穴埋めのためにここで踏ん張らないわけにはいきません。
最近は、娘をひとりで留守番させる時間も長くなり、昨晩はとうとう、ご飯は自分でたいてね。納豆とオクラ(茹でてあった)とチーズでがまんしてね。明日はちゃんとご飯作るからごめんね。とメールをし、22時半ごろに父親が帰宅するまで家でひとりぼっちにさせてしまいました。
案の定、夫が帰ったときにはテレビにかじりついていて、宿題は途中までしかできていなかった模様。
おかずは指示通りに食べていたものの、ご飯は炊くだけ炊いて手付かずでした。
間もなく帰った私は、食卓で広げている宿題が終わるまで、何も口出しをせず本を読んで待ち、夫と洗濯物を干してから、一緒に食事をして寝ました。
朝、娘と夫の大喧嘩が聞こえてきました。
今日履きたかったジーンズのズボンが洗濯から返って来ていないから学校に着て行くものがない!と泣き叫ぶ娘。
途中から様子を見に行った私は、ごめんね。ここのところ仕事が忙しくて洗濯する時間がなかったの。昨日やっとお父さんが洗濯してくれたんだけど、ズボンはまだ乾いていないのよ。
謝っていたら涙が出てきて、娘の隣に泣き崩れてしまったのですが、娘の方を見上げると、まるで私など存在していないかのようにお父さんにわがままを言い続けており、スッと気持ちが冷めた私は、そのまま娘と夫を部屋に置いて、リビングに戻ったのでした。
遅刻ギリギリの時間までやり合って、なんとか娘は学校に行きました。
ジーンズのズボンと何が変わるのかもわからないような、チェックの長ズボンを履いて。
完全にうな垂れる夫。
どうしてこんな風に育っちゃったんだろう。
こんなに可愛かったんだぜ。
携帯に保存されていた娘の幼い頃の写真を選んでは見せてくれましたが、やめてくれ。と思いました。
どれも夫のお気に入りの写真だったので、以前に見せてもらったことがあるものがほとんどでしたし、そのときは私も可愛いと思っていました。
でも今は、そんな写真を見ても可愛いとは思えません。
そこが、実の親と決定的に違うのだと思います。
いや、もしかしたら、それぐらいの歳から一緒に暮らしていたら、その、可愛いかった幼少期時代の思い出を共有できていたのかもしれません。
たった一回、三歳児だった娘に会ったことがあって、そのときのふたりで写る姿が唯一私にとってそれに代わる写真です。
それでも、はじめまして。と挨拶したときに怪訝な顔をして私と目を合わせようとしなかった娘。
その表情は、今でもハッキリと脳裏に焼きついているのです。