パリで見たモネの眼
二週間のパリ滞在での良い思い出を、ご紹介できるのは嬉しいです。
ある日はマルモッタン美術館で、ゆっくりとモネを堪能しました。事前にチケットを買っていなかったため、入場の際には行列を並ぶことに。
40分ほど外で待つ間に見た銀色の空は、「なんともパリだなぁ」と、見ていて飽きません。
この日は、傘をさすほどではない小雨が、降ったり止んだりしていたのです。
美術館を出てから、ふらっと入ったカフェには賑わう人たちが素敵でした。
まだ明るい日曜日の夕方、リラックスした活気のある店内。
こちらのことをすぐに見つけてくれ、目配せで空いてる席を案内してくれるギャルソン。このテンポとリズムが心地良い。
注文したのはサラダボウルというのでしょうか、ライスの上に、お魚、野菜、フルーツが盛られていて、そこにエスニックなソースをかけて混ぜて食べます。
そういえば先日、別のカフェでオーダーしたサラダにもバナナやイチジクが入っており、フルーツをサラダに入れるアイデアは、自宅でもすぐ取り入れたくなりました。
さて、カフェで先ほどのモネに思いを巡らしてみますと、展示の最後に見た後年のモネ自身を撮ったポートレート、その写真が映すモネの眼が印象的でした。
もしもロマンチックで優しい眼を想像していると、それよりずっと険しい凄味に裏切られます。穏やかで夢の中にも似たモネの作品とは対照的だとも思わせる眼。
そうしているうちに、以前、印象派の画集で読んだ以下の一文を思いだしたのです。
「モネは眼にすぎない。しかし何と素晴らしい眼なのか」とはセザンヌ。「周囲の風景から受け取る感覚的で瞬間的な印象を捉えていただけでなく、後期は自らの記憶の中で純化された内なるヴィジョンという喚起力に満ちた風景を描く。」「構図の規則などにさして興味を覚えぬモネこそが、自然の外観のままにすっぽり身を浸かそうとする欲求のままに伝統的構成の強固な土台を捨て去った」
着目すべきは、”伝統的構成の強固な土台を捨て去った。”という点。
感覚的で瞬間的な印象を捉える代わりに、捨て去った伝統や様式があったことが伺えます。
後世の私たちが、モネの描き上げた光に満ちた優しい絵から、その裏で伝統や決められた枠組みに対して闘っていたことを読み取るのは難しい。
もしも本当に、モネが捉えていたものが、自分の心の動くところの注視と、それを守り抜く決意だけだとしたら、それはなおさらに。
カフェを出て見上げた空は高く、先ほどよりさらに、澄み渡っていました。
【レストラン カフェ】
la rotonde de la muette ラ ロトンド ドゥ ラ ミュエット
http://www.en.rotondemuette.paris/
写真のワンプレートはClassic Bistrotというメニュー(朝食時間以外で使われているメニューだと思います)の中にあった
CHIC POKE BOWL (フランス語ではle poke bowl par)です。
Raw Red Label salmon, avocado, wakame seaweed,
mango, white rice, chickpeas, lentils & seeds
25 €