大きな脚本コンクールで受賞後のチャンスを活かしきれなかった話(後編)
つづきです。
受賞後に何があったか
受賞後には、受賞者とプロデューサー・ディレクターを繋ぐ仕組みがあり、そこからいくつかのチャンスに繋がっていきました。
(1)コンクール受賞者を対象とした勉強会に呼ばれる
…テーマに沿った短編シナリオを書き、プロデューサーやディレクターの方に講評してもらう機会を何度かいただきました。そこでやりとりをした方々から(2)以下のようなチャンスをいただきました。
(2)連ドラの脚本に呼んでもらう
→ その頃参加していた助監督の仕事とスケジュールが噛み合わず、参加できず
(3)一緒に企画開発しようと声をかけてもらい、プロットを書く
→何度か修正が続く中でうまく進まず、キャッチボールが減っていき自然消滅
(4)単発2時間ドラマのプロットを依頼される
→何度かのキャッチボールでプロットは完成し、そのまま進めば脚本も書かせていただけるというお話でしたが、その後連絡なく……企画自体がなくなってしまったようでした
(5)別の連ドラの脚本に呼んでもらう
→サブライターとして1話完結ドラマ全10話のうち2話分を書かせていただき、これがデビュー作となりました。
(6) (5)のプロデューサーの方から、次の仕事(連ドラプロット提案)をいただく。
と、思いつくだけでもこれだけのチャンスをいただき、他にもドラマのプロットを何本か書きました。
あらためて考えると、やっぱりたくさんチャンスがあったな、と思います。
しかし、ことごとくそれを自分で潰してしまっていたんだなと、今は分かる……
前回書いた「ndjc」は30分の短編映画とはいえ監督として準備・撮影・仕上げ・公開……と行事が盛りだくさんだったから、それを理由にプロット仕事をお断りすることなどもあった。
そうこうしている間にもらった賞金は底をつき、経済的に立ち行かなくなったため助監督の仕事を再びせざるを得なくなった……という顛末です。
もう無理だ、助監督に戻ろう、そう決めたのは2月の夜、日本海沿いでした。真っ暗な空の下、荒い波の音を聞きながら先輩に電話したことを覚えてます。
あれから7年という時間が経っていて、そして今も諦めずに頑張っているからこうして冷静に思い返すことができますが……苦しい時期でした。
何がいけなかったんだろう
いま思い返せば、足りてないことだらけだったなと思います。
まず、受賞作はたまたまいいものが出せただけで自分の実力の平均値が高いわけじゃなかった!そのことに気付けてなかった!
映画に、そして監督することにこだわってないで、テレビドラマの脚本にもっと真摯に向き合うべきだった!
自分はそっちに向いてるのかも、と考えを切り替えて取り組んでみるべきだった!
1つ1つのチャンスの重みをわかってなかった!
何か1つ仕事をして、その評価によって次の仕事がやってくるんだから、1つ1つのチャンスにもっとしがみつくべきだった!
とにかく反省だらけです。
しかも、当時すでに30歳。目の前にやってきた出来事の意味や重みなど、気付けよお前……って感じです。
もちろん企画が流れてしまったり、もちろん人と人だから相性もあったり、そういう側面もありますが、でもやっぱり、受賞というチャンスを活かすだけの準備が、自分自身出来てなかったんだな、ということは痛感しています。
じゃあどうすればよかったんだろう
今だからこそ言える「何をしておくべきだったか」
結局当たり前の話ばっかじゃねえか!となる気もしますが、とにかく書いてみたいと思います!
(1)1つのコンクールに応募し終えたら、すぐ次の作品を書き始める
これはいろんな効能があります。
・次作に集中することで、コンクールの結果を待って一喜一憂しなくて済む
・前作が落選したとき、次作があることで落ち込みすぎないで済むし、次作のクオリティを高くできる可能性が上がる
この辺は言わずもがなですが、次の効能を個人的には強調しておきたい。
・仮にコンクールに入賞したとして、その時点で受賞作は自分にとっては過去作になっている。次のステップに進むには「新作」が必要!
