映画 えんとつ町のプペル
なにがきっかけだったかは、もはや全く覚えていませんが、2020年1月に、「西野亮廣エンタメ研究所」という、キングコングの西野亮廣さんが主催されているオンラインサロン(以下、「サロン」)に入会しました。ちょうど前職を退職してスタートアップに移る間際ですが、挑戦とかなんとか、そういったキーワードに引き寄せられたのかもしれません。実際にはスタートアップに転職するからといって挑戦とかのキーワードで検索したわけではないのでしょうが、頑張っている人たちの引力に導かれたのかもしれません。
あれから2年以上が経ち、西野さんの活動や考え方にだいぶ触れてきましたが、noteのエンタメマガジンの最初に何を書こうかなと思っていた時、ふと、えんとつ町のプペルに関連して書いてみよう!と思い立ちました。こちらの記事でスピードワゴンの小沢さんがとても素敵なお話をされていたことも影響したのかもしれません。
サロンに入会したての頃に西野さんの記事を読んでいて(サロンでは毎日2,000文字程度のメルマガのような記事が配信されます。本当に、毎日です。)、ある時、とても疑問に思ったことがあります。それは、
キングコングの西野さんって、日本中からそんなに叩かれていたんだ?
ということでした。
時期的には2000年代半ばからだと思いますが、「はねるのトびら」というバラエティ番組がスタートした数年後からのようです。
なぜこんな感じの曖昧な感想かというと、僕がテレビをほぼ全く見ない人間だからなのですが、2000年代前半はちょうど大学生でした。なぜテレビを見ていなかったかというと、僕は函館ラサール高校という高校に実家を離れて入学していた関係で、高校時代は寮生活だったのです。当時は、確か1学年が200人くらいいて、そのうち120人くらいが寮に入っていたように記憶しています。
で、寮では1年生は大部屋なのですね。個室とかないんです。イメージは、体育館に2段ベッドとロッカーがずらっと並んでいる感じです。小上がりのようなスペースもあり、5人くらいでよくトランプとかをやっていました。これが寝室(全員共同!)です。自習室は別にあり、40人くらい入る自習室が4室くらいあって、自席が決まっています。あとは休憩ルームみたいなところがありますが、それほど大きくないです。20人くらいはくつろげる感じだったような気がします。
さて、この休憩ルームの一角にテレビが1台あります。なので120人で1台のテレビを共有するわけですが、当然足りないので見る人は限られます。進学校だったこともあり、そもそもテレビを見る人自体も少なかったです。大半の寮生は、ここでテレビを見る習慣を失います(と言っても、僕は中学時代もあまりテレビを観ていたわけではありません。当時はゲームに夢中でした。)。
高校2〜3年は、3〜4人単位で1部屋という形になりますが、この時もテレビは各部屋にあるわけではありません。多分学年に1台はあったと思いますが忘れました。そして3年になると受験が迫るためテレビどころじゃなかったりします。
こんな感じで、大学生になって東京に来て一人暮らしを始めても、テレビを見るという習慣はあまりありませんでした。
テレビ習慣の話が長くなりましたが、こんな感じなので、僕の西野さんに対するイメージは、たまたま目にしたはねるのトびらで「ぎりぎりすっ!」って叫んでいる若手お笑い芸人さんというものだけだったのです。本当に、「ぎりぎりすっ!」の声以外はあまり覚えていません(逆に、その声だけは妙に鮮明に覚えています。。。)。楽しそうに司会をやってる方だなぁと思ったりはしましたが、当時はすごくファンというわけではなかった一方(ごめんなさい)、嫌いだとかバッシングだとかのイメージともあまりにもかけ離れていました。上記の通り、テレビ画面では楽しそうに司会されているイメージでしたから。
いつの頃からか、テレビであまり見かけなくなり(そもそもテレビを見てないのだから、見かけなくなったも何もありませんが。。。)、意識することも特になく、15年以上経ってどんな引力に引かれたのか、サロンに入会することになりました(ちなみに、入会してとても良かったです!)。当時は映画公開に向けて様々な準備がどんどん進んでいる状態。会員数は2万人くらいだったのが、あれよあれよと一時7万人くらいになっていました。
