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言うことを聞かないと、鬼がくる
今日の夕方、スーパーに買い物に行った時、若い女性から叱られている男の子がいた。その子の年齢は四歳くらいだろうか。若い女性は、おそらく母親だろう。
母親は、言った。「鬼がくるよ!」
ようするに、言うことを聞かないと鬼がくる、というやつである。
「いやだ! い~や~だ!」
僕は、泣きじゃくる男の子の横を通りながら、肩身の狭い思いをした。人の言うことを聞かないのは、僕も同じだと感じたからだ。
調子がいい時、人の話に耳を傾けない。調子が悪い時も、ほぼ人の話に耳を傾けない。それが僕という人間だったりする。困ったものだ。
ある時、僕は師匠から「この人の話は、ちゃんと聴こう」という人を決めておくことが大事だよ、と教わった。僕にとって「この人」とは、僕の手綱を握る人ともいえる。
なぜ、師匠がそんなことを言ったのか。それは、僕の生き方が、暴れ馬と風船を足して割ったような感じだからだ。
自由人ともいえるけれど、そのような生き方は時として人生に大事件をもたらすことがある。
大人になると、人から忠告や指摘をしてもらえる機会は減る。だから僕は、自ら「この人」と思える人を選び、大事件を起こす前に、自分に向けられた言葉に耳を傾けようと思った。
それなのに、時々「この人」の話を聴けないことがある。いや、時々じゃないな。結構、頻繁かもしれない。その理由は単に、僕が素直じゃないからだと思う。
スーパーからの帰り道、僕は思った。僕の手綱を握ったまま語られる「この人」の話は、「鬼がくるよ!」と同義なのかもしれない。つまり、鬼予告だ。
ああ、僕は、あと何十匹の鬼予告を耳にしたら、素直に耳を傾けるのだろうか。そんなことを考えていたら、ふと、嫌な未来予想図が頭の中に浮かんだ。
絶望的な表情を浮かべながら「言うことを聞かないと、鬼がきた!」という記事を書いている自分の姿だった。
信号待ちをしながら、僕は思わず口走った。
「いやだ! い~や~だ!」