音楽小説 - heart beat
人は毎日の生活の中で "ちょっとした出来事" に出会う その "ちょっとした出来事" を見つけるか どうかで そのあとの人生が 大きく左右される事がある
章 4
クレイジー・ジョー 2006年
Rolling Stones が 何回目かの来日をしていた2006年の春 ジョーから電話があった 「キースのマネージャーを知っているから 一緒に会いにいこう 通訳してほしいんだ」・・・
仕事中だった事もあって「ジョーさん勘弁してよ そんなこと出来るわけないじゃん 俺も結構忙しいし 無理だよ」って実に無碍に断ってしまった その時に ジョーが言った言葉「本当に無理なんだ・・・」っていう響きが 何故か頭から離れなくて 次の日にジョーのBarに 飲みに行った
ジョーは “ふっ ふっ やっぱり来たか” って感じの顔で微笑んでいた
まず 1杯引っ掛けてから「それで どうなの? どこまで信憑性があるんですか その話?」って恥ずかしかったけど 探るように聞いた
ジョーは「マネージャーのT氏はホテル “** 荘 ” に泊っているはずだから電話してみてくれよ」って笑いながら言う 「で 電話番号は?」って 訊くと「そんなの104で調べりゃ良いんだよ」って・・・ この人物はここまで何も準備しないで こんな大それた事をやろうとしてるんだって あらためてジョーが 1990年に 北海道から東京にやってきた時のエピソードを想い出していた
果たして そのホテルに電話を掛けて「T氏という人物は宿泊していますか?」と訊くと いともあっさりと「少々お待ち下さい」というオペレーターの声の後に呼び出し音が鳴りはじめて 「ハロー」って声がして外人が電話の向こうで答えた! 僕の心臓は半鐘を鳴らしたように激しく打ち始めた 「私はクレージー・ジョーの代理でかけています 失礼ですがジョーを知っていますか?」と聞くと「イエス」と ・・・ 「ジョーがキースのサインを貰いたいっていう事なんですが」 と言うと 「イエス イッツ ポッシブル」と来たもんだ
ちょっと何だか凄いことになってきた! それで 明日ホテルで会おうという事になった
あまりにも あっさりと事が運んでしまったので 僕は狐につままれたような気分だったけど ジョーは “なっ 言ったとおりだろ?” って顔で ほくそ笑んでいた
思ってもみなかった展開に僕は 180度 態度を急変させ ジョーの作戦に全面協力することに決めた
(どうでもいい事だけど 狐は一体どの足でどう人間をつまむのだろう?)
Beginning
この日の夜 僕は不整脈というものを生れて初めて経験した
僕の父親は57歳で急性心不全で亡くなっている 父親の早い死は僕にある種の 心臓トラウマを形成していた 何の理由がなくても 自分の脈をさわる癖が 何年間も身についていたのである
夜中にトイレに起きた それでいつものようにベッドに入る前に 何気なく脈に触れたら何かデタラメな脈だった もう一回触れてみる 凄いデタラメで 速いビート まるで Led Zeppelin の「Black Dog」みたいだった
大変な事が自分の身体に起こっているんだなー って考えたけど 不思議と落ち着いていた・・・
「あ~ 親父はこういう風に死んでいったのかも知れないな?」って自然に思っていた
自分では何の自覚症状も感じていないので 僕の不整脈は脈に触れなくては分からない
煙草に火をつけて とりあえずインターネットで検索してみた
これはどうやら「心房細動」という状態みたいだ という事が分かったが別に痛くも 苦しくもない・・ でもどうやらすぐに病院に行った方が良さそうだ 「場合によっては “脳梗塞” を起こすこともある」と書いてある
自分で車を運転して近くの救急病院に行って 状況を説明してすぐに薬をもらって ベッドに寝かされ点滴を打たれながら回復を待った
2時間くらい経ったけど “デタラメ脈” は相変わらず同じ 凄いビートだった
医者が 「このままの状況が続くと もっと危険な状態に移行する可能性がありますので別の方法をとった方が良いと思います」と言った “危険な状態” とは “脳梗塞” の事だろうと想像がついたが “別の方法” って何なんだろう? って考えながら・・ 「そうしてください」って言った まず 鎮静剤を点滴に入れてきた 何だかとっても気持ちよくなってきた
「これから行うのは 電気ショックを与えて心臓の働きを回復させる方法です」と医者・・
「それって 痛いんですか?」と 僕 「ハイ 結構痛いです というか 衝撃が走ると思いますよ・・ 500ジュールの電気をあなたの身体に流します ちなみに もし 心停止している場合には1500ジュール流します これはもう 身体がエビのようにのけ反ります」と医者 「ところで ジュールってどういう単位だったっけ?」と思ったけど そんなこと考えても仕方なかったので「で 僕はエビにはならないんですか?」と訊くと「はい 身体が反り返ったりはしませんよ」とか話しているうちに “バチーン” と500ジュールが僕の全身を奔った
電気ショックは全然痛くなかった それどころか何か身体にリセットをかけられたような すっきりした気分だった
自分で脈を触ってみたら普通のビートを刻んでいた
「何だか 前より元気になっちゃった!」ってジョーに 今朝起きたことを説明しながらその日の夜 T氏に逢うべく東京のホテルへと向かった ジョーは意外と優しい人物で 僕の体調を心配して何度も「大丈夫か?」 って訊いてくれていた 僕は「大丈夫 大丈夫!」って言っていたけれど これが実は 全然大丈夫ではなく 「心臓弁膜症」が関係したかなりやっかいな出来事であったとは この時は微塵も考えていなかった
今思うとこの日は これから起こる “いろんな事” の始まりの日だった
クレイジー・ジョーの「作戦」
ジョーは T氏と会う時 僕には背広とネクタイを着用してくるように指示していた 彼は “モヒカン頭に革ジャン” というロバート・デニーロの出来そこないみたいなイデタチだったので 一流ホテルのロビーにいたらボーイさんにつまみ出される可能性があるので “ジョーは芸術家で僕は彼のマネージャー” という設定って訳だ
さて ホテルに到着してロビーからマネージャーのT氏の部屋に電話を掛けると すぐに出て「今からロビーに行くよ」という事だった
ジョーはキースにサインして貰うために 汚いギターを持ってきていた
果たして 5分後にT氏が現れた! 彼はジョーを確認すると自分から握手を求めてきて 再会を本当に喜んでいた その光景を目の前で見ていて ジョーには申し訳ないが この時に “1990年の話 " は本当に “本当” だったんだと初めて思った
さぁ ここからはいよいよ僕の仕事である
22年間学んできた英語のちからを今こそ遣う時が本当に来たのだ!
