つれないつり (1) スズキ
川のように見える瀬戸内海を越えて国東半島に降り立つ。寝ぼけてまだ起きたばかりのような山を抜け、しばらくすると別府の湯気の柱が見えてくる。トンネルを抜けると大分の街だ。もう何度目の出張だろうか。とり天も食った。唐揚げも食った。温泉も入った。あまりすることがなかった。そうだ、釣りだ。釣りにいけばいい。海はすぐそばだ。まずはスズキこと、シーバスを狙ってみようじゃないか。海のブラックバス、シーバス。大分まで来たのだからきっと釣れるだろう。仕事はちょうど金曜日で終わった。明日は土曜日。レンタカーを借りて、近くの釣具店へ向かった。店員の言うがままにリール、ロッド、ルアーを8つほど買った。そんなにルアーはいらないような気がしたが、店員の口車に自ら乗って購入した。合計5万円ほどした。これだけ買ったらいろんなことを聞いていいだろう。
「どのあたりが釣れますか?」
「大野川の河口がいいですよ。本当は秋がいいんですけどね、メータークラスもあがりますから」
メータークラスはいつでも釣れるでしょ。私は夏の大野川河口に向かった。時間は午後3時。言われたポイントに言われたルアーで投げたが全くアタリがない。ただ暑いだけだ。2時間ルアーを投げ続けたが、ルアーを二つ失くしたこと以外は何も起こらなかった。ホテルへ引き返した。
一度仮眠をとってから、夜、また釣りに行った。今度はグーグルマップの写真モードで入念にポイントをチェックした。昼は河口の右手に行った。今回は左手に行くことにした。ちょうど川が海に注ぎ込むあたりに、人が立ち入ることができそうな場所がある。車でポイントのギリギリまで近づけそうだ。
国道を走り大野川が現れると左折し、川を右手に見ながら下っていくと海が現れた。沖には大きな工場が見える。煙突から勢いよく上がる煙は夜でもはっきりと視認できる。工場の入口付近にはラブホテルが立ち並んでいた。大分まで来たものの、自然の中で釣りといった情緒は全くない。車を止め、ガードレールの隙間を抜けて、水辺まで行くと先行者がいた。身長は185cmぐらい、横幅も大きく小山のようである。夜でもわかる金髪である。そのポイントは狭く、私が入ると邪魔になってしまう。釣りのポイントは地元の人が優先だ。余所者が荒らすのはよくない。入ってくるんじゃねえ、と殴られたらどうしよう。その場でモゴモゴしていると
「ここいいっすよ」
と彼が場所を空けてくれた。体の割に声が甲高かった。礼を言ってキャストを始める。彼は私を見るなり
「うーん、そのルアーは難しいっすよ。チャート系かパール系がいいっす」
「ありがとうございます」
私は、チャート系とパール系という意味もわからぬまま返事をした。「チャート系ってなんですか?」と聞くと初心者であることがバレバレである。(あとで調べてみると、チャート系とは黄色系、パール系とは白系ということらしい)。さて、話題を変えよう。
「どのあたりがポイントですか?」
「工場の赤いライト見えるでしょ。あれに向かって投げてまっすぐ巻いてくるといいっすよ。あとちょうどあの辺がかけ上がりになってて。この前、ヒラメ釣れたし、秋はここまでブリが上がってきますよ。あの杭まできたら急いで巻き取る。急に浅くなって引っ掛かるから。おれ、毎日来てるんでここ知り尽くしてます」
早口でいろいろと言われてすべての情報を飲み込めなかった。とりあえず、赤いライトに向かって投げよう。しばらく投げ続け、ヒラメが釣れた場所も丹念に探ったが、うんともすんともアタリがない。根掛かりしてまって一つルアーを失った。場所を変えた方がよさそうだ。工場の入口の方へ向かった。海沿いにラブホテルが6軒ほど並んでいた。ホテルの前の道には車が10台ほど止められていた。そこから女性が出てきた。金髪で胸を大きくはだけたシャツとタイトなミニスカートに、ピンヒールを履いた女性とすれ違った。彼女はそのままホテルに入っていった。そして、また別の女性がホテルから出てきて車の中に入った。なるほど、デリバリーヘルスということか。女性たちは車で待機し、呼ばれるとホテルに入る。大分はこんなシステムになっているのか。ホテル街の中を釣竿を持ちながら横切り、ちょうどホテル街が終わるあたりから、ガードレールを越えて海辺に立った。ラブホテルを背にルアーを投げた。水面にラブホテルのネオンがキラキラとゆれている。私はちょうどネオンの輪郭に沿ってルアーを泳がした。水面の明暗の差はポイントである。スズキはバレぬように暗いところに身を潜め、明るいところに来た魚をバクッと食うのである。魚が省エネで効率的にエサを食うならどこに行くだろうということを考えるとポイントがわかりやすくなる。暗闇に潜む痴漢と思ってもらうとわかりやすいだろうか。否、それだとスズキの格が下がる。暗殺者と思ってもらうといいだろう。つまり、ラブホテルの光と影は絶好の明暗だったわけである。ここに魚はいるはずだとしつこく明暗を通すが、さっぱりアタリがない。魚がいないのか、自身の技術不足なのか、ルアーが合ってないのか。また元の場所に戻った。
「どうでした?」
さっきの場所にずっといた彼が言った。
「まったくダメですね」
私は答えた。しばらくそこで釣りを続けた。まったくアタリはない。金髪の彼にもない。もう一度、ラブホテルのところを攻めてみる方がいいのかだろうか。ラブホテルの方を見ると女性がこちらに向かって歩いてくる。カツンカツンとハイヒールの音が響く。ガードレールの隙間をするりと抜け、水辺にきた。先ほどすれ違った金髪の女性だ。ミニスカートにハイヒール。まったく海に似つかわしくない姿だ。
「どう、釣れた?」
彼女は尋ねた。私に声をかけてくるということは、私は誘われているんだろうか。髪の色はブリーチされていてけばけばしいが、胸は大きく、腰は見事にくびれている。化粧は濃いが顔はタレ目で色っぽい。まんざらでもない。いくらなんだ。財布は車に置いてきてしまった。そもそも、釣竿を持ったままホテルに入るというのもおかしくないだろうか。彼女はここの釣り人によく声をかけているのだろうか。これが大分のスタイルだろうか。
「釣れたよ」
金髪の男が答えた。
「みせてみせて」
彼女は私を通り過ぎ、金髪の男のところへ歩いていった。
「ほら」
彼はクーラーボックスを開けた
「いいサイズ!今日の晩御飯ゲットだね」
そこには50センチほどのハネ(スズキの幼魚の名前)が入っていた。
「今日は鍋にする?」
「いいね。じゃ、そろそろ帰ろうか」
「うん」
二人は近くに止めていた白い軽自動車に乗り込んだ。ダッシュボードにはふわふわの白いファーが大雪のように積もっていた。早く魚を食べたいとばかりに、猛スピードで帰っていった。
私はしばらく釣りを続けた。結局何も釣れなかった。
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