2018/5 ドイツサッカー留学、その実態。後編
https://note.mu/keisukeimachi/n/ne160432f5ce8 前編はコチラ。
6月1日金曜日、珍しく雲が陽射しを遮り、涼しい一日になった。Düren Hbfから歩いて20分のところにGFC Düren 1899は拠を構える。メインスタンドがある天然芝のピッチとサッカーとホッケーのラインが入った人工芝フィールドがそれぞれ一面。その間に、テニスのクレーコートが六面ある。
午前10:30から、日本人選手だけのトレーニングが行われる。「ゲルト練」と呼ばれるこのトレーニングはもともとゲルト・エンゲルスさんが先頭にたってトレーニングを指揮し、そう呼ばれるようになった。
続々と彼らがやってきて、13人でトレーニングは始まった。ちなみに、このトレーニングに通う選手の大半は所属先が決まっていない。こうやって、複数人でトレーニングできるだけでも彼らにとって貴重な機会であろうが、ならば日本にいる方がよっぽど良い状況なのでは?と私は素直に思ったのだが・・。
その様子をGFC Düren 1899に所属する、鈴木諒と村田勉が見ている。この二人もまた、サッカーライフを通じてドイツへやって来た。
鈴木諒(27歳、FW)は14/15シーズンから二年間、蛭子順平とともにプレーし、16/17シーズンからは4部Regionalliga Westを戦うAlemannia Aachenに移籍した。しかし、トップチームでは主力に定着できず、6部を戦うⅡチームを行ったり来たり。17/18シーズン前期はついにリーグ戦はおろかカップ戦でも十分な出場機会を得られず、今季の後期からGFC Düren 1899に移籍した。来季は5部Oberliga Westfalenを戦うSportfreunde Siegenに移籍することが決まっている。
写真右の赤いキットを纏うのが鈴木諒。
鈴木諒「Aachenへの移籍に関する話は、当時は怪我をしていて日本で治療中に話をもらいました。『チャンスだ』と思いました。
(Aachenでの一年半は出場機会に恵まれなかったとの問いに)メンタル力が足りなかったと思います。良い意味でも自己中じゃないといけなかった。シュートミスしても気にせずにいれる強さが必要だったのかなと思います。
ドイツでもっと長くサッカーがやりたくて、どこの地域でプレーするとかは気にせず、就労ビザを下ろしてくれることがベストだし、オファーで行くのが良いと思ったので、オファーをくれたSportfreunde Siegenに決めました。そのことに感謝しつつ、運も良かったかなと思っています」
村田勉(24歳、DF)は東福岡高校、福岡大学を経て2016年にJFLを戦うヴェルスパ大分で一年間プレーした後、2017年1月にドイツへ渡り、16/17シーズン後期に五部のFC Inde Hahnで11試合ともフルタイム出場。今季GFC Düren 1899でも、リーグ戦全試合先発出場とフル稼働するセンターバックの選手だ。
村田勉「ドイツ挑戦のためのセレクションに参加して、『行かないか?』と話をもらってチャレンジしようと思い、来ました。
僕はもう今季限りで日本に帰ることにしています。もともと、ドイツで力をつけて日本でもう一度勝負したいと考えていたので。繋がりを通じて、J3などのクラブに練習参加できるように話を進めています。
ここは週三回しかトレーニングがないので、自分に足りないものを補える時間があったので、自主トレで力をつけたこと、海外のサッカーがどういったものかを経験できたことは大きかったと思います。
5部でも通用する部分はありました。4部にステップアップできなかったのは、やはり言葉の部分が大きい。日本ではフィジカルを持ち味にしていましたが、ここはそれだけでは勝てないし、賢さも必要だと感じました」
トレーニングが終わった後、中学を卒業し、去年4月からドイツへ渡った、柳太陽に話を聞いた。彼はFC Düren-Niederauに所属し、今季B-Junioren Mittelrheinligaでは八試合153分間の出場に留まっている。
https://www.fupa.net/spieler/taiyo-yagani-1285054.html
―ドイツ挑戦の経緯とは。
「日本とドイツ、あるいは世界との違いは個だと思います。中学生のときに高校、大学を卒業してから海外へ行くのは遅いという考えがあり、世界との差を埋めるためには個としての力の向上が必要で、それが必要になると早い段階で世界のサッカーに触れることが大事だと思い、中学を卒業してドイツに来ました」
―つまり、中学生の時点でサッカーで食べていく、代表を目指すということも考えていた。
「好きなことで食べていくのは難しいことだと思います。それでも、楽しさを忘れずにやっていこうと中学生の頃から思っています」
―学業は現在どのようにされているのでしょうか?
