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きこりのジレンマのジレンマ


木こりのジレンマとは?

「きこりのジレンマ」という言葉を知っていますか?少し前にアジャイルとかそのへんの人で少し話題になった寓話です。まずはこれを紹介したブログなんかを紹介します。


おわかりでしょうか?これは目先の仕事に追われて、仕事そのものの改善をしない(できない)状況を指してします。思い返してみるといろんなところでこういった状態に出会います。

ITエンジニアの仕事に当てはめてみるとこういった感じです。

最近のIT技術は日進月歩です。勉強をしていかないとついていけません。勉強しないままプロジェクトに突入すると、必要な要件が出てきてから勉強をし始めることになります。でもプロジェクトのWBSは「勉強する」時間など与えてくれません。だからいつでもそのエンジニアは遅延と深夜残業続きになります。・・・でも、追い込まれていない時に勉強しているかどうかというと全くそんな様子はありません。・・・そして新しい課題が出るたびに付け焼刃の調査を繰り返します。

リアルにありますよね・・・

日ごろから勉強する習慣のあるエンジニアから見たら、いつも開発の足を引っ張られるわ、サポートに入らないといけなくなるわ迷惑ばっかりだし、勉強しない分、時間の長さで解決しようとするから残業代はものすごい持っていく

・・・・・腹が立ちますよね。



斧を研がない木こりが悪いのか?


この状況、よく「本人の自覚が足りない」「意識が低い」「モチベーションが・・・」と、その勉強しない本人を責めることが多いような気がします。でも、これって本当に本人の意識の問題なのでしょうか???


実際のところ「独学で勉強する人」も「資格取得に頑張る人」も「外部の勉強会に参加する人」も全体から見たらきわめて少数派だと思います。ほとんどの人は「会社に指示されたから勉強する」「仕事で避けられない状況になったから調べる」というのが実態だと思います。


そう考えると本人の意識というよりも、仕組みや文化が「勉強しないエンジニア」・・・つまり「斧を研がないきこり」を生み出していると考えたほうが当たっている気がします。


労働観の問題

ひとつめの要因は「労働」に関わる考え方。日本の社会に根強くあるのは労働とは「身体拘束」であるという考え方。そして「命令・指示」によって行われるという考え方。これは労働者側、使用者側双方に根強く存在する。賃金は時間に対して支払われる「時給」が基本となっているから「命令されて自由を奪われる対価」として報酬があるという考え方だ。「仕事」とは求められた時間は汗をかいて斧を振るう事であって、考えることではない。手を休めて座って斧の刃を研ぐなんて「さぼっている」以外の何事でもない。これが「時間の対価」でなくて「成果の対価」であれば斧の刃を研いだほうがいいのであるが、時間給である以上「とにかく斧をふるう」ほうが評価されやすいのである。

日本のホワイトカラーの労働生産性は低いというが・・・

あと、ちょっと思うのは労働に関する監視・・・リモートワークになってやたらと社員を管理というか監視したがる会社が出てきたが、そういった風潮の仕事場の場合「仕事をしていない」と見られがちな「学習」に取り組むのは難しい、本を読んいたり、Youtubeを見ていたりしたらちょっとヤバい。上司に怒られかねない・・・・やっぱりなんか無理やりキーボードをたたき続けるほうが無難なのだろう。


勉強観の問題

もう一つは「勉強」に対する考え方のゆがみ。仕事における勉強ってついつい「訓練」と勘違いされてしまう。「訓練」とはマニュアルがあって、その通りできるように・・・という感じで行う「明日から使える技能」を身につける行為だ。この「訓練」こそ「勉強」と思っている人は意外に多い。でも仕事に有効な「勉強」は「訓練」とは違う。将来役に立ったり、ピンチに立ったり、未知の問題が発生したりした時に判断を正しく行うために、あらかじめ準備しているものであって、「明日必ず使える」とは限らない。よく聞く話でセミナーを聞きに行った部下に「それをすぐ使え」とか「それは役に立つのか」と報告させる上司がいるのだが・・・・本人はちゃんと管理しているつもりなのだが実際には逆効果・・・次は行きにくくなるのである。そうやってだんだん誰も勉強にはいかなくなるのである。



確かにこういった状況の中でも、自ら時間とリスクを負って勉強する・・・斧を研ぐ・・・人はいる。しかしながらそれは「奇特な人」であって「普通の人」では決してない。「普通の人」にとっては「学習」するのは心理的安全性がぜんぜんない。「普通の人」をどう勉強に向かわせるのかは上司や組織の責任だと思うので・・・・まずは勉強に取り組める環境を作ろうと頑張ってみる。





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