完璧な資料作りは効率向上につながるのか?〜情シス目線のプロジェクトマネージメントTips#05
世の中にプロジェクトマネジメントに関するコンテンツは非常にたくさんあるのですが、よく見てみるとどうしてもSIer目線のものが多いように思えます。SIer目線の場合だと、どうしても利害が一致しないせいか事業会社というか情報システム部門目線から見るとピンとこないものも多く、ちょっと腹落ちしないことが多くあります。
というわけで無いなら作ろうということで「情シス目線のプロジェクトマネジメント」なるものを書いてみようかと思い不定期だとは思いますがシリーズ的に書いていこうと思います。
的確な資料効率の良い会議
たまに「効率の良い会議」なる言葉を聞きます。だいたいは会議時間は何も生産しないので無駄であるということで、会議をするときはしっかりと準備をして必要なことを必要な時間で行おうというような話です。
会議は30分以内とか、アジェンダを事前にしっかりと決めておくとか、ファシリテーションのコツとか、議論を可視化するとか・・・・中には会議室から椅子を取り除くとかという過激なものまで様々な取り組みが紹介されています。
そのなかでも多くの人達がやりたがるのが「完璧な会議資料を作る」です。色々指摘され、炎上して会議時間が長くなる上に、宿題もいっぱい出るのを避けようと、ツッコミどころのない理論から、詳細なデータまで準備して、ものすごい時間をかけて、さらに事前レビューなんかをしたりして・・・つまりはコストをかけてから会議に望むのです。
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目指すところは
(特に偉い人に)何も突っ込まれない
「コイツらに任せておけば安心」と思わせる
といったところでしょうか?
それを目指して、時間をかけてしっかりとした資料を作ろうと知恵を絞り、汗水を流して、ときには徹夜までして完璧なプレゼンを目指すわけです。
たしかに無駄がないスマートな、効率の良い会議なのですが、なんか大事な視点が足りない気がします。
何が「会議の効率」?
確かにしっかりと準備された資料があれば会議は早く終わります。「会議時間」という事であれば効率は上がっているのかもしれません。
でも、効率という面では3つの視点が欠けています。
1つ目は「会議の効率は、その準備も含めた効率でないと意味はない」ということです。
例えば8人が参加する会議を1時間で終わらせるために資料作りに2日間(8時間✕2日)かけた場合には
8人✕1時間 +8時間✕2日 =24時間
となります。
4時間しかかけていない資料が完璧ではなくて議論が沸騰し2時間かかったとしたら
8人✕2時間 + 4時間 = 20時間
ということで、雑な資料で会議に挑んだほうがトータルの効率は良かったりします。投資の承認を得るための会議ならともかく、議論を行う会議のための資料は議論の論点とインプット情報だけがしっかり定まれば良いだけで、体裁もなんならEXCELとホワイトボードに手書きで書いたもので充分なのです。
必要なのはビジネスの効率
それともうひとつ、本当に大事な視点はこちらです。
大事なのは会議そのものではなくて、「会議の目的」です。
会議を開く理由は「組織のビジネス的な何かアウトプットを出す」ことです。何か会社にとってメリットが有る結論が出る・・・もしくは近づかないならば、会議を開催する意味はありません。
つまりどんなに効率よく会議を進行しても、結論が良くなければ、会議の生産性はゼロ・・・もしくはマイナスなのです。
その点を考えた場合、議論が盛り上がらないような資料による会議って何かを生産しているのでしょうか?
有識者が集まったのであれば、その人達にしっかり発言させ、リスクや課題・・・そしてそれぞれの立場における期待なんかを明確にすることに時間をかけるべきなのです。
そういう意味では完璧な資料を見せつけ「この案に賛成です」「コレでいいと思います」「異議なし」というのでは、ほんとうに効率がいいとは言えません。
当事者意識の醸成
最後にもう一つ大切なのは会議というのは合意形成をすることだけではなく、参加者に当事者意識を持ってもらうことがものすごく大事ということです。
なにかプロジェクトを推し進めるのであっても
「アイツラのやっているプロジェクトの方針を認めてあげた」
ではなく
「俺たちのプロジェクトの方向性を決めた」
という気持ちに参加者や関係部門をさせないといけないのです。
そのためには意見が出ないくらい完璧な資料というのは邪魔なものでしかありません。誤字脱字とか、言い回しの修正の話しかなかったというのでもだめです
枝葉の話ではなく、根本に関わるようなテーマをちゃんと議論して「参加者全員で決めた方針」という雰囲気を作る必要があります。
完璧な資料の使いどころ
もちろん完璧な資料を作らなくてはならない会議もあります。
投資を承認してもらうために経営者を説得する会議(?)とか顧客に対するコンペみたいな場所では論理破綻のない理路整然とした資料が必要です。
そういう場では合意形成とか当事者意識が必要なのではなく「許可」とか「採用」というフラグがほしいだけなので議論など深める必要がないからです。
でも社内の合意形成をするとか、方針を決めていく場・・・・より実務的な議題である会議であれば、完璧な資料を作るのは無駄というだけでなく、むしろ害悪であることを意識したほうがいいでしょう。
社内の議論に使用する会議資料の線の太さとか、図形が揃っているのか、フォントは適切か・・・・なんかに時間を使うのはもったいないですよね。
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議論に必要なのはトンでもない資料
しっかり議論するためには参加者全員がしっかりとした当事者意識を持って本音で話すことが大事という話はしました。
そのためには本当はメンバーの心理的安全性とかそういうのが重要になるのですが、それを短期間のプロジェクトで醸成するのはなかなか難しい話です。でも危機感を持った当事者意識だったら割と簡単に作り出すことができます。
とんでもない資料を作ればいいのです
会議の参加者に「この案のままではやばい」と思わせることは実は大切なのです。やばいと思うから「俺が意見せねば」とか「ちゃんと意見しないとヤバい」と思って、真剣に本当の話をしたり意見を挙げたりしてくれるのです。
そのために必要なのはきれいな資料でも完璧な論理でもありません、
このままではマズイという空気感を生み出す資料なのです。
本質を突いたヤバい資料
とはいえデタラメで全然ダメダメな資料を作れば良いという話ではありません。それでは会議は感情的な単なる批判や人格否定になってしまい、必要な議論には至りません。
書いてあることは、微妙にまずくて欠陥がある内容でも、提起するテーマは議論が本質的な事に集中するようなもので、なおかつ堅い空気の中でも参加者が突っ込みやすいでないといけないのです。
本質的な議論を盛り上げる資料こそが最高の資料であり、それによって引き起こされる激論こそがほんとうに「効率の良い会議」なのです。
もちろんそんな資料も、そんな会議もそんな簡単には作れません。
ましてや外部のコンサルやSIerは立場的には作れません。
中の人がつくるしかないのです。
でも難しいですよね。
最高の会議資料というのは到達すべき本当の答えを知りつつ、その答えを自らではなくユーザーとか顧客から引き出し「俺達の作った方針」と錯覚させることだからです。
でも、会議資料のベクトルをチョット変えるだけなら出来ると思います。完璧な資料作りに費やす情熱と時間をすこし傾ければきっと近づいていくと思います。
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