親にできること
平日の夜開催でしたけれど、その日夫が休みであることは確認できていたので、思い切ってチケットを3枚購入することにしました。
私が好きな兄弟ピアニストのクリスマスコンサート。
定時より1時間早く仕事を終わらせ、待ち合わせの駅に向かうと、冷たい風を避け、壁の内側に二人で寄り添うように、夫と娘が待っていました。
教会で開かれたので、思いがけず、パイプオルガンの演奏を聴くこともできて、徐々に会場の雰囲気もいい感じに温まり、コンサートが幕を開けました。
私の勝手なイメージで、一曲目から会場と一体となるような、明るいクリスマスソングで始まるのかと思いきや、スタートの二曲はマイナーコードの大人クリスマス。
開演前から「眠い〜」と欠伸をしていた娘は、なんと、一曲目から舟を漕ぎ始めてしまったのでした。
えー。
ここのところいろいろと重なって、私たちも寝不足になっていましたから、わからないではないですけれど、興味ないにもほどがあると、連れてきた私はガッカリしてしまいました。
でも、せっかく楽しみにしていたコンサート。
気にするなよー、気にするなよー、と自分に言い聞かせ、もたれ掛かってきそうになる娘が完全に寝入ってしまわないように、そっと夫の方に身体を寄せて、娘との距離を取るようにしました。
曲が終わるとハッと頭を上げて拍手をして、また舟を漕ぐ。
それを何曲繰り返したでしょうか。
もう、今日の曲は一曲も聴かずに帰るのかと思い始めたころ、しばらく続けたうたた寝のおかげで、眠気が引いてきたようでした。
彼らの演奏も佳境に入り、これがピアノの演奏かと驚くようなアップテンポ音色に、会場のボルテージもどんどん上がります。
ノリノリで手拍子する夫と私ほどではありませんでしたが、いつしか娘も、曲に合わせて手拍子をしていました。
気づくと左の手のひらを鍵盤に見立て、右手で音を奏でている様子。
兄弟の連弾に交じって、自分も弾いている気になっていたのでしょう。
ああ、連れてきてよかった。
娘は娘のペースでちゃんと、このコンサートに参加してくれていたんだ。
頭がコクンコクンと揺れ始めたとき、注意をしなくてよかった。
確かに、その日までに寝不足になる要素はたくさんありましたから、改善の余地はあったことなのですが、注意をしたからと言って、無理に不機嫌なまま聴くものではありませんから。
時間が必要だったということ。
日常の成長の縮図だと思いました。
少しだけ目をつぶって黙って見守っていれば、最後は自ら鍵盤を叩くのです。
学校から帰って一度着替えた娘に、Switchを交換条件にワンピースを着て行くよう促した夫は、「ツムギに似合ってるよね」「こういう格好していると、上品に見えるよね」と何度も言いたくなるくらい、娘のお出かけスタイルが嬉しかったようでした。
2年前のちょうど同じ時期、劇団四季を観に行くために徹夜で仕上げたワンピース。
黒いビロードのような生地に白い丸襟のついたワンピースは、その時はブカブカでネグリジェのようでしたが、少し大人っぽくなったツムギに、よく似合っていました。
いいと思うものを用意して、あとは本人に委ねればいいんだな。
上質なものは自然と、五感を通して、こどもの脳を刺激するのだと思いました。
その、点のような刺激が、いつしか線となって、こどもの未来を作っていくんだと思いました。
自分から好きな情報だけを選び取っていく時代だからこそ、尚更、私たちにできることは、こういうことなのだと改めて感じました。