. 春は三寒四温なんて言葉があるように、あったかくなってさむくなっての繰り返しである。心は比較的落ち着いて生活できているものの、最近のわたしは寒暖差にやられている。暑ければ暑いでだれるし、寒いとブランケットにくるまってずっとずっと眠ってしまう。今は働いていないので誰にも迷惑をかけてはいないのだが、だらだら過ごしていると不思議と罪悪感がわいてきて、情けない気持ちになってしまう。 そんなある日、休職中のわたしは退職手続きのために職場に出向くこととなった。朝からため息ばかり、気温は
「もう11年も前なのね」 母が電話越しでつぶやいた声は悲しみも憎しみもなく、ただ懐かしむような声色だった。3.11、忘れないとか、復興とか、いろんな声がある。TVで見る被災者の声をどのような気持ちで聞いたらいいのかわからないまま、11年もたってしまった。 ・ 2011年の3月11日、私は中学1年生だった。吹奏楽部に所属しており、翌日が卒業式であり演奏を控えていた。生徒会や係によって着々と準備される体育館、体育館のセッティングが終わったら吹奏楽部が体育館を使用していいことにな
. 幼少期の記憶はあまりない。私はおてんばで外遊びが好きだった、が臆病であることは変わらず引っ込み思案でもあったように思う。 そんな私の幼少期の好きだったもの、それは眼鏡だ。大きな眼鏡をかけるだけでまるで別人のようになれる。両親や姉の視力が悪く、家族はみんな眼鏡をしていたのでうらやましかったのかもしれない。母の昔のド近眼の眼鏡をかけてはピースしてウインク、そんな決めポーズが多い幼少期だ。今なら言える。やめておけと。 小学生になっても私の眼鏡好きは止まらず、百円ショップで
note始めてみた、沢山あるカテゴリー、沢山投稿している人たち 改めて人と繋がることの難しさを感じている . みんなはどんな風に使用しているのだろう 伝えることがたくさんあるのが羨ましい . 自分のことを記しておく 子供の頃から絵を描くのが好きだった、クラスで1番、学校で1番うまいなんて言われて、将来は美術系に進むと決めていた しかしとある出来事がありあっさり断念 高校の時に担任に勧められ、リハビリの職に就くことに 上京して3年、鬱病を拗らせ、休職 . 自分にはきっと何かの才