月末の曲数調整/次の制作物/エンターテイメントの幻想と弊害/幸福は脳のバグ
爽快な朝はなかなか来なくなりました。重い感じで起きて夕方には眠いなあってなってます。わりかし体力の低下は現実的に受け止めているので今後は体力づくりをしっかりやっていきます。
月末の曲数調整
今月は現時点で94曲録音できています。月の目標値は117曲ですが、6月は色々と外での動きが多いので100曲前後をスケジュールおよび体調と相談しながら調整します。10%以上の差は誤差の範囲を超えるのでストックとしてはちょっとあんまりよろしくないのですが、思ったより作品のリリースができているのでそこらへんは無理せずそういう帳尻合わせでいこうと思います。問題になりそうなのが今後の音質ですが、新しい音源を導入することと音作りの時間を作ることで解決していこうと考えています。アップデートを状況によって柔軟にやっていくことで作品の質を底上げしていこうと思っています。
次の制作物
あらかたデモ音源とコラボ物が片付いたので次はカタログを増やす作業になります。リリースとは少し違うんですが、以前から作っていたサンプルパックの方向性が決まったのでそれの制作。そして営業資料的な作品の制作に取り掛かろうかと思っています。具体的には受注してないけど勝手に映画音楽と舞台音楽を作ってしまおうというものですね。今やりたい案件として映画と舞台が挙げられます。これはもう欲求に近いので仕方ないです。んで、それを受注するためには何をやるべきかってことなんですが、個人の実績は2つほどあれどそれが認知されていないところを見るにこういう作品も作れるとかっていうのを示したうえで認知度を上げていくことが現状最良の選択になりました。アーティストにとってカタログ以上に有効なポートフォリオはないのかもしれないなーなんてことを考えています。
エンターテイメントの幻想と弊害
僕個人の見解ですがエンターテイメントは例えば技芸の最高領域にあるものだと思っています。職人芸のようなもので、習得するまでに非常に多くの時間を要する特殊技能を強靭な精神力で何度も再現できるような、そんなイメージを持っています。決して生半可な気持ちではそこにたどり着けません。ですが、日本の芸能界にはあまりそういうイメージはありません。若い人たちをだまくらかして利益を上げるというビジネスモデルになっているからです。その場合まず必要なのが幻想です。みんな最初は下手だったんだ、努力でつかみ取った、だから君もチャンスはある。そんな甘言で大人が子どもをだまします。実際僕が芸能界の端で感じていたのはパワーゲームです。タレントは商品でしかありません。言い方を悪くすれば奴隷のようなものです。売れている芸能人やタレントさんはもちろん努力もしているでしょうが、そもそも素養や美貌を持っていたことは充分あり得ます。そしてそれはそういういわゆる業界人とつながればチャンスがあるかもしれない、という幻想を人に抱かせる原因になります。そんなわけないんです。事務所としてはプッシュするタレントさんはおおかた決まっているので、チャンスなんてめぐってくるわけなくて、というかそもそもチャンスって何を根拠に定義するんでしょうね。正直僕にはよくわからないんですよ。受け身でいればチャンスという言葉がとても甘美に感じられるのかもしれませんが、自分の音源も持っていない勉強しない作らない練習しないみたいな人にはどっちにしろチャンスは巡ってこないので、やっぱりつかみ取るためにはアクションしないといけないんでしょうね。だいたい業界の人って言葉ほどあいまいで怪しくてクソみたいなのないですよね。なので技術も精神力もやっぱり必要になると思います。もちろん頭も使うでしょう。そうでなければやはりアートもエンタメも嘘っぱちにしか見えないんじゃないかな。
幸福は脳のバグ
最近思考実験していることを少し。
幸福は皆さんご存じの通り概念ですが、それを感じるという意味において実在しています。しかしこの手で触れることはできません。物質ではないということです。それすなわち概念ということになります。では、僕たちは何に対してその概念を想起して体感しているのか。
例えばおいしい食事。これは幸福感も満足感もあります。愛する人との時間。一般的にはこれも幸福感を得るということになります。好きなことをやる、趣味の時間、二度寝、風呂、挙げればこれほど生活の中で感じることのできる概念はありません。つまり本来不幸のほうが感じにくいはずなんです。ではなぜ人は不幸だと認識してしまうのか。それは幸福は見ようとしなければ感じないという最大の欠点があるからです。道端に咲いている花が美しいということに幸福を感じる人は少ないかもしれませんが、それは気づいていないだけの可能性があります。気づいた瞬間不幸を忘れます。脳が幸福を認識してしまいます。概念をインストールするという感じでしょうか。その後は条件反射になります。これは本人にはコントロールができません。つまりバグです。プログラムの欠陥と考えてもいいかもしれません。
なので僕はこれを逆手に取ろうと思いました。脳は何かのきっかけで幸福を勝手に別なものに翻訳します。これは僕が記憶のフラッシュバックでパニック症状になった状態を体験したことに着想を得ていますが、おそらく脳には強いショックから身を守るための防衛本能のような何らかの機能があると仮定しています。そのトリガーを自らの意思で引き起こせないのか、という実験です。パブロフの犬的な考え方かもしれませんが、とりあえずそれはそれとして。まず僕の感覚として幸福という概念はなんらかの行動や人に代入されるパターンが多いと感じました。食事という行為、作曲という行為、美しいものに触れた瞬間、甥っ子の笑顔、猫をなでる行為などなど。つまりそれをより良い精神状態で毎日のように触れていけばおのずと脳が勝手に幸福を感じてくれるんじゃないかと。これは茂木健一郎さんがいってたような気がします。フロー状態ですね。僕はいまピアノの録音をこういう精神状態に持っていくことで量産体制が取れています。なのでこれは脳のバグを利用した精神状態のハックということになります。実際にピアノを弾くことに幸福を感じていますし、作曲行為そのものが非常に楽しめています。
以上が研究レポート的なものですが、病む可能性も大いにあるのでお勧めはしません。うん。
そんな感じでした。Thanks.
ではまた。