そう、受賞作って、受賞した時点で見返してももう「拙い」「最新の自分の実力に届いてない」んです。だから、受賞後に誰かに作品を読んでもらう機会を得た時に「最新作」を読んでもらうためにも、次の作品を書かなきゃいけないんです。
(2)受賞が決まった瞬間から企画書を書き溜めておく
脚本コンクールに応募するのはシナリオですが、その後の仕事は多くの場合「企画書」「プロット」から始まります。
とにかく企画を持っていないと始まらない。企画書、つまり、「自分がどんな作品を作りたいかを端的に示す資料」を持っていることで、次のステップに進みやすくなるんじゃないかな、と思います。
ちなみに余談ですが、最近の自分の企画選びの方針としては以下のような感じです。
・自分はSF好きなので、SF要素のある企画(オリジナル/原作もの各1案)
・1時間ドラマの企画(サスペンスとか恋愛とか。オリジナル/原作もの各1案)
・深夜ドラマの企画(少ないシチュエーション、若いキャスティングなど、コンパクトな予算規模で実現可能なもの。オリジナル/原作もの各1案)
こんな感じで、自分のやりたい題材と間口の広い題材、規模の大小、オリジナルと原作、それぞれを網羅するだけの複数の企画を用意しておけばいろんなところに持っていって話ができるな、という感じです。
(3)名刺をもらった方にはすぐに「企画書お送りしていいですか?」と連絡
受賞するといろんな方とお会いして名刺交換する機会がたくさんあるのですが、その後メールするときに「先ほどはご挨拶させていただきありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」だけだと、もうそれで多くの場合やり取りが終わっちゃうんですよね。
そこで企画書があると「こういう作品を作りたいんです」というのを端的に示せるし、それが複数あれば色んなジャンルを書けるってことが分かってもらえる。その企画がそのまま使われなかったとしても「この企画に近い別の企画があるんだけど、そっち手伝ってもらえる?」みたいな話に進みやすい。(まあ、多くの場合は企画送っても「読みますねー」で終わっちゃうけど)
シンプルに、キャッチボールを終わらせないっていう意味でも、企画書を送るの、大事です。
(4)※追記しました 脚本家の仲間を作っておいた方がいい
これ、本当に反省してるんですが、当時一緒に最終選考に残った人たちって、言ってみれば同期みたいなもので、今もあちこちで活躍してる人たちの名前を見ると、やっぱり気になるんですよね。
でも、一回助監督に戻ってしまったこともあって、全然連絡取らなくなってしまって。
それで今、仕事で壁にぶつかった時に、「先輩とか、同じキャリアの人ってどうやってるんだろう」というのが気になることが多いんですよね。
そもそも脚本のスクールも通信講座しか受けなかったし、一緒に脚本を学んだ仲間というのがほとんどいないこともあって、
同世代の脚本家の方達がSNSでやり取りしてたり、励まし合ってたりするのを見ると、羨ましく感じることが多くて。
励まし合ったり、情報交換しあったりできる人、大切にしておけばよかった、これからは大切にしていきたいな、と、そう思います。
今からあの頃に戻ったとして、どうにかなるか?
でもまあ、今からあの頃に仮に戻ったとしても、結局同じ道をたどってここにたどり着くんだろうな、と思います。
奇しくもそれが、人生を10年前からやり直すタイムリープものだった受賞作『ライフ・タイム・ライン』で描きたかったことでもあります。
あの頃はプロでやっていくには筆力が足りてなかったし、
あそこからもう一度助監督としてのキャリアを積む中で、脚本についても演出についても明らかに技術が向上していて、だからこそ今、もう一度脚本の仕事にトライできていると思うし、
この道を通ったからこそ得られた機会や仕事もあるし、
なによりあそこで躓いたから、悔しさを噛み締めて頑張ろうと思えたし。
『ライフ・タイム・ライン』はその後日の目をみることはなかったけど、練り直して形を変えて書いた企画書は今あるプロデューサーの方に読んでいただいているし。
結局、失敗しても立ち上がって歩いていくしかない。
自分は「何かのコツを掴むこと」自体が不得意で、何を会得するのにも時間がかかるし、世の中や身の回りで起きていることの「意味」を掴むことができなくて、何年も経ってから「あの時ああすれば良かったんだ」みたいに気づくことも多い。
でもまあ、それも含めて自分だし、結局は当たるまで買い続けた人だけに当たる宝くじみたいなものだし、まだまだ、頑張っていかないとな、と思います。
言いたかったこと、ちゃんと書けてるかわかりませんが、結論は、
チャンスはいつ来るか分からないから常に準備!
チャンスが来たら、それに全力で取り組みつつ、次の種を蒔くことをやめない!
頑張ろう。