インターミッション(ところで)
実を言うと 2006年の Rolling Stones の来日は僕にはあんまり興味のない出来事だった 初来日から毎回観に行っていたストーンズのコンサートだったけど 僕としては「今回はいいや」って感じでテンション低かったのである キースもジジイだし・・・
そんなある日 ふっと秋雪のことを想い出した
そういえば前回の来日の時 秋雪は最初のがんとの闘いの真最中で 凹んでいるときに Rolling Stones を観れて「本当に 元気がでた」って言っていたキースは大阪でのコンサートでは 阪神タイガースの ハチマキ を頭に巻いたりする人だから 大阪の人はさぞかし嬉しいんだろう ロック音楽とは 単なるエンターテインメントに留まらず ヘタな医術よりも薬になる事もあるんだな~って この時思った そんなストーンズを観に行かないというのはかなり “バチ当たり” な事ではないか そうだ!「秋雪の写真」を胸のポケットに入れて二人で観にいこう
そう決めて 取り敢えず 3月24日(金)のチケットを一枚手に入れていた
クレイジー・ジョーの「作戦」- 続き
マネージャーT氏に ジョーの通訳をする者ですと自己紹介して 今回の突然の訪問の非礼を詫びていると 伝えると いや大歓迎だという よし いい雰囲気だ
「彼のギターにキースのサインをしてもらいたいという事なんですが」と 訊くと あっさりと「アイ キャン ドゥ イット ナウ」と言う
ギターを渡して T氏がキースの部屋に向かおうとするとき 僕の頭の中でもうひとりの僕が問いかけてきた 「お前は欲しくないのか? キースのサイン・・ 何やってんだよ お願いしろよ バカ 一生に一度のチャンスだぞ !」って
でも何にサインしてもらおうか ???
そうだ 胸のポケットに入れてある「秋雪の写真」がいい そうしよう!
T氏の後を追って エレベーターに乗る前に言った 「すみません この写真にもサインもらえないでしょうか? 彼は僕の友達でキースの大ファンでしたが 最近亡くなってしまったんです」
T氏は快く写真を受け取ってくれた
しばらく待っているとT氏がギターと写真を持ってやってきた
ギターにはピック・ガードのところに油性マジックでサインがあり 「秋雪の写真」には「’06 Keith Richards」と書いてあった 数分前にこの写真に触ったんだよな あのキースが・・ って思いながら 頬ずりした
T氏はジョーと僕に3月22日(水)のコンサート・チケットをくれた そして “バックステージ・パス” という代物を渡しながらこう言った 「明日 このパスを使ってバックステージに俺を訪ねてこい もしかしたらキースに “ハロー” って言えるかもしれないぜ」ってにこって笑った・・・
ちょっと待て 話が違う・・ いや上手く運びすぎる 僕はキースのサインを貰えた事にただ ただ感激していただけだったので T氏の思ってもみなかった言葉に もうドキドキ興奮の連続だった 今から考えると これは本当は心臓によくない・・・
西暦2006年 3月22日 水曜日
この日 僕が働いていた会社は結構な騒ぎになった
もちろん 仕事なんか手に付くはずがない・・ 会社の女性達は皆「今日は5時ピッタリに会社出ていいですよ そのかわりキースに逢って写真撮ってきて下さいねー」とか簡単に言うので「そんな事起きる訳ねーだろっ」 と心のなかで毒づきながら キースへのプレゼントとしていつもなら絶対買わないような高い日本酒を購入した こういう時の気持ちって複雑かつ微妙で 色なら「赤」の積極的な自分 と 「青」の消極的な自分が同居して 考えの焦点が定まらなかった・・ だから カメラは持って行かなかった そういう期待感を持っていると “いい事” って起きないような気がする・・ 僕は 舞い上がっていて 矛盾のかたまりだった
そして 午後5時になった
東京ドームに向かう間 ずっと空に向かって心のなかで言い続けていた 「秋雪 今降りてこい 一緒にキースに逢おう!」って 僕のなかにある彼の骨が こういう状況に 運んでくれているような気がしてならなかった もし本当にキースに逢えたら あの “凄い夢” のあとの約束が果たせるんだ
ジョーと待ち合わせて バックステージの入口に行くと係員が「このパスでは入れません」と言う・・・ 後で考えれば当たり前のことだが こんな “パス” はコピーしようと思えば簡単に出来る だからこれは 招かれざる者の侵入を防ぐためのセキュリティーとしての係員のセリフなのだ 業界関係者とかこういうことに慣れている人達は “ある時間” になるまで待って 余裕をもって入場するのだろうが・・ “モヒカンの芸術家 と 背広のマネージャー” はその時 そんな事は知らない 僕は焦った キースに「ハロー」どころか このままではバックステージに入ることすら出来ないのだ・・・
ジョーは1990年にパスを使って バックステージに実際 “侵入” している訳だから「その時はどうだったのか どこからどうやって入ったのか?」 と当然尋ねる こっちは必死である すると 「う~ん 憶えてないんだよなー」とジョー・・・ 本当にこの人物の「作戦」は時に大胆かつ冷静で 時に不用意で怠惰である・・ 僕とジョーは まるで地周りの刑事とコソ泥棒が犯行現場を検証するかのごとく 東京ドームの周りを隅々まで視てまわった 1時間も経ったろうか もう会場時間は過ぎている 空からは雨もポツポツと落ちてきて だんだん暗い気分になってきた時 唐突にジョーが 「あっ 思い出した」と言った
16年前 ジョーは普通のチケットで一般入場口から入って ドーム内の係員に “パス” を見せてバックステージに “侵入” したというのだ この時点で すでに2人で東京ドームの回りを3周歩いていた
果たして 一般入場口に行って “パス” を係員に見せて これでバックステージに入れるのか? と訊くと いともあっさりと「はい」と答えた
