夢の話と大学の話。
おはようございます。
パラスポーツを応援する大学生の萩原圭太です。
最近、悪い夢を見ることが多くて、朝の目覚めが悪くなっています。
普段、あまり夢を見ることが(覚えてい)ないのに、最近は覚えていることが多いです。
例えば、
野球をやっていた頃に戻っている、または今の大学生の状態で野球をやっている状況になっています。そこで試合をするわけです。試合なのにパジャマで来ているという訳が分からない夢を見ました。
パジャマで来て途中でそれに気づいて、(パジャマはズボンだけ)何とかバレずに参加しようとするのが面白かったです。別に遅刻するっていうわけではないのに、パジャマで来るという不思議さ。
何を思ってこんな夢を見ているのでしょうか笑
どうせ見るなら楽しい夢だといいんだけどなぁ…。
これに近い話でいうと、寝坊して遅刻っぽくなった試合が少年野球の頃にあって、その試合で僕は全打席安打でした。懐かしい記憶です。
遅刻しかけたほうが活躍していたなんて話も…笑
夢でいうと思いだした話があります。
小学校の頃、朝の会(#懐かしい響き)で、その日見た夢の話を喋るという流れがあって、困った記憶を思い出しました。
めちゃくちゃな話を作り出して何とか切り抜けましたね。
さて。
最近はすっかり大学のオンライン講義にも慣れてきたものです。そして気づいてきました。「あれ、別に対面じゃなくても良いかも」と。これは前にも書いたかもしれません。
たしかによくよく考えてみれば、大きな教室に人が集まって夏は暑いし冬は寒いみたいな状態の中に大学に行くのは意味があるのかって思います。
ガヤガヤしてるし、何のために受けに来てるんだって人も正直いますからね…。
全部が全部、オンラインになればいいかと言われればそうではないでしょうけれど、上手く使い分けて講義をしてほしいですね。
個人的には、今のオンラインでの講義は快適なので続いてほしいなぁ、なんて。弊害があるとすれば、友人と会う機会が減っていることくらいです。
↑この投稿でも触れていたとおり、大学に通っていないから気づいたのが、人との出会いの場として大学キャンパスが機能しているんだなと思っています。
学びは場所を選ばないし、テクノロジーの進化で場所が関係なくなってきているのは事実です。
なので僕が勝手に思う大学という空間は、学びの場としてのものよりも、学生の出会いの場・交流の場としての機能のほうが強いかなと思います。
人と出会うことは決して止められない感情です。大学は(いい方が正しいかは分かりませんが)ランダムに色んな人が集まる場だからこそ空間としての価値があるのかなと僕は考えています。