「難民家族の子供たちや僕たちのようにドイツ語習得のための生徒たちとでHauptSchuleに通っています。語学はもちろん、いま身近に学びながら感じるのが宗教についてです。クラスメイトには多くの難民の子たちがいて、治安が悪い国々の現状を知れました。文化が違うからその関係性でうまくいかないこともありましたし、日本では体験できないことを学んでいます」
―テロについても、日本ではなかなか考えにくいことでもある。
「日本はとても安全だと国だと思います。ドイツに来て、考え方が深まりました」
―サッカーについて。いまはセンターバックとしてプレーしているけど、中学生のころからもそうでしたか?
「小さい頃から周りと比べると背が高い方で、ヘディングや対人プレーで高く評価されました。ドイツでも対人プレーについては高く評価されることもあります。
サッカーを始めた頃は兄に憧れていました。今では、マンチェスター・シティのコンパニーに憧れています。パスは上手くないけど、対人プレーであったり、プレミアリーグの激しい戦いの中でもやりきれるディフェンスに憧れています」
―センターバックとしてプレーしていて、おもしろいこと、究めていこうと思う部分は何でしょうか。
「カウンターといった、自分のチームがピンチになった時に一対一を止めるといった対人プレーが好きです。相手のパスを、頭を使ってインターセプトももちろん好きです。攻撃ももちろん、パスが綺麗に通った時は『おし !』と思いますが、やっぱりディフェンスプレーが一番楽しいですね」
―FC Düren-Niederauでプレーしていて、ドイツのサッカーについて何を感じましたか?
「僕的には、日本人選手はボール扱いに長けている方だと思います。ですが、やっぱり日本人に比べてドイツ人はフィジカルが強く、身体のサイズも大きいですし、それを活かしたボールを放り込むサッカーをしたりもしますが、パスも繋げる。みんな、トラップが上手いです」
―自分はあまりB Juniorenのゲームを観る機会が少なかったのだけれど、A Juniorenに比べると荒れる傾向にあるのかな?と思うのだけれど、その点については。
「僕もその点に関しては同意で、喧嘩っ早いって言ったらあれですけど、個が強い分、カードをもらうといった部分に関しては日本より多いのかなと思います。レッドカードが珍しいわけでもないですし、『こんなにカードが出るんだ』と衝撃的でした」
―今季、チームではどういった立場にあるのでしょうか。
「出場機会に恵まれていないのが現状です。フル出場も一試合しかなく、先発も二試合しかない。監督とチームメイトからの信頼が勝ち取れていないのが現状です」
―センターバックだと途中出場も少ない、特殊なポジションだと思いますが。
「それというより、コミュニケーションの壁が大きいと思っています。選手個々との差はびっくりするほど離れているわけではありませんが、それが五分五分であればコミュニケーションできる方を選ぶのが普通です。今のチームはパスをしっかり繋ぐサッカーなのですが、僕は少しパスが苦手で、コミュニケーションだけでなくミスの部分でも信頼を勝ち取れていないのかなと思っています」
―中学校を卒業しドイツに来たのだから、御家族の方からお金が出ているわけで、ではどうやって還元していこうと考えていますか?プロ選手として食っていきたいと考えていても、その保証はどこにもないわけですが。
「出場機会が与えられていない中、ドイツでプロ選手になるのは現時点では厳しいと思っています。この状況において、いま何ができるかといえば、練習でアピールをし、ゲームに出場して結果を出すことしかない。努力が必ず報われるとは思っていません。ただ、報われるためにもそれ相応の努力をやらなければいけないと思っています。やっていけば結果はついてくるとも思っています。 日本に帰って大学や社会人リーグに入るといった可能性もゼロではないですが、ドイツに残れるのであれば上を目指していきたいです」
―FC Düren-Niederauユースの卒業選手で、その後のキャリアはどういったものになるのでしょうか。
「一人、1.FC KölnのⅡチーム(4部、Regionalliga West)に移籍したTimo Braunがいます。A Junioren時代では、多く得点して活躍しました」
https://www.fupa.net/spieler/timo-braun-793877.html