これが警備会社が設定した “ある時間” なのだった(多分 いや絶対そうだ) もし 偽のパスで入ろうとしたなら 大体の人はこの時点であきらめているはずである ジョーと僕は実際にT氏からパスを手渡されていたので 何が何でもという確信があった もし ジョーがもっと早い時間にこの事を思い出していたら その時点では恐らく係員に断られて この「作戦」は失敗に終わっていたかも知れない・・・ 「人間万事塞翁が午」である
さて一般入場口からT氏にもらったチケットでドームに入ろうとすると 今度は入口係員が僕が持っていた “高い酒” を指さして「これは会場には持ち込めません」と言ってきた
東京ドームは酒類の持ち込みは禁止である事を僕はすっかり忘れていた・・ でっ
「これは日英親善の為に Rolling Stones 側から依頼されて持ってきた献上品なのです あなた 国際親善行為を妨害する気ですか? あなたの名前と会社の名前を教えなさい 今すぐに!」と 気がつくとまくし立てるように喋っていた
係員は青い顔をして「申し訳ありませんでした どうぞお入り下さい」と入場を許可してくれた もし本当に日英親善だったら こんな安いチケット(T氏のくれたチケットは2番目に安いものだった)で入るわけないではないか? バカ係員め しかし よくもまあ咄嗟にこんな嘘がベラベラ喋れるな~って自分に感心していた
ドーム内に入って後方の席からアリーナに至るまでには何ヶ所も柵があってそこには係員が立っているのだが そこで “パス” を見せると「はいどうぞ」って柵を開けてくれる 僕達はまるで水戸黄門の印籠のように“パス” を前方に翳しながらアリーナにたどり着き 設営されたでっかいステージの後方へと向かった
Rattle Snake Inn
ステージの真後ろのにあるドアをあけると そこには “ガラガラ蛇の酒場” と名付けられた仮設のBarがあった
ケータリングの料理と 高級ワイン や ウイスキー等 が用意されていた
その部屋は仮設とは思えないくらい まるで本当にお洒落なBarで 何故か凄い美人の日本人の女性がたっくさんいた
僕はもう 舞い上がってしまっていて・・ おそらく かなり高い赤ワインをガブ飲みしていた
鮎川誠がいる 山口富士夫がいる
何となく部屋の片隅に目をやると チャーリー・ワッツ が 立ったまま 鳥の唐揚げを食べている・・ 「チャッ チャーリーが何か食べてる!」
と小さな声で叫んだ
凄いなーと思ったのは 部屋にいる50人くらいの人間のなかで 誰一人として チャーリーにサインをねだったり 一緒に写真をとったりする人がいなかった事である
こんな夢のような空間でどれくらい時間を過ごしたのか思い出せないが 肝心のT氏がいくら待っていても現れないのだ もう開演時間の7時まで10分くらいしかない 僕はもうキースの事は諦めかけていた 「ジョーさん もう十分だよ キースにサイン貰って チャーリーをこんな近くで見れて・・ 本当にもう十分だよ 今回の事は本当にありがとうございました」って言って もう 涙ぐみそうだった ジョーは黙っていた
T氏
携帯電話の番号も何も知らないからT氏に連絡のとりようがない ただ待っているしかないとそれまでは思っていたのだけど ふとスタッフとおぼしき外人女性が部屋の入口に立っているのが目に入った 無線連絡機を持っている
その時咄嗟に思いついた 「T氏と連絡取れませんか? ここで待ち合わせしたんですが・・」
と話しかけてみた 彼女は僕にニコって微笑みながら「あなた 名前は?」と訊いてきたので「私の名前はスズキ・・ いや クレイジー ジョーです」と答えると 彼女 無線連絡機に向かって何か話し始めた そして「OK ウエイト ヒア」と言ってまた微笑んだ
そして 5分もしないうちにT氏が現れた
「今来たところか?」とT氏
「30分くらい前に来て飲んでました」と答える
「ここで もう少し待ってろ」とT氏は言うのだが もう開演時間を10分くらい過ぎている・・ 実際にキースに逢えるのはもう無理だろうと思い「これをキースに渡して欲しいのですが」と “高い酒” を差し出すと T氏は「ノー」と言って首を横に振った・・・
「あー やっぱりそうだろうなー そりゃ無理だよなー」と思っていると T氏は僕の目を見ながらこう言った
「お前がキースに直接渡すんだよ! もしそれが出来なかったら俺が渡してあげるから もう少しここで待ってろ」と言い残して何処かへ消えていった
得体の知れない戦慄が背中を奔った 「何かが起きる!」
すぐにT氏は戻ってきた 僕達にむかって「こっち来い」って手招きてる
ジョーが立ち上がる 僕がその後を追う 無線連絡機の彼女が僕の背中を “バシッ” って叩いて 「ハブ ア グッド タイム クレイジー ジョー!」って悪戯っぽく笑いながら言ってくれたので 「すみません僕じゃありません 彼がクレイジー ジョーなんです」って言いながら ジョーの背中を押した
章 5
神との邂逅 T氏の後をついて廊下を歩いた それが長い距離なのか 短い距離なのか理解が出来ない
逆回転で流した高速のオーケストラ音楽みたいなのが頭の中で鳴りまくっている
もう自分でものを考えていないみたいな感覚だった
廊下を右に曲がり T氏が部屋に入っていった 続いてジョーが その後を僕が追った
その部屋はラジャスタン風に染められた布で覆われていて ゆっくりしたレゲエ音楽が鳴っていた そして部屋の奥 ソファーにもたれかかって 煙草を燻らせた “神” がいた
何度も 何度も インタビュー映像を観て 喋り方を真似た
初めて「Jumpin' Jack Flash 」のイントロを聴いた時の興奮は今でも憶えてる
水玉模様のシャツが大好きになった
思い出と思い入れが交錯する・・ そして
目の前に 世界で一番逢いたいと思っていた人間がいる
キースは何と自分から立ち上がり 「Hi Crazy Joe , How are you ? How you’ve been ?」
と言いながらジョーに握手してきた 「アイム ファイン」と ジョー
その後2人でHugしてる 凄い光景だ!
