努力の遺伝子
高校時代からの知人と久々に呑みに行った。
カレンダーを見返すと、最後に会ったのが2017年10月。2年ぶり。
彼はローススクールを卒業し司法試験に一発合格、法律事務所で働いたのち、今は中央省庁で法律のバックグラウンドを活かして働いている。そんな彼から嬉しい報告があった。今年の夏からの留学が決まり、おそらくロンドンの大学院に行くとのこと。
高校時代から彼は努力家だった。
僕たちの高校は大学の付属校。大学受験がない代わりに進学先の学部は、高校の定期試験の成績により決まる。彼は医学部を目指していた。全生徒の上位5%程度一番成績が優秀な人が行く学部。周りには所謂天才肌の人もいたが、彼は努力家だった。コツコツと勉強を重ね、医学部を目指していた。
だけど、コンマ数ポイントの差で彼は医学部に行けなかった。たまに呑みに行くと「自分は行けなかったから」と言う話を淡々とする。
2年ぶりに会い、激動の国際舞台での活躍の様子とともに大学院合格の報告を聞き、相変わらず努力する姿勢に、心からの尊敬の念を抱いた。
1年前の今頃(1月頃)、留学を目指すことを決め、激務の合間を塗ってコツコツと勉強を続けたそうだ。
机に向かって学ぶことを体が忘れてた僕にとって、思い浮かんだ彼が学ぶその情景は新鮮な響きで僕に流れ込んできた。最近僕にとって座るとは、PCに向かってメールを打ったり資料を作成したりする事を意味する行動だからね。
そのような言葉で感じたことを僕が口にすると、彼は高校の共通の友達の名前を口にした。その友達は、彼と同じように医学部を目指し勉強し、医学部に行ける成績を持ちながら、「医者にはなれない」と僕たちと同じ法学部に進学を決めた。
「努力家といえばそいつだよね」そう言う彼の淡々とした口調の中に宿る、自負を感じながら、彼がロンドンで机に向かい努力する姿が目の前に浮かんだ。