―来季、FC Düren-NiederauとGFC Düren 1899が合併する。太陽君にももちろん関わることだと思いますが、来季について決まっていることはあるのでしょうか。
「正直いって分からないです。来季、どこで練習できるかのかも分からないですね。ユースであれども外から引っ張ってくる場合もありますし、そうなるとゲームに出ていない僕は外に出されるのかもしれない。いま何がどうなるのか分からない状況で先のことを考えて行動していかなければと思っています」
午後18時から、週三日あるGFC Düren 1899トップチームのトレーニングに向かう途中、蛭子順平があるゲームの話をしてくれた。
15/16シーズン、Mittelrhein Pokal準決勝FC Viktoria Köln戦でのことだ。右サイドバックで先発したとき、マッチアップしたRene Klingenburgにチームもろとも圧倒されたのだそうだ。Rene Klingenburgは、MSV Duisburg、FC Schalke 04ユース出身で、ユース卒業後はFC Schalke 04 Ⅱに二年半在籍し、15年冬にFC Viktoria Kölnへ移籍した。いまは再びFC Schalke 04 Ⅱに在籍しているが、そのチームはいま5部リーグを戦っている。蛭子にそんな鮮烈な印象を残した彼でさえ、いまは鳴かず飛ばずの個人成績に終わっている。それでは、世界一を賭けて戦うフットボーラーはどれだけ凄いのだろうか。
この日、週三日あるトップチームのトレーニングには、鈴木と村田含めてフィールドプレイヤー八人、ゴールキーパーが二人しかやって来なかった。なかには、今週一度もトレーニングにやって来なかった選手もいる。小雨が降る中、蛭子はスタジアムのメインスタンド下にある、小さな筋トレルームで筋肉に刺激を入れるために黙々と汗を流していた。彼は今年で28歳になる。選手キャリアも怪我があったりすれば、そう長くないと捉えても不思議じゃない。でも、彼の目はまだ見たことがない景色を、いまだかつて経験したことがない刺激を身体が欲しているように思えた。黙々とトレーニングをしている姿を見て、カッコよくて、羨ましいとしか思えなかった。
6月3日日曜日、GFC Düren 1899 vs FC Düren-Niederau。Dürenダービーは15時キックオフ。ほのぼのとした雰囲気のなか、徐々に観衆が集まりキックオフを迎えた。このゲーム前の順位表では、首位GFC Düren 1899と2位SpVg Frechen 20は勝ち点62で並んでおり、3位FC Düren-Niederauは勝ち点57となっていた。
FC Düren-Niederauにも日本人選手が三人いる。キックオフ前の各選手のスタートポジションを見ると、今季は七得点しているFW登録の中村が左のサイドバックに位置していた。彼は、この日出場した全選手のなかで一番背の低い選手にあたる。
先制したのはアウェイチーム、Niederauだった。前半6分、ホームチームのDF、Yannik Böhrが相手のロングボールをトラップしようとしたところ、あろうことか自身の後方に流してしまい、そのままDaniel Blejaに決められてしまった。
しかしそれから、アウェイチームがゲームの主導権を握ることはなかった。ホームチームのGFC Düren 1899は上背があって体格的に圧倒できることを狙って、背の低い中村を起点にしていく。そして26分、アウェイチームGKがシュートに飛び出して、DFがそれをカバーし防いだものの、最後は鈴木諒が決めて同点とし、36分に逆転弾も決まって2-1で前半を折り返した。
後半も54分に鈴木が、89分にLucas Kirschbaumが得点し、4-1でGFC Düren 1899がダービーを制した。
ゲームが終わってしばらくすると、2位SpVg Frechen 20がこの日のアウェーゲームで敗れたと知ると、ドイツ人選手たちはビールを振り撒いて、大はしゃぎではないにしても喜んでいた。一方、遠藤と蛭子はまだ順位が逆転される余地はあるという会話をしていた。ドイツ人と日本人、来季クラブに残る人と残らない人、お互い、来季の立場が立場とはいえ、物事の考え方がリンクしているように見えた。
ゲーム後の遠藤、鈴木、村田、蛭子のコメントを順に紹介していこう。
遠藤雅史さん、ゲーム後のコメント
―4-1と大差がついたスコアとなりました。