T氏は僕を「彼は通訳だ」とキースに紹介してくれた
「Oh yeah . I need you man」と言いながら 何とこの僕にも握手して Hugしてくれた その後キースは彼の奥さんまで紹介してくれた (とても綺麗な人で手の感触がスベスベだった)
それから ジョーもやっぱりカメラを持ってきていなかった そこで 写メなんて撮ったことなかったけど ジョーに教わってキースとジョーの 写メを携帯で撮った
キースは左手を拳にして腰にあて 首を少し右に傾げて 右腕をジョーの右肩にもたれかけた よくロッキン・オンとかで見た キースがよくやるポーズだ
僕が初めて撮った写メの画像は手が震えてしまっていて かろうじて人間が2人写っているのが分かる程度のひどいものとなった それでも キースがサングラスをかけていて 頭に布を巻いていて 首にはスカーフを捲いて 黒いセーターに黒いズボンだった事は判別できる 目の前で見たキースは 全体的に細くて まるでルパンⅢ世みたいだった
今度はジョーが僕の携帯でキースと僕の写メを撮ってくれた キースは左腕を僕の左肩にかけてくれた・・ 嬉しかったのはキースが僕と同じくらいの身長だった事だ ただし キースは顔が小さい・・
撮影会が終わって 僕は "高い酒” をキースに献上した
目の前にいたキースはそういう事をすべて受け入れてくれるような優しさと大きさを持った人物だったのだろうと思う・・ 気が付いたら自然とこっちが “自然な” 反応をしてしまうような そういうオーラがあった 本当に 本当に心の大きな人間だった
この幸せな時間が何時までも続いて欲しいと思ったけど 物事には潮時というものがある
僕は最後の時間にキースに向かって自然と話しをしていた
「Thank you very much for your autograph on the picture yesterday.」 サングラスで眼が見えないけど キースが僕の方を見た
「That was a picture of my friend. And he passed away about a year ago ,
died because of cancer...」って言えた
キースは黙って腕組みしながら 僕の話を聞いている
「He really liked you. And the very last moment he was passing away , he was listening to your music …… 」
正しい文法ではなかったかも知れない・・・ でもそんな事はどうでもよかった
キースは少しの間 何かを考えていような様子で そして彼がよくやる首を上下に少し動かす確信めいた仕草でこう言った
「He is here man , He is here now !」
キースは右手で地面を何度も指さしながら 左手で僕の肩をポンポンと叩いてくれた
「夢は叶う」なんてありきたりな事は考えなかった ただ人間は 感激を遥かに越えてしまうと涙とか出ないものなんだなぁ と思った
ジョーと僕は 再びキースと握手して(僕はこうべを垂れながら両手でしっかりと・・)
そして彼の部屋を後にする時 振り返って見ると -
“神” はソファーにもたれながら「 One Love ! 」と言って手を振っていた
人生最良の日
廊下に出ると 今度はひょっこり ロニー・ウッド がこっちに向かって歩いてきた
何と ラッキーな日なんだろう今日は!
「Miss Judy’s Farm」のイントロの 彼のギターが僕は大好きだ
ロニーはストーンズも良いけど フェイセズの時の方が遥かにいい仕事をしていると思う
そのロニーがストーンズに参加して間もない頃 キースの家に遊びに行って 2人でギターを弾いていたら いつの間にか家の外を警察が取り囲んでいるという事があったらしい
ロニーが呆気にとられていると キースが両腕を広げながら「Welcome to the Rolling Stones !」と言ったという 嘘だか本当だか分からない話を聞いた事がある
T氏は ロニーに僕達を紹介した
ロニーは立ち止まってジョーに手を差し出して気さくに握手して ついでに僕にも握手してくれた ロニーが歩きだしてすれ違いざまに「フェイセズの頃からの大ファンです」って言ったら ロニーは振り返って「オー イェー」って笑顔で言ってくれた
ロニー・ウッドは本当に若々しかった
そして T氏は僕達をステージ裏に連れて行ってくれた
その時誰かがステージで演奏していた・・
この日のストーンズの公演は 日本では初めての前座バンドがあった事を 僕はその時初めて知った
そうか だから キースはジョーに会う時間を開演時間が過ぎていても割く事ができたんだ
演奏は本当にどうでもいいような 名前も知らない前座のクソバンドだったけれど 「ありがとうクソバンド あなた達のおかげで僕はキースに逢えました」とステージ裏から彼らに 心の中で礼を言った
T氏は キース と ロニー が使うギターを紹介してくれた
キースのギター・コレクションは フェンダー テレキャスター、ストラトキャスター、ギブソン 335、レスポール・ジュニアTVモデル - もう何度も何度も写真や映像でキースが弾く姿を観てきた道具達である この日のT氏は考えられないくらい親切で キースが使うアンプ(フェンダー???)にも触れる事が出来た
再びBarに戻り ストーンズのコンサートが始まるまで 飲んでいた
世の中にこんな幸せな時間ってあるんだなぁ~ 本当にワインが美味い
暫くすると T氏が ボビー・キーズを連れてやってきた あの有名なストーンズのサックス・プレイヤー 「Brown Sugar」でラッパを吹いた人物だ それだけではない キースのバンド「Expensive Winos」 も キースとロンの「New Barbarians」も Chuck Berryの「Hail Hail Rock’n Roll」も彼がラッパを吹いていたのだ 本当に凄い人物なのだ
T氏はわざわざコンサートの開演前に ボビー・キーズを紹介しにきてくれたのだ それなのにだ・・ 僕はボビー・キーズと握手させてもらった時 事もあろうか 彼に向かって「アイ ライク ユア ピアノ」と言ってしまっていた これは もう無礼を通りこして 最悪の事態である ボビーは明らかに “ムッ” としていた・・・
僕が今回の「作戦」で唯一犯したミステイクである
まあ 言っちゃったんだからしょうがない・・ 多分もう二度と会うこともないだろうし
ローリング・ストーンズのコンサートが始まった
僕達はT氏に貰った “2番目に安い席” でショーを観ていた
この時の感覚ってどう説明したら良いのだろう? 1時間くらい前に “世界で一番逢いたい人” と会話をした後 その人が5cmくらいの大きさで目の前で演奏している・・・
もう曲とか音とかどうでも良かった・・ というか 頭に入ってこなかった
そして只 ボーっと5cm のキースを観ているうちに 多分 夢みたいな時間から現実に戻ってきたのだろう・・ 自然と涙が出てきて もう止まらなくなってしまった
