もう友達ってことにした

 2019年3月にアガリスクに加入したとき、これまで何かに所属するということをしてこなかった自分にとっては初めて友人でも恋人でもない仲間というものができたという思い、だと挨拶に書いた。これはけっこう良いフレーズだと思うし、当時の偽らざる本心でもある。

 文学座の研究所の同期たちが風来ズという劇団を作って、僕はその全公演に出演したが、最後までメンバーにはならなかった。単純に大変でしんどそうだったからだ。誘われなかったからというのもあるが、入れてくれと言えば入れてくれたんじゃないかと思う。面倒なことは何もせず毎回出演させてくれていたことに感謝しているが、今思えば若さに任せて泥のようになりながら創作活動をするという機会をふいにしてしまったのかもなと思う。かと言って、タイムスリップしてやり直して風来ズのメンバーになろうとまでは思わないが。

 今年客演した青春事情と不条理コントユニットMELTは、どちらもメンバーは同級生で構成されている。特に青春事情は自分とも同い年(制作の松本悠さんだけ一個上。松本さんはとてもやさしい。自分がサザエの中身をうまく取り出せなかったときにかわりに出してくれた)なので、本当にクラスの友達の家に来たような感覚がある(めったに友達のうちに行くような子供ではなかったが)。MELTは自分より一回り以上年下だが、みんな驚くほどの才能があって、さぞスマートにやってるんだろうなと思っていたが、本当に泣きながらボロボロになって作品を作っていた。

 自分も大学時代、高校の同級生と劇団をやっていた。GOLDEN AGEという今思えば小っ恥ずかしい名前で、演劇部の仲間と部活の延長線上のような形でやっていた。3回ほど公演をやったと思うが、演劇の作り方(というか公演の打ち方)をまるでわかっていなかった僕らは、観客より出演者が多い舞台を何度かやったあと(お客さんがほぼうちの父親だけとかの回もあった)、社会人になるタイミングで自然消滅していった。このGOLDEN AGEも、僕は本気で打ち込んでいたかは怪しいところだ。大学の課題を言い訳にしたりして、適当にやってたんじゃないかと思う。みんなの熱意もバラバラで(それは現役の高校演劇部時代からけっこうそうだったが)、劇団の自然消滅と同時に、彼らとの付き合いも驚くほどぱったりと途絶えた。

 そんなわけで、学生時代からのメンバーでやっている青春事情やMELTには憧れと羨ましさがある。自分が手に入れられなかった、また自分は手に入れようともしなかったものがある。端的に言えば、友達といっしょに劇団をやっているということだ。これは冨坂さんと淺越くんの関係にも言えて、劇団員になってもこの二人の関係性と同等のところには辿り着けない、そう感じていた。のだが。

 そう勝手に決めつけていいのだろうか。友達というのは別に学生時代からじゃなくてもいいんじゃないか。

 よく考えたら、淺越くんとジャンプさんと斉藤コータとは昨年友達になった。『令和5年の廃刀令』の墨田区会場での帰り道、吾妻橋の袂で、観に来てくれた友達に挨拶に行くと一人去っていった古谷蓮の後ろ姿を見ながら、誰ともなく僕らは友達が少ない(もしくはいない)という話になり、少なくとも誰かに「誰が友達ですか」と聞かれたら、ここにいるメンツの名前は挙げていいことにしようということになった。なので淺越、ジャンプ、斉藤コータは僕の友達である。これがいわゆる吾妻橋の誓いである。

 それから何日かして。『廃刀令』の全公演が終わったあとのゴールデンウィーク後半、横浜までプロレスを観に行った。メンバーは僕と冨坂さんと、そして冨坂さんの高校の先輩で僕のプロレス観戦友達C氏。実にややこしい関係になっているが、C氏とは淺越くんを通して知り合い、いつの間にやら淺越くん抜きでもプロレスに行くようになり、めっちゃLINEもしている。冨坂さんにとっては先輩だが、僕にしてみれば同い年なのでほどなく友達になった(いや、かなりレアケースですが)。冨坂C氏私の三人が顔を合わせるのはかなり久しぶりなので、冨坂さんは私とC氏の会話がタメ口になっていることに驚いていた。その帰り道、劇団員は友達に該当するかという話がC氏から出て、僕は冒頭にもあったように、仲間であり友達ではないと結構力説してしまったのだが、冨坂さんは劇団員は友達で、友達といっしょに演劇を作っているのだと言った(ちょっとうろ覚えだが)。私にしてみればけっこう意外だった。そしてあとから振り返って、と悪いことをしたなと思った。3人でいて、僕とC氏は友達で冨坂さんは友達ではないみたいになってしまったではないか。

 私からすると、冨坂さんはとんでもなく才能のある劇作家で演出家であり、アガリスクに入ったのも「この先自分の作品にはなるべく出てほしいと思っている(これもややうろ覚え)」と言ってもらって、これだけの才人にそう言ってもらったのだから、その分の責任も引き受けなければならないと感じたからだ。責任は果たせているのか怪しいところではあるが。未だに冨坂さんからLINEが来ると「あの冨坂友から直接わたくしめにメッセージが…!」という気持ちになる(劇団員へのお誘いもLINEで来た)。ちょっとだけなる。そういった思いもあり、劇団員は友達ではないと言ったわけである。

 でも、冨坂さんが友達とやってるって言うならもう友達でいいでしょう。今冨坂さんは僕のことを友達だと思っているか確証はないが、どう思われているかよりどう思うかだろう。冨坂友は僕の友達です。なんだ、僕も友達と劇団やってたわ。憧れていたものは既に手の中にあった。特段そう確認し合ったわけじゃないけど、鹿島さんも前田さんも榎並さんも古谷くんも塩原さんも甲田くんも津和野くんも熊谷さんも(熊谷さんのご主人も)佐伯さんも佐野木さんも樫村くんも三濱くんももうみんな友達ってことでいいでしょう。友達めっちゃ増えたな。

 というわけで、僕は今年友達とフジテレビで生ドラをやり、トップスで『なかなか失われない30年』をやり、三越劇場で『逃奔政走』をやります。これはアツい。

 蛇足だが、この間相島一之さんに「三谷幸喜さんを三谷と呼んでいるのが羨ましい」と話したら、「伊藤くんも冨坂と呼べばいい」と言われた(そりゃそうだ)。まさかこれについてご本人に直接言える日が来るとは思わなかったな。

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