親の影響力
季節が巡って、私とツムギが家族になってから、もうすぐ一年が経とうとしています。
残業後の帰路でホームカメラを覗くと、娘がテーブルに突っ伏していました。
もしや?!
どうしても作りたい!と、2日前、平日の夜にもかかわらず作ったわらび餅の残りを、食べちゃうよ。とメールが来ていたので、一瞬、身体に異変でも起きたかとザワザワした気持ちになりましたが、冷静に考えたら、わらび餅が腐っているなんてことも、喉に詰まらせてしまったなんてこともないでしょうし、ひとまずミュートを解除して声をかけてみました。
案の定、娘は私の声に飛び起き、途中だった宿題の続きをやり始めたようでした。
すると次にはフツフツと怒りが込み上げ、録画で時間を遡ってみると、その日は4時間授業だったのか、13時半にはテレビをつけはじめ、それから3時間半テレビを見続けているのでした。
その様子は、もはや、休日のお父さん。
一年前には珍しさから(祖母からはテレビの視聴を制限されていたそうで)、コマーシャルまで微動だにせず食い入るように観ていた娘でしたが、今では疲れて惰性でダラダラ見しているのです。
タイマーセットしてあるテレビが17時で切れると、ムックリと起き上がり、宿題へ向かったのも数分、頬杖からずり落ちた頭は起き上がることなく私の声がする19時まで続いていました。
なんとだらしのない小学生。
このまま中学生、高校生と進んでいくのかと思うと先が思いやられます。
ああ、この子、残業や休日出勤を厭わないで働く私の元に来なければ、こんな怠惰な生活習慣を身につけることはなかったものを。
そう思うと、人ひとりの人間形成に、親の影響力の大きさを感じずにはいられません。
こんな嬉しいこともありました。
先月の公開授業は『10歳を祝う会』と称して、こどもたちがそれぞれに作った自分新聞を3分間で発表する形式で行われました。
新聞を書くにあたってのインタビューは当然実父である夫だけが答え、私に遠慮したのか(と言うよりは、そこが母親との違いかな?とも思うのですが)、側から見ていて、もっと当時の親の感情を話してあげればいいのに、と、思ったりしたのでした。
娘も娘で、箇条書きのように話す父親の言葉をそのまま箇条書きで新聞にするものですから、娘の話す幼い頃の私は、些か味気ない発表となりました。(これは後で夫自身も感じ後悔していた部分です)
それに対して、将来の夢や今興味があることなど、娘の言葉で書かれた記事は面白く仕上がっていました。
好き嫌いがはっきりしている娘なので、ほとんどのところは知っている内容だったのですけれど、ひとつだけ、ほう、と感心したことがありました。
ふだん、絵が上手ですごいでしょ?習字で賞を取ったことがあるんだすごいでしょ?わらび餅作ったよすごいでしょ?と、なんでも誉めてほしくて、こんなことできてすごいでしょ?と言っている娘なので、ここには当然、いつも言っている『すごいでしょ?』のいずれかが入るものと思っていたのに。
そしてその、『挑戦すること』こそ、初めての転校を含め、新しい生活をスタートさせたことを機に娘ががんばってきたことだったのです。
転校をさせることも、サッカーチームに入団することも、ひとりで自転車ででかけることや、友達といろいろな公園で遊ぶことなど、娘を心配して消極的だった夫に、大丈夫大丈夫!やらせたらいいよ。と言ったのは私でした。
ツムギの力量も知らないくせに。
責任も取れないくせに。
だけど、きっと彼女のためになる!と勧めてきたつもり。
それが彼女の自信となって、自らの口から出てくるほどになっていたとは!
良くも悪くも、影響を与えないはずがないのです。
ひとりのこどもを育てると言うことは、こう言うことなのだと、身をもって感じたのでした。
もちろん、私だけが影響力をもっているわけではないので、周りのおとなのさまざまな影響を受けながら、いいところを伸ばしてほしいと思います。