隣にジョーがいるので 恥ずかしいから席を立ってトイレに行って30分くらい独りで泣いていた
夢の跡
信じられないような出来事があったあくる日 また信じられない事があった
前日に何度も携帯の画面で見ては 独りほくそ笑んでいた “キースが僕の肩に腕をかけてくれている写メ” が無くなっているのである
僕は それまで携帯の写メとか使った事なかったので 多分そういう事に詳しい人なら見つけてくれるだろうと思って 会社の女性に見てもらったのだけど 本当にどこにも無いらしいのだ・・ 途方に暮れるとはこういう事を言うのだろう・・ ただでさえ悔しいのに会社の女性はでっかい声で「何やってんですかー スズキさん・・ どうせまた酔っ払ってデータ消しちゃたんでしょう?」とかぬかしやがった 腹がたったけど 多分その通りだ
ただ ただ 自分が情けなかった
もう キースと僕が逢ったという証拠はこの世に存在しないのだ・・・
「まぁいいや あの絵は 僕の記憶の中には存在するんだから それでいいや!」って無理やり自分に言い聞かせる事ができるまでまる1日かかった
僕の昔からの友人に 今回のいろんな事の顛末を話すと「お前 そのうち死ぬぞ」と笑いながら言った 人生の幸運を使い過ぎたって訳だ 僕だってもしこんな話を友達から聞かされたら「お前もう死んでもいいだろ」とか言うかも知れない・・・
今考えると「キース作戦」で僕の心臓は何度も無理したはずだし 初めての不整脈と “いろんな事の始まり” が同じ日だった事だって 彼の言った事はあながち荒唐無稽の言葉でもなかったんだと思う
ある日 東京に来ていた 学友K と久々に再会して 一杯やり 「キースのサイン が描かれた秋雪の写真」を見せながら 一連の “出来事” を話した 僕が “写メ” をなくしてしまった くだりに来たときに 学友K はこう言った
「それは きっと秋雪が持ってったんやろ お前が持ってるより そっちの 方がええ」
そうか キースは「彼は今ここにいる!」って言ってくれたのだから キースと僕の後ろには きっと秋雪が満面の笑顔で写っていたんだろう 僕は何度もその絵を見ていたけれど きっと酔っ払っていてその事に気付かなかったんだろう・・・
そう思う事にした 学友K はたまに うがった事を言う
何とも素敵な解釈だ !
秋雪 と キース と 僕 がひとつのフレームに納まっている絵
それは 彼こそが持っているべきものだ
僕は キースが サインを遺してくれた「秋雪の写真」も 彼に持っていてもらおうと決めた
後日 お姉さんにお願いして 仏壇の隅に置いてもらった
信じられない夢のような日々だった
44歳の僕は - 夏休みのよく晴れた日に ランニングと半ズボンを着て 虫網を片手に 野原を走り回っていた頃の 自分に戻っていた
初めて見るものに対する 興奮 と 感動 何より純粋 だった
章 6
僕 2006年 春 ストーンズ騒動 が落ち着いてきて 会社の仕事も真面目にするようになった 4月の中頃 また「心房細動」を起こした 夜中に目をさますと 自覚症状はないのだけど 例によって脈に触れると「Black Dog」だ
未だ昨晩の酒が残っていたので 生まれて初めて救急車を呼んだ 救急病院の処置で不整脈は治まったが この時はさすがに 一度心臓の専門病院を受診した方が良いと考えた 直観的にこれは僕の父親方の家系の遺伝だなーって思ってた 運のいいことに僕の家からそんなに遠くないところに 全国的に有名な心臓専門病院があった インターネットで調べて 予約を取って受診した
さて 結果はやはり良いものでは無かった 心臓エコー検査によると僕の心臓の僧帽弁がずれていて 血液の逆流がかなりあるらしい・・・ カラー・ドップラーという検査方法があり 心臓内に血液の逆流があるとドップラー効果を利用して 流れる血液の速度の違いを超音波で測って 色の違いで画面に表示する エコー検査なので何の痛みも身体への影響もなくてかなり正確な診断の出来る優れた検査だ でも この検査はリアルタイムで画面を見ることが出来るので 僕も首をすこし傾げれば画像が見える 僕の心臓の中は赤色と青色が綺麗にまざっていた (これが心臓内の血液の逆流を意味するという事を その時は知らなかった・・) 検査技師は何か表情を曇らせたかと思うと 部屋をでて行って 医師を連れてきた 彼らは何か深刻な表情でヒソヒソ話をしている あれは 本当に感じが悪い 「あ~ ここかァ」とか しかめっ面で言うのだ・・ 僕は これまで会社とかの健康診断で心臓の異常を指摘された事はなかったので ショックだったけれど やっぱり専門病院に来て良かったと思った
「スズキさん 結構ずれてますよあなたの弁 手術した方が良いですね」 あっさりと医者は言った
やだ 何か痛そうだから とりあえず嫌だ
仕事だって忙しいし(?) そんなことすぐには決められない
医者と相談して「とりあえず “抗不整脈薬” を飲みながら2週間おきに心臓をモニターしましょうという」ということになった
それから数カ月後 経過を観察してきた結果どうやら緊急性はなさそうなので 僕の仕事上の都合のよいタイミングで手術をすれば良いという事になった でも いつかはやらなくてはならないらしい 僕の心臓弁膜症は自然に治る事は無い 手術が必須なんだ
自分の事
自分の事ってなかなか分からないと思う 分かるって言う人は “わかっている” と信じているだけだ 他人が自分をどう思っているか なんていつも考えていたら それこそイロノーゼになっちゃうから止めた方がいいけど 知らないうちに考えているってくらいだったらいい事 だと思う だから いつもちょっとだけ 自分が 外からどういう風に見えているかって 考えて生きていることが大切だと思う
キース騒動の2006年春から2007年末までのあいだに 僕の内面には たくさんの変化があったと思う
いろんな事があった
2006年春に会社が売却に出された
同じ頃 何年か久しく恋をした
そして心臓の専門病院で 手術適応レベルの心臓弁膜症だと診断された
僕の心は同じところに留まっていることが出来ずに 右往左往していた
ダメな自分をコントロール出来ずに 自暴自棄だった時もあった
でもそんな時にいつだって 僕の周りにいる 心ある人達が僕の両方の肩を 流されまいと抑えてくれていたんだと思う
そういうことに気づく度に 僕は変わっていった 僕は変わるのに時間のかかる人間みたい だけど変わると そこに留まっていることが出来るようになる
秋雪をはじめ 僕は周りにいてくれる人達に恵まれていたと思う
この2年くらいの間に僕は自分という人間を 信じることが出来るようになった
いや 「以前よりも出来るようになった」と言ったほうがいいだろう
せっかく生きているのだから自分の事を信じてあげるべきだ
でなきゃ 自分が可哀そうだ
「立ち止まって 考えて また歩き始める」 多分僕はこの繰り返しだろう
逡巡
2007年11月に会社を辞める事にした 競売に懸けられた挙句「僕の愛する仕事」を買った会社は 想像を絶する下品かつ頭の悪い 低能な連中の集団だったからだ
僕は立川談志が大好きで 彼の言った言葉に「馬鹿と隣の火事ほど怖いものは無い」というのがある 何故か?
