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内側からの"響き"を感じてみる

こんにちは。
このnoteでは、コーチングの学びから得た、楽しく豊かに生きるためのヒントを言葉にしてみたいと思います。

「幸せな人生」って何でしょうね。
「そんなの人それぞれじゃないの?」その通りだと思います。だからこそ、あなたにとって幸せな生き方になるために「内側からの響きを感じる」ということについて考えてみたいと思います。

コーヒーを淹れる

例をあげてみましょう。コーヒーの話。

僕はよく自分でコーヒーを淹れます。近くのコーヒー豆店で買った焙煎されたばかりの豆をハンドミルでコリコリと挽いていきます。その間、ホーローのドリップケトルでお湯を沸かし、器具を温めておきます。豆の真ん中に数滴のお湯を垂らし、ぷっくりと膨らんできたら、しばらくは蒸らしの時間。そうして豆全体がキレイに丸く膨らむように、お湯を垂らす場所とタイミングをよく見極めながら注いでいきます。とぽとぽとぽ、お湯と豆が当たる音。部屋全体にコーヒーの香りが広がっています。なんとも楽しい時間です。

お味の方は?
はっきり言って、スタバやタリーズの方が断然美味しい。それどころか徒歩3分のセブンイレブンのコーヒー税込み180円と同じくらいでしょうかね、僕のドリップの腕前だと。豆の挽き始めから出来上がりまでには約20分。試行錯誤はしているものの、なかなか腕が上がらないですな。

「じゃあ、セブンで買ってきた方が効率が良いじゃないか?」

もし「コーヒーを淹れる」という行為が「美味しいコーヒーを飲む」という目的のための手段と捉えたら、その通りなのでしょう。けれど、僕の場合は「コーヒーを淹れる」こと自体から来る、没頭&リラックスの時間が好きなんです。
なんなら自分で飲まないでもいいから、コーヒーだけ淹れていたいというくらい。
僕にとってコーヒーを淹れることは単なる目的のための手段ではないのです。

アリストテレスの洞察


アリストテレス先生


古代ギリシアの哲学者アリストテレスは『形而上学』の中で様々な行為を「キーネーシス(運動)」と「エネルゲイア(活動)」に区別して説明しています。

キーネーシス(運動)・・・目的をもち、そこを終点とした限界の中にある不完全(未完成)な行為。活動の主体が外部にあり動かされるもの。時間の内にある、物理的運動に類する行為。

エネルゲイア(活動)・・・目的がうちに内在し、限界(終点)をもたない完全な行為。活動の主体が動くもの自身である。時間を有しない、精神や心の運動に類する行為。
https://kotento.com/2017/08/13/post-283/

定義だと難しいので例をあげてみましょう。

キーネーシス

「家を作る」という行為について考えてみます。
この行為の目的は「家の完成」です。そして「作っている状態」(現在進行形)と「作ってしまっている状態」(完了形)
は別のこと。やっている最中はまだ出来ていない、当たり前かもしれないけれど。

こういう行為を「キーネーシス」とアリストテレスは名付けます。
始点から着地点に向かって移動し、着地点に到達したら止まるという感じですね。他には通勤のための移動やダイエットも同様です。

エネルゲイア

一方、「夕日を見る」という行為では、「見ている」(現在進行形)と「見てしまっている」(完了形)が同時に起こっています。

このような行為が「エネルゲイア」です。
目的が行為の中に内在しているとも言えるし、現在と終点が別のものではなく一致している感じ。小さい子どものお絵描きやダンスなんかも同様です。


この2つの区別は、行為が途中で止まったときのことを考えると面白くて、
「キーネーシス」は終点まで到達せずに途中で止まってしまうと、それまでのことは全く意味がなかった感覚になります。ああ無駄だった、やらなきゃよかったなあと。
「エネルゲイア」の場合は途中で止まってしまった場合でも、それまでのことにも意味を感じます。行為の中に目的が内在しているからです。

「コーヒーを淹れる」は僕にとってエネルゲイア。
行為に目的が内在している。だから結果として自分でコーヒーを飲めなくたって別にいいのですよ。やること自体が楽しいから。
アリストテレスさんのこの洞察は現代社会を生きる私たちにも示唆を与えてくれると思うんです。

エネルギーがチャージされる仕事


今度はこれを仕事にあてはめてみましょう。

僕の場合、研修やワークショップの企画や実行はエネルゲイア。
どうやったら伝わるだろうか、どうやったら新しい気づきにつながるだろうか、そんなことを考えながら構成を考えていると時間を忘れてしまいます。
当日も、場の熱量を感じながら臨機応変にファシリテーションしていくのは高揚感があって最高に楽しい。
終わった後は、心地よい疲労感と充実感の入り混じった気持ちで、しばらく余韻に浸っていたくなります。

一方、人事考課の調整会議の準備や当日進行はキーネーシス(僕にとっては)。やらなくてはいけないからやるけれど、気持ちはウキウキしません。
スッタモンダして何とか規定通りの評価結果に調整が終わった後は、どっぷりと消耗したような疲労感。汗が嫌な臭いがして、一刻も早くその場から離れたくなります。

響きに耳を澄ませてみる

エネルゲイアは、自分の心の何かに沿っている感覚があります。
エネルギーが消費されるのではなく、チャージされるのです。その何かに沿っているとき、自分の内側にキレイに共鳴する和音が響いていると想像してみましょう。

逆に何かに沿っていないときは不協和音です。
響きが美しくないときは、身体も心も疲れます、消耗します、エネルギーが奪われます。

その違いに敏感になってみましょう。いまやろうとしていることは、共鳴する響きを引き起こすのか、それとも不協和音を引き起こすのか、自分の内側に耳を澄ましてみましょう。

この自分の心の何かってなんでしょう?

それは、好み価値観といってもよいもの。
自分の心は何に反応するのか、何を意味あるものとして捉えるのか。これを探求していくと、大げさに聞こえるかもしれないけれど、ライフパーパス(人生の目的)や使命・天命に繋がるのかもしれません。
いずれにしても心の響きに沿うというのが幸せで充実した生き方の羅針盤であることは間違いないようです。

おわりに

こんなことを言うと、
「やらなくちゃいけないことをやるのが仕事というもの」
「仕事なんだからツラくて当たり前」
「だからその対価・慰謝料として給料をもらっている」
という声が聞こえてきそうです。
このことについてはまた別の機会に整理してみたいと思います。

ぜひ皆さん、自分の心の響きに意識を向けて、それ自体に意味を感じること、エネルギーが消耗されずチャージされることを、仕事の中でも仕事以外でも、たくさん味わってみることにチャレンジしてみてください!
それでは今日はこの辺で。

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