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2023年8月30日(水)晴れ

9時起床。朝ごはんを食べていると、「わざわざ家賃を払って近くに住むことないのに」とじじから言われる。「仕事で東京に住むなら分かるけど、鎌倉ならここと変わらないのに」「お前がいれば留守番も頼めるし、それならうちに半額払って住んでもらったほうがありがたい」などと言われた。気持ちは分かるけど、契約も済ませて引っ越し準備をしている段階でそんな言葉を投げられても。じじはよく同じことを何回も言うけれど、午前中だけで私の引っ越しについて3回くらい言われた。鎌倉からなら頻繁に顔も出せるからと流したが、なんだかとても気持ちが参ってしまった。じじは寂しいのかもしれないし、私だって寂しい。でも応援してとまでは思わないけれど、せめて何も言わないでほしかった。

そんなことから引っ越しのことで頭がいっぱいに。今日こそ仕事をしないとと思っていたのに、結局日中はずっと家電を探したり、電気やインターネット、ガスや水道を調べていた。私が住む部屋はプロパンガスで、ちゃんと調べてみると料金が恐ろしく高い。完全に甘く見ていた。自分のリサーチ不足のせいだが、予想を上回る高さに苛立つ。朝のじじとのやりとりもあって、今は新生活を始めることに対して楽しみより不安が勝ってしまっている。

どうして今、お金をかけてまでじじばばと距離を置くのか。このふたりと過ごせる時間なんてもうきっと何年もないのに。そんな考えが頭をぐるぐる回って心が折れそうになる。母からいつまでもここにいないほうが良いと言われていたことも影響しているけれど、私は自分ひとりの生活リズムを作りたかっただけで、じじばばのことが嫌になって引っ越すわけではない。

もうひとつ私の中で試してみたかったことがある。じじばばと一緒に住んでいる今、私が用事があって出かけるとき、ふたりを「置いて行く」という感覚が強くなり、いつも若干後ろ髪を引かれる思いで家を出る。自分が常にここにいる状態をやめてみて、ふたりに「会いに行く」機会が増えたらそれは変わるだろうか。こうして一緒に過ごす時間の量を減らして、質を変えようとしている。でも本当は、今のこの選択が間違っているとどうしても思いたくない自分がいるのだと思う。間違った先に待ち受ける状況が怖いから、選んだ道をどうにか正当化しようとしている。

調べ物をするのは意外と時間がかかり、気づくともう外は暗くなりはじめていた。こういう日は何もできなかったと感じてしまうので、少し運動をすることにした。いつもの自転車マシーンで汗を流しながら、友人の泉のラジオを聴いた。奇遇なことに、彼も今日は何もできなかったと感じていたようだった。しかし彼はラジオの終わりに、そんな自分自身のことを包み込むように「今日はそういう日なんだ」と受け入れていた。私もこの家を出るという選択を、今は一旦受け入れていい気がした。きっと1年前だったら考えられなかった泉のこうした変化は清々しく、未来の不安からひとまず目を離し、今日という日に踏みとどまる力をもらったような気がした。

23時過ぎまで、じじが1階の食卓で会社の決算作業をしていた。私はいつも夜シャワーを浴びた後は寝室のある2階に上がる。でも今日はなんとなく、じじの向かいに座ってこの日記を書くことにした。

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