遠藤「まずお互いベストメンバーではなかったため、選手層の厚さ、それと相手チームは優勝の可能性がないということも関係あったのかもしれませんが、モチベーションの部分での差も私達のチームの方が良かった結果だと思います。また自分たちの長所の部分(高さ、球際)をしっかり出せ、それが得点に結びつき結果に出たことが良かったと思います。
それに今日の対戦相手には何人か日本人選手がいました。
私達のチームの日本人は二得点、相手の日本人選手は残念ながら失点に絡んでしまいました。経験(ドイツでのプレー年数)の差もあると思いますが、助っ人外国人選手としての差も結果に出たのではないかと思います。
話は少し変わりますが、日本人とドイツ人ではフィジカルの部分など差はあると思います。でもその中でどのようにして戦うのか考えなければいけないと思います。どのように相手選手の攻撃を抑えるのか?どのようにドリブル、パスを使い相手選手を抜くのか?どのように相手ゴールから得点を奪うことができるのか?それを考え、結果を出すことで、日本人選手の助っ人外国人としての評価に繋がると思います。
日本人がいきなりドイツのチームに入って何ができるのか、助っ人外国人選手としてチームにどのように貢献できるのかをまず考えることが大事なことではないのかなと改めて考えさせられる試合だったと思います」
村田勉選手、ゲーム後のコメント
―金曜日のトレーニングでさえ、参加人数は少なかった。端的に準備不足では?と思うのも不思議ではないし、(6部だと)こんなものかと思えますが。
村田「今週、一度も来ていない選手でも結果を残している。ゲーム中のプレーが一番大事だということを一番感じさせられました。練習ももちろん大事ですけど、ゲームで発揮できる能力が大切だと思います」
―日本では、トレーニング中にバチバチやるのは危ない、という意見があったりする。
「こっちの激しさは日本にはないと思いますし、一番違う部分だとも思います」
鈴木諒選手、ゲーム後コメント
―二得点しました。状況的には、美味しいところをもらうようなゴールシーンでした。
「チームメイトが作ってくれたチャンスを決めるようなシーンは、加入した後期からこれまで多かったですね。得点以外の部分をチームメイトみんな、質高くやってくれているので、感謝しています」
―サッカーを続ける意味とは何でしょうか。
「単純に上手くなりたいということしかないです。それがドイツでやることで成長に繋がるから、ここでずっとやっている。カテゴリーも気にしていないです。オファーにしても、必要としてくれていると信じていくので、来季も楽しみでしかないですね」
蛭子順平選手、ゲーム後コメント
―相手チームに日本人選手が出場していて、彼らが弱点となって失点シーンに直結してしまった。チームとして弱点をカバーしあうということも必要ではあるけど、体格差をどうしようもないこととして放棄するのかどうかが問われる。弱点となっている彼らのプレーをどう見ていましたか。
「突かれているなとは思ったし、雅が言っていることは分かります。結局、単純なことですよね。フィジカルで負けているのであれば、個人でそれについてのトレーニングをやらなければいけないし、彼らはチームトレーニングだけで終わっている部分もある。ドイツ人と同じトレーニングしても身体は大きくならないし勝てないと思っているので、僕らはサッカーに集中していて時間があるから、自分で考えて筋トレし続けてきたし、差を埋めてきた。僕でも飛ばされることはあります。なら、身体をぶつけるタイミングを変えるとか、アジリティを活かしてボールへのプレッシャーを早くすれば、6部ではほぼやられない。偉そうなことは言えないですけど、僕はそうやってきて、個人それぞれ考えてやるしかないと思います」
―自分に矢印を向けるか、相手に矢印を向けるか、ということになる。
「自分に矢印を向けるべきだと思います。周りは変わらないので。僕はそういった経験をたくさんしてきた。周りが変わらないのであれば、自分が変わって、チームを勝たせて、自分が上に行けばいいだけであって。他人に矢印を向けているって、自分のプレーに集中できていないと思いますし、最近になってそう考えるようになりました。最初のころは諒と二人で悪口言ったりして、多少は言わないとストレスが溜まりますけど、いまは負けているときも自分に矢印向けるようにして、次なにができるかを自分で考えて準備に徹すれば、僕個人のパフォーマンスも上がってきました。ドイツ人相手にどこで勝つかを考えることが大事です」
―来季はポジティブに臨めそうですか?
