競技歴の振り返り(後半)
2001年〜2012年は(前半)をご覧ください。
2012年〜2016年
フラッグフットボール @中野バグース
前述の大西さんのお誘いで、日本選手権優勝〜世界大会出場を目指してチームReビルドをしている中野バグースに参加することにしました。
2012年4月1日の日本選手権はCBとしてスタメン出場させてもらうも、シチュエーションとフィールドポジションから読むディフェンスとしての勘ドコロがタッチフットと大きく異なり、肝心なところでゲインを許してしまいます。結果、決勝で敗退。不完全燃焼のまま一つの目標地点を達成することなく通過してしまい一念発起。フラッグフットも本気で取り組むことにしました。本格的なタッチフットとの2足のわらじは、この瞬間からです。
2014年には砂浜でやるフラッグフットボールで日本代表チームとなり、Asian Beach Games@タイ に出場。初の海外遠征で3位銅メダル。優勝したタイ代表は、この大会のために各人が仕事を調整して1ヶ月の合宿を組み臨んだそうで、海外勢の試合への貪欲さに学ぶ部分が多くありました。また、同じルールで外国人と戦えるフラッグフットボールにハマる。
その後、2016年W杯@マイアミを目指して活動するも、日本選手権@大阪EXPOで敗退し、出場叶わず。ここで一旦フラッグフットボールから離れることにしました。しかしながら、このチームで出会った数名は、このあとも長い付き合いになります。
2013年〜2016年
タッチフットボール @BOOZERS 第1期
ちょっとだけ時を戻します。バトルアルマジローズ時代のQB交代劇をきっかけにチームを刷新する動きがあり、BOOZERSを立ち上げました。
創設時メンバー:国塩・赤尾・右田・中島・種本・野崎・福間・三宅・中村・倉澤・倉本・坂無・鈴木・【種井】・【船越】
【】の2人は、フラッグの中野バグースで意気投合し、逆にタッチフット参戦をしてくれたのでした!(熱い展開その1)
BOOZERSとしてのスタート、私のタッチフットボール第3章の始まりです。
当時はラファーガ1強時代といっても過言ではなく、シュガーボウル・ファイナルタッチそれぞれ連覇連覇の超強豪チームでした。みんなフィジカルもありタッチフットが上手い。そんな印象でした。
そのような環境の中でBZSは、常に全国大会決勝、相手はラファーガを想定して練習・試合運びをし、勝ち負け様々な試合を幾度も重ねてレベルアップをしていきました。
2013年秋 全国大会準決勝でジャンブルに負ける
2014年春 全国大会出場ならず
2014年秋 全国大会出場ならず
2015年春 全国大会出場ならず
2015年秋 準決勝でジャンブルに1点差辛勝、決勝リヴァイアサンに勝利
ついに全国大会優勝!!
チーム創設時の目標を達成したことで、QB右田の時代はここで終わり。
複数のチーム幹部が引退しました。あらら・・大丈夫かBZS。
2016年〜現在
タッチフットボール @BOOZERS 第2期
2016年からチームキャプテンを拝命。
QB問題を抱えたBZS・・と思いきや、実は水面下で調整が行われていました。2016年春季から新QBとして「深澤ハル」が合流。昨シーズンに全国決勝で勝っといてよかったと今でも思ってます。笑
全国優勝をしたBZSの次の目標は「常勝チーム」になること。(前半)でも挙げた強いチームの条件「速いライン」と、そこに紐づくポジションの補強に取り組みました。要はリクルートという名の飲み会。
今でもチームの要となっている「DE#27土居麟馬」はこの時に合流。フラッグで出会い共にBZS立ち上げに加わった船越の高校同級生でした。その界隈の繋がりは強烈で、人脈が広がりに広がって、いまやこの91年世代がチーム内最大派閥となっています。さらにさらに、当時彼ら世代の早稲田学院キャプテンも合流したことで、高校時代にバチバチにやっていた早稲田学院vs法政二高のメンバーが、時を越えてBZSで一緒にプレーをしている。心の底から羨しいです(熱い展開その2)
・機動力のあるQB
・速いライン
・捕球力のあるWR
・速いラッシュ
BOOZERS第2期の武器は上記のとおりです。
これらの武器が最大限機能するように、オフェンス・ディフェンスそれぞれデザインされたプレー遂行できるよう、錬度を高めてきました。
結果は・・・
2016年春 全国大会 優勝
2016年秋 初戦敗退(延長PATルールを変えたライズとの撃ち合い試合)
2017年春 全国大会 優勝
2017年秋 全国大会 優勝
2018年春 全国大会 決勝敗退で準優勝
2018年秋 全国大会 優勝
2019年春 全国大会 優勝
2019年秋 全国大会 準決勝で敗退
BOOZERSチーム戦績
戦績だけで言えば、常勝チームとしての一つのカタチは作れたと思います。
今後のチーム動向としては、直近の大会で負けているのでそのリベンジというわかりやすい目標はありますが、大局的に見ると近年のタッチフットボール界の衰退に危機感を覚えています。
それに対してどういったアクションが起こせるか?
ここまで一緒にやってきたチームメンバーへ遺せるものは?
近年はそんなことを考えながら、チーム運営や自身の選手活動をしています。詳しくは番外編として書きますね。
まずは。ということでの競技歴の振り返りでした。
19年、いろいろあったなぁ。