うつるからである 隣の火事は燃えうつる 馬鹿は感染するんだ
馬鹿な環境に慣れてしまうと(我慢してしまうと)人間は自分がゆっくりと馬鹿という病気に感染している事に気付かずに 最後には立派な馬鹿ものになっていくのだ
僕は立派な馬鹿ものに感染する前に会社を辞める必要があった そうしないと 自分の愛する仕事を自分で壊すハメになる事が分かったからだ
されど 次の仕事のあては無い 「今 このタイミングで手術をやってしまおうか」と自然に考えていた
“神だのみ” みたいな気持で秋雪の墓参りに行った 秋雪の墓は神戸の海が見える 紅葉に包まれた高い山の上にあった
彼は今この世にいないけど 手術を克服するちからは僕の知っている人間の中で最強だ 「頼む 俺にちからをかしてくれ」って 心の中で言いながら両手を合わせて墓前に線香をあげた
その晩は秋雪のお姉さんと久しぶりに会った
今現在の僕の状況を説明すると お姉さんは僕が手術する事に反対だと言ってくれた・・・ 「今 緊急性がないのだったら自分の身体にわざわざメスを入れる事はない」「いつか近い将来 画期的な治療法が開発されるかも知れない」 「その時を待って判断するべきだ」
歯が痛くないのに歯医者に行くやつは多分いないだろう・・・
お姉さんとの話で僕はこの日 「直近には手術しない方針」に決めた 一日で気が変わった やっぱり痛いのはいやだし・・・
それからお姉さんは 「仕事辞めてどうせヒマなんだから 国会図書館に通って 医大が発表している “心臓弁膜症” に関する最新の論文を全部読みなさい」 と 凄まじい任務を僕に課した この時 お姉さんは秋雪の 対病気における強力な「作戦参謀」だった事をあらためて思い出していた
さすがに 霞が関まで行ってそんな難しい事は出来なかったけれど もともと ビビリの僕は千葉県松戸市にある 心臓カテーテル治療で全国的に有名な病院にセカンド・オピニオンを求めて受診した 何のセカンド・オピニオンか? 手術前に行われる “心臓カテーテル検査” に対するものである 「検査に対するセカンド・オピニオンを聞く人も珍しい」と言いながら その医者も手術を勧めた
もう 訳が分からなくなった
それで 取りあえず心カテ検査だけはやることにした この検査で 僕の現在の心臓の状態をより正確に知ることが出来る
心臓カテーテル検査
「カテーテルとは医療で用いる管のことで 心臓カテーテル検査は脚の付け根や 手首や 肘から心臓まで管を入れる検査で 心臓の内圧を測ったり 心臓内の心電図を記録したり 先端から薬(造影剤)を流してレントゲンの映画を撮ったりする」ことらしい
インターネットで調べた
動脈と静脈に管を入れて 心臓まで到達させてそこに造影剤を入れたりするのだ
しかも局部麻酔だけだから 意識はあるんだ 何か考えただけで気味悪い
心臓って “もの” が触れたら痛くないんだろうか? 低い確率ではあるものの死亡する場合もあるという・・・ 例の「死んでもしらないよ」の誓約書を書かされた
12月中旬に検査入院をした この時点で僕はよほど悪い検査結果がでないかぎり 直近の手術はしないと考えていた
検査入院は4人部屋の病室で 僕以外の3人はその日に心カテ検査を終えた人達で 皆親切で「カテーテルなんて痛くも何ともないよ」って言ってくれた 彼らは皆 明日退院する・・ 僕の 心カテは明日行われる・・ という事は 明日の夜は僕だけが心カテの経験者で また新たに3人の無垢な患者たちが来たら「心カテってすご~く痛いんですよ」ってさぞかし凄い顔しながら言ってやろうかと ひそかに思っていたのだけど 実際にはそうはならなかった
ストレッチャーに横たえられ 腕に麻酔を打たれて カテーテルを挿入する 確かに痛いのは最初の太い管が入る時だけであとはどうって事ない
「はい 今から造影剤入れますよ 少し背中が温かくなりますけど大丈夫ですからね」
と 後頭部から背中をつたって温かいものが流れていくのが分かる そして最後にコンチが温かくなって終わる 「おい **君、そこの映像撮らなきゃダメだろっ」
「スズキさん すみませんもう一回注入しますねー」 どうやら失敗したらしい・・・
2度目の造影剤の料金はタダなんだろうか? それとも僕の負担になるのだろうか? と こういう時に こういう事を考えている自分に感心していた そして コンチは合計で2回温かくなった
検査の結果をA先生が教えてくれた A先生はもう2年間お世話になっている 循環器科(内科)の医師で 口は悪いがいい腕だ 彼の処方してくれた薬がうまく効いてくれたのでここ2年間は心房細動は起こしていなかった
「いや~ スズキさん凄いですよもう ビュンビュン逆流してましたよ 逆流レベル3 完全な手術適応状態ですねー いつやりましょうか?」 ってニコニコ笑いながらA先生は言った 僕は「この残酷医師め」と心の中で罵っていた
恐る恐る 「いや 先生あの もうちょっと時間が・・ というかセカンド・オピニオンとかも聞いてみたいし・・ あの その・・・」と口に出すと A先生は今までに見たことないような真剣な顔でこう言った 「あなたの心臓はいつかは手術しなくてはいけない状態です 確かに緊急性はありません しかし 今の健康状態で手術をすれば完璧な結果を出せますよ」心臓弁膜症の手術の結果は手術する時の心臓の状態が一番影響する この日の心カテ検査では 僕の弁は完全にずれて血液の逆流はあるけれど 狭心症の原因となるような心臓の血管の状態など 他の要素は全て健康だという事だった
僕はまた迷った
秋雪のお姉さんの言う事もA先生の言う事も両方 実に論理的かつ正解だと思う
A先生は「あなたの身体ですからね~ どうぞ自分で判断なさい ただ 医師として責任を持って言いますよ 今手術すればかなり高い確率でいい結果が出せます」
で 先生と話合いの結果 1ヵ月間を置いて 来年正月明けに方針を決めましょうということになった
弁膜症のカテーテル検査(僕の場合は 肘から入れた)は動脈に穴を開けるので 検査後かなり長い時間 止血帯で肘を固定される これが また痛いのだ・・ そんなに締め付ける事ないじゃんっ てくらいきつく締めるからもう右手が冷たくなっちゃって 痺れるは痛いはで・・ 少し圧力を弛めてもらって痛み止めの薬を飲んだら落ち着いてきた 腕を押えながら ヒマなので病棟の談話室に行くと ある患者さんがニコニコ笑いながら「心カテ検査ですね? それ結構痛いんですよねー」って 僕の止血帯を指しながら話しかけてきた
お互いに挨拶をして歳を訊くと彼は35歳だという 僕より11歳若い 彼と僕だけがこの病棟では若造だ
「彼も検査かな? 若い年で大変だな」とか思いながら 「どこがいけないんですか?」って聞くと「弁膜症です 僧帽弁の閉鎖不全症です」って言うので「えっ僕も同じです・・ で手術やるんですかっ?」と尋ねると 10日前に手術をして明日退院だという
本当に驚いた! とても心臓手術後10日の人間には見えない この人のこの元気なオーラというか そういう目に見えないエネルギーみたいのが ビシビシとこっちに伝わってくるのは 一体何なんだろう??
