言葉をきちんと伝えるのは、とても難しいのかもしれない。
文章のタイトルというのは、文章の内容を正確に表していて、かつ、その文章に全く興味のない人が思わず読みたくなるような、センスに富んだものでなければなりません。僕がいつも文章を書いていて思うのは、それはどちらも非常に難しいということです。
例えば、今この文章を書きながら思うのが、冒頭のタイトルがつまらないなぁということです。さらに、あまり考えずに文字を連ねているからか、タイトルが今書いている内容を正確に表しているとも思えません。
タイトルは所詮タイトルなので、読み手がその意味を誤って認識しても問題にならないことが多いのですが、中身が正確に伝わらないと、それはかなり厄介な出来事を引き起こす可能性が高いです。
まず、文書を説明する手間が増えます。正確な文章を人に渡すことが出来れば、内容共有の時間は必要なくなります。しかし、(よくあるのが)主語や述語が正しくない文章、自分だけが分かるような用語を多用する文章、丁寧に説明せずに端折っている文章などなど、相手に意味が正確に伝わらなければ、相手の作業時間を奪ってしまいます。これはどんな仕事にも関わる問題であり、共有を短く正確に行うというのは非常に大事なことです。
特に、最近僕が気にしているのは「共有しすぎない」ということです。共有は、短ければ短いほど良いです。同じ意味を伝える際において、文章が短ければ短いほど、またインパクトのあるものであればあるほど、良い文章であることは言うまでもないです。
僕は、この「正確かつ短い」共有というのが苦手でして、文章を正確に伝えようとするあまり、冗長な文章になってしまうことが多いです。優しい人は「丁寧にありがとうございます」とお礼をくれるのですが、優しくない人は「こいつ文章なげぇわ」と思っているに違いありません。短く正確に伝えるのにはかなりセンスが必要であり、これが出来る人は本当に尊敬出来ます。
僕の周りでは、僕以上にこの類のコミュニケーションが苦手な人が多いです。むしろ周りと比べれば、僕は文書上のコミュニケーションがうまい方ですらあるかもしれません。このような人と一緒に仕事をすると僕が思うのは、「これどういう意味だろう」、「なんで分かりやすく書いてくれないのかな」「もう少し丁寧な言葉使えないのかな」、「なんで上から目線なんだろう」、「この人の成果物は信用できるのかな」といったことです。お分かりの通り、最初はコミュニケーションにフォーカスしていた視点が、いつの間にかそのひと自身への態度・評価に代わっていきます。
こういう書き方をすると僕が文書コミュニケーションに気を使いすぎな人間だと思われるかもしれませんが、実際に僕の周りでは弊害が起こっている場面を何度か目撃しています。単に正確な文章を短く、そして相手に丁寧に伝えるということが、どれだけ大事なことなのか、分かっていない人が多いです。
言葉にはその人の性格や仕事への向き合い方が色濃く映し出されます。合理的で仕事をスピーディに進めたいと考えている人は、正確で短い文章を書きますが、丁寧さが欠けているために信頼が得られません。また、一緒に仕事をする人は気持ちよく働けず、次第にその人への不満が募っていきます。
人に紹介するほどのことではありませんが、僕が最も重要だと考えている文書コミュニケーションの方法は、「ありがとうございます」から文章を始めることです。「ご対応いただき誠に有難うございました。」、「お忙しいところご確認いただいてありがとうございます。」、または単に「ありがとうございます。」など、ありがとうと言われて嫌な気分になる人はいないです。
自分がちょっとしたミスをしても、納期を先延ばしにしてほしいとお願いするときも、はたまた普段のコミュニケーションにおいても、ありがとうの蓄積力はすごいです。とりあえず「有難うございます」を連発しておけば、意識せずとも自分が丁寧な人間だと思われ、信頼がどんどん積みあがっていきます。
僕が見てきた中でこの人は信頼できるなという人は、決まってメールやSlack、LINEの文章が丁寧でした。逆に、一緒に仕事をしたくないなと思った人は、文章が雑に扱われていたり、自分の中でしか分からない概念を突き出してきたり、共有が疎かだったりする人が多かったです。つまり、仕事を行う上での専門的なスキルレベルや成果物のクオリティと、その人に対する信頼感の間には関係はあれど、コミュニケーションによる信頼感の蓄積を上回る力はないということです。
さて、言葉を正確に、短く、丁寧に伝えるということが難しいということを、本文章で盛大にフラグ回収しきったこの辺りで文章を終わりたいと思います。
思いついたことをふらっと書き留めていきます。