2000年代前半からの10年間、つまり自分の20代は、実はかなり厳しい状況にありました。端的にいうとお金の問題で色々と苦労していました。30代になって少し余裕が出てきて、社会のことをもっと勉強しなければと思っている中で、様々に情報収集をしている時に巡り会えたのだと思います。これからもっと頑張ってチャレンジしていきたいな、でもどんなふうにやっていったらいいのだろう、みたいなことを考えていた時に、西野さんに限らず多くの人のチャレンジングな考え方や姿勢はとても新鮮で気持ちの良いものでした。僕もあっち側に行きたい!といつも思っていました。
20代の頃のどんよりした気持ちは完全にどこかに消えて、新しいことを見たり聞いたり、時には自分でも試してみたりすることができるようになったのは、明らかにそうした方々の活動からエネルギーを頂けたからでした。幸せだな、人生楽しいなと、思えるようになりました。
しかし、メディアやSNSをよく見ていると、彼らの良い面に当たる光よりも、確かにバッシングのような内容が多く目につくことに気が付くようになりました。時にそれはあまりにも攻撃的・暴力的であり、無知や嫉妬から来るものであったり、理不尽であったり意味不明であったりもしたものでした。そのうち、自ら命を絶ってしまう著名人までも報道されるようになりました。
西野さんの活動についても、本を読んだりネット記事を読んだり動画を見たりするにつれ、
キングコングの西野さんって、日本中からこんなに叩かれていたんだ…
と思うようになりました。本人だけではなく、周りの人まで嘲笑されたと聞いた時には、今西野さんの発信を楽しんでいる自分も、嘲笑されているような気分になりました。気にしませんけどね、別に。
西野さんって…みたいな言い方をする人は、この現代にも存在するそうです。映画を小馬鹿にする記事を目にしたこともありますし、今年1月のプペル歌舞伎に対しても妙な記事が出ていたりもします。でも、プペルはみんなに愛されていて、世界で賞を取ったりもしています。
たくさん叩かれて悔しい思いをして、それでも前を向いて少しずつ努力を積み重ねてきた結実がこの映画であり、そのプロセスの観戦に途中からではあるけれど参加することができてとても光栄でした。そして、そのプロセスを同時進行で眺めたり、西野さんの過去の出来事を勝手に想像したりしていて、映画館で映画を見ながら涙が止まりませんでした。コンタクトレンズが外れそうになるから必死に感情を抑えようとしていたものでした。
映画について色々な意見はあるようですが、それらに反論というか主張するのはあまり意味のないことなのでしませんが、そんな嫉妬や揚げ足取りよりも、この映画には、執念に心が抉られる感覚を与えられます。執念というとイメージが微妙になってしまいますが、僕にとっては、目標に向かって歩みを続ける時の、何とも言えない、誰にも共有できない静謐さを感じさせてくれるものであり、主題歌のこの歌詞がいつも頭の中で響いています。
2021年10月、映画館でプペルが再上映されるハロウィンプペルイベント(?)がありました。西野さんが舞台挨拶に来られる日時でチケットを取ることができて(というか、先にチケットを取っていたら、その日時に西野さんが来られることになった、という奇跡が起きました。)、映画鑑賞後、西野さんのお話を聞くことができました。
西野さんをテレビや動画以外で見たのは、この時が初めてでした。渋滞か何かで時間が遅れていたのと、ミュージカルのスコップの衣装に着替えるのに手間取っていたようで、登場まで少し時間が空いたこともあり、本当に来てくれるのかな…と、田舎の高校生がアイドルを待つような気持ちになったことを覚えています。
でも、本当に来てくれました!スコップの衣装で登場して…笑いが起きてもいましたが、僕は笑いながらまた涙が出てしまいました。
なぜかって、、、あんなに細い体で、あの執念、あのパワーを持って、こんな映画を完成したんだなぁと。そして苦労話みたいなネガティブなオーラはなにひとつとしてなく、話はすごく面白い!
自分がしんみりしているのがバカらしくなるほど、明るく楽しい話をして下さいました。
こんな素敵な映画を作って下さった西野さんや製作メンバーの皆様に感謝します。
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