僕は 気が付いたら今の自分の状況と今まで調べた弁膜症に関する知識を 堰を切ったように彼に話していた
彼も心臓病のことは良く調べて知っていて お互いに意見交換みたいな感じで数時間話した 忘れられない言葉がある
「100% の手術をしてもらって この病院には本当に感謝しています セカンド・オピニオンなんて必要ありませんよ 絶対ここで手術するべきですよ!」
って目を輝かせながら言いきった 初めて会ったばかりなのに・・・
彼とはもう逢うこともないかも知れないけど 多分こういうのを縁(えにし)とか言うんだろうな
まぁ 彼の言葉は頭の片隅にしまって とりあえず1ヵ月間じっくり考えることにした
西表島
世間がやたらと忙しい師走に 無職で えらいことヒマなので西表島に行くことにした
「サウスバウンド」という奥田英朗の小説が最近読んだ本のなかで ダントツで好きだった
「サウスバウンド」に 主人公の “元過激派” 上原一郎が西表島で不本意にも警察を相手に大暴れする場面がある 彼がその時に自分の息子 二郎に向っていうセリフがある 「おまえはおとうさんを見習わなくていい おまえの考えで生きていけばいい おとうさんの中にはな 自分でもどうしようもない腹の虫がいるんだ それに従わないと 自分が自分じゃなくなる 要するに馬鹿なんだ」- この台詞が大好きだ!
僕は上原一郎みたいな大物じゃないけど 僕にも “どうしようもない腹の虫” がいる
前に僕は “変わった” と書いたが それは “学んだ” と言った方が意味として合っている 腹の虫というのは自分の “芯” というか “核” というか 性分みたいなもので もうそういう風にしか生きられないので 変えようにもかえれないところだ
フンコロガシに「何でお前は糞なんかころがしているんだ?」と訊いても多分答えられないだろう それと同じだ この性分のせいで僕は何回も転職してきた 今回の退職だって 我慢すれば居座り続ける事は難しくなかったのかも知れない・・ でもやっぱり無理だった
じゃァ僕の人生はずっと転職の繰り返しになるのか? それもいけないな もう歳だ
僕はフンコロガシだけど 決して身勝手でわがままな人間ではない
今度就く仕事こそはしっかりと勤めあげたい・・ だから慎重にならざるを得ない・・ それには身体も健康な方が良いだろう・・ 時間はあるけど無限にはない・・ 僕は落ち着きながらも 焦る必要があった この島で結論を出そう そうしよう
西表は本で読んだ通りの大自然の宝庫だった 見たこともないような透明な海 マングローブの生茂る川に豊富な水を叩き落とす滝 濃緑のジャングル・・ どこに行っても人間がほとんどいない ひとりでものを考えるのにはいい場所だった
バイクを借りて島の海沿いの道路をカッ飛ばした 疾走する原付50cc 25年ぶりに運転するバイク 冬なのに海風が気持ちいい
お姉さんの言葉、A先生の言葉、35歳の彼の言葉が 通過していく南島の景色と共に頭の中でぐるぐると混ざっていった
論理、統計、医療技術、感情、エネルギー そして 勘・・ またしても逡巡・・・
結局どうしたら良いのか分からなくなった
夕暮れに 宿の庭にある高床式の板小屋みたいなとこで あぐらをかいて しま(泡盛)を飲みながら遠くの 暗い雲をぼんやり眺めていた 「明日は雨かな」と ひとりごちてから考えた 黒澤映画「用心棒」の桑畑三十郎みたいに “棒きれ” を投げて これからどっちに行くか決めよう 右ならすぐ手術 左なら仕事を探して 暫くの間は手術しない
上に向かって投げた “棒きれ” はものの見事に 真っ直ぐ 右を指した
「よしっ 決まり 帰ったら手術!」 自分のちからを信じることにしよう
心臓血管外科
A先生に手術することに決めましたと伝えると すぐに外科への引継手続きを取ってくれた 今までは循環器科(内科)そしてこれからは心臓血管外科に診てもらう事になる 2年間お世話になったA先生からは今日で卒業だ 素直に「今まで 本当にありがとうございました」と言って 頭を下げた A先生はニコニコ笑いながら「ねっ やっちゃいましょっ」と女の子みたいな言い方をした
外科のI先生は全国的に有名な医師で 「最強ドクター」と言われている心臓外科医の一人だ もちろん顔だって本で見て知っていた そんな先生が初めての面談で「外科医のIと申します よろしくお願いします」と向こうから席を立って 頭を垂れられた時は「なんて 低姿勢なお医者さんなんだろう」と思ったけど それからお互い眼が合った時 頭の中にピンと来るものがあった 「この人なら命預けて大丈夫だ」
「あなたの手術はですね まず胸部を切開してから胸骨を切断します その状態で切断された胸骨を器具を使って拡げます そして心嚢という心臓を包んでいる膜を切開してから 実際の心臓が現れた時点で人工心肺装置を使って 一定時間あなたの心肺機能を外部の機械に任せます その間心臓と肺を停止します それから ほらここ ここの僧帽弁という部分を修復するわけです」とまあ 事前に調べて知ってはいたけど 心臓の模型を使ってこうも気持ちの悪いことを 淡々と説明しなくてもいいんじゃないか? と思った
僕は自然と言っていた「手術に関することはだいたい理解しています で ひとつだけお願いがあります 僕の手術 先生がやって下さい」
I医師は「もちろんですよ」って笑顔で応えてくれた
そして手術の日程が決まった - 2月14日 聖バレンタインデーだ
今思えば I先生は最高のハートを僕にプレゼントしてくれた
退院
良い天気 病室の広い窓いっぱいに相模湾が見える 後ろには雄大な富士山が静かに佇んでいる
手術後 やたらと早起きになってしまった僕は毎朝5時には起きていた
暗い空からゆっくりと その威厳のある姿を朝日に晒しはじめる時間の富士山を眺めながら 毎朝iPodで Keith Jarrett の「THE KOLN CONCERT」を聴いていた
