感覚の話


 あるカメラの初見はちょっとバタバタしている。そんな感じだった。ところが使い込むたびにその感覚が心地よく、音的に少しバタバタしていてもその内部の動きはとても洗練されていると感じて心地よくなってきた。

 そんなことを話しているときにふと思い出したのが、ミラーレスカメラだった。ミラーレスの一眼カメラを使い始めて感じたことはとこも静かで反動が少ないこと。

 当然、ミラーがないので、メカ的な振動や音が少なくなっている。さらに電子シャッターを使えばそれらはほぼなくなる。とても静かで初めのうちはシャッターを押している感覚をつかむのが難しいと感じた。

 結果的にはその感覚を求めても仕方ないと分かった。そして、その機能は使わなくなった。あるメーカーのカメラはそこに音を加えてその感覚を補ってくれていた。おかげで違和感が少なくなった。

 それでもメカショックはない。俺はかなり古い人間なので、カメラのメカショックの感覚が手に残っている。そして、それを感じながら撮るほうが落ち着く。


 人間の感覚はそんなに簡単に変わらない。


 官能評価、そんな言葉を知ってから、数値的な素晴らしさを追求する以上に官能的な曖昧さを残す面白さを感じるようになった。

 そこには数字には置き換えられない思いが残る。そして、それを感じたときにそのカメラがさらに好きになり、愛おしくなる。


 スマホ世代はフィルムカメラを使うらしい。それもフィルムを手で巻くカメラ。なんでわざわざあんなめんどくさいものを使うの?と、ずっと思っていた。そして、フィルムで撮っても結局データだけをもらうとか。おじさん的には信じられなかった。

 そして、そのデータをスマホで見ながらエモいとなる。


 おじさんの謎は深まるばかり。


 今回のカメラの話をそこに置き換えると少しわかる気がした。やっぱりみんな感覚が好きなんだ。


 なんとなく感じた感覚。それを残せるのが写真なんだと。



 だから、オレは写真が好きなんだ。



 また、次回

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