「今いるメンバーの半分も残らないですけど、来季は新たなチャレンジで楽しみです。優勝すればまたポジティブになります。僕は怪我しているので、自分ができることをやって、チームには気を抜かずに、最終節も勝つことを願うしかないです」
この翌週に行われた最終節、GFC Düren 1899は4位TSV Walheimとのアウェーゲームを1-6で制し、リーグ優勝を飾っている。
これまで何人か5部リーグ以下の日本人選手を取材した。その中には、前期まったくチームが勝てず、あろうことか前期だけでそのチームを離脱し、移籍先を探すも見つからず、後期はフリーの身でいる選手もいた。あまりにもリスキーな行動に思える。
日本人選手は一年、もしくは半年で次のステップアップを考えている選手が多い。その選手も、心のどこかで自分は4部以上で通用できる、プロになるんだと息巻いていたことだろう。しかし、現実はどうだろう。目立った数字は残せず、相手に矢印を向ける頻度も多かったのではないだろうか。
三宅海斗、橋本峻弥、金城ジャスティン俊樹が所属したFortuna Düsseldorf Ⅱのゲームを3月から定期的に追いかけていた。上空をボールが行き交い、ボールを収めても後ろからの圧力に潰されるシーンが目についた。特に三宅、橋本の二人はその二点について、自らに矢印を向けるか、チームメイトや監督に矢印を向けるか葛藤があったはずだ。4月上旬、このⅡチームは監督が変わった。それでも改善は見られず、残留ギリギリの15位でフィニッシュした。橋本は残り二節を残した時点で突如としてベンチからも名前が消え、最終的にはクラブを去った。Ⅱチームとの契約は今年6月末だった。金城ジャスティン俊樹もクラブと契約更新せず、フリーの身にある。三宅海斗の動向はどうなるだろうか。
ビザについても、一つ言及しておこう。これはサッカーライフとは何ら関係のないことである。ある日本人選手が、チームスタッフの友人であるドイツ人に、サッカーとは関係のない仕事との両立の話を持ち掛けられた。それにより、就労ビザも取得できる、というものだ。なんでもそのドイツ人は市長と関係があるらしく、外国人局と話をつけてビザを取得できるよう手配してあげるように話を進めてあげると持ち掛けたのだそうだ。その日本人選手はもともと日本食屋との話があり、ドイツ人との話は実現には至らなかった。しかし、その選手も週六で勤務し、いまは忙しい日々を送っている。JFLや各地域リーグ選手と何ら変わりない日々である。
どれだけドイツにしがみつくか、サッカーにしがみつかくか。彼らはそこに価値を見出し、見出そうと、一年、半年、一か月、一週間、一試合、一瞬にそれぞれ散りばめられているチャンスの場面で勝負をする彼らは、目標とする舞台に立つことを夢見て、日々を戦っている。この取材紀は、ドイツを問わず、海外挑戦を視野にする日本人選手たちに、今後のためになる情報だと思ってもらえれば、幸いである。
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