富士山は毎日違って見える ある時は雨の日でもはっきり見え ある時は晴れの日でもぼやけて見えたりする 色も違う - 朱色、藍色、墨色 ・・ 日本の美しさ
明け方の富士山と Keith Jarrett - これがもう圧巻だった “神々しく” さえあった
ある日なんて「あー 生きてて良かった」とか思って涙ぐんでしまった 病院生活はヒマなので ちっとした事でも涙もろくなる年寄りみたいで実に良くない・・・
さて 毎日見慣れた景色とも今日でお別れ・・ ようやく退院の日をむかえる事ができた
たった2週間の入院だったけど いろんな思い出が頭をよぎる
ICUで手術のあった日の夜中(多分2時頃) 心臓が突然凄いスピードで揺れ出した まるで地震みたいだ その振動で目が覚める程だった 看護婦さんがすっ飛んでやってきてすぐ若手のH先生を連れてきてくれた「あー 今頃来たか」って落ち着いた口調で何かの薬を点滴に追加したら すぐに揺れは治まった その落ち着いた口調が僕を本当に安心させてくれた H先生は僕の手術の日 夜中も傍にいてくれて不測の事態に備えてくれていたんだ 彼は日曜日も何の検査がなくても「スズキさん 調子好いですか?」なんて来てくれる・・ 「先生ここに住んでるんですか?」ってよっぽど訊こうかと思った
S先生はI先生チームの中でも 相当ベテランの外科医だ そんな彼が 僕の手術後初めての心臓エコー検査(これは 術後の心臓の状態を診るのに非常に重要な検査だった)
の結果をわざわざ病室まで来て「スズキさん 良かったね! 逆流ピッタリ無くなってたよ」
まるで自分の事みたいに喜んで教えてくれた時は その先生の表情の方が 検査の結果より嬉しかった
I先生の心臓血管外科チームは 毎日全員で朝の9時前に手術した患者一人一人に 「**さん 調子はどうですか?」 と声をかけに来てくれる
この日はベッドから起きて 椅子に座って病室の正面に向かって姿勢を正して先生達が来るのを待っていた 「スズキさんは 今日退院だね」 I先生はそれだけ言って踵を返した
その後ろ姿達に向かって 「皆さん 本当にありがとうございました」って自然とこうべを垂れていた
「先生と呼ばれる程の馬鹿じゃなし」 という面白い表現が日本語にはある
“先生” と呼ばれる仕事 - 医者、教師、政治家 等 こういう職業はやりようによって “クソったれ” から “聖人のような人物” にまでなることができる I先生のような優れた “職人技” を見て盗むのは決して容易な事ではないはずだ 地味な存在でありながら 朝から夜中まで働き続けて 患者の命をまもりながら 経験者の技術を学ぶという仕事は 本当に尊敬に値する 頭が下がる思いがする 口はばったい言い方だけど 今回の手術を経験して 僕は人の役に立つ仕事をしたいなと思った たとえ彼等の百分の一くらいでもいいから・・ ちっとは人から必要とされる仕事をしたい
心臓手術はまさにチームワークで行われる 何人ものプロフェッショナル達が僕の心臓病を力を合わせて治してくれた 彼らの誰一人が欠けてもこの仕事は成り立たない
口の悪い循環器科のA先生 、 心優しき手品師-麻酔科の先生 、「最強ドクター」I先生が率いる心臓血管外科チーム - S先生・H先生 、無神経なICUの看護婦さん 、 冷酷な一般病棟の看護婦さん 、薬剤師さん 、リハビリ指導の先生 、検査技師の方々
あなた方の立派な仕事のおかげで僕はどうやら元気な人間になれました
35歳の彼が僕に言った言葉の意味が今ははっきりと理解できる 彼もあの日 感激していたんだろうな多分 自分の元気さを誰かに伝えたかった いや伝えなければいけないと思ったのかも知れない
もし僕が自分の退院の前夜に 去年の迷っていた僕に逢ったなら 「お前 手術やれよっ!」って両方の肩を掴んで言うだろうな ニコニコ笑いながら
いくつになっても必要とされる人間っていいな そういう人間になりたいな
少しでも人を元気にする事のできる人間になりたい
キース・リチャーズは世界中で一体 何千万人の人間を “元気” にしているんだろう?
せっかく生きているんだから 自分の事をダメな奴だなんて思わない事にしよう
お終い
「In My Life」 by The Beatles
There are places I remember
All my life, though some have changed
Some forever not for better
Some have gone and some remain
All these places had their moments
With lovers and friends
I still can recall
Some are dead and some are living
In my life I've loved them all
But of all these friends and lovers
there is no one compares with you
And these memories lose their meaning
When I think of love as something new
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
Though I know I'll never lose affection
For people and things that went before
I know I'll often stop and think about them
In my life I love you more
In my life I love you more