お金を得ることで得ていたものと、お金を得ることが出来なくなることで得ることが出来なくなるものとは?
たとえば、仕事などで今までのやり方がうまくいかなくなった場合、
いろいろとやり方を変えたり、新しいやりかたを模索したりするかもしれません。
その中で、
仕事などで今までのやり方がうまくいかなくなったときに、
具体的にどういうことが問題となってくるのでしょうか。
お金
では、お金を得られなくなることで、ほんとうに得ることが出来なくなるものは、なんでしょうか。
食べることや、生活、、といったことは、ある意味定番なのでここでは省きます。
で、それ以外の、お金を得られなくなることで、ほんとうに得ることが出来なくなるもの、について、考えてみましょう。
例えば、
お金というものを得る(稼ぐ)ことで、あなたはもしかしたら自信を得ていたかもしれません。
そのような額のお金を稼ぐことが出来る私はすごい、という、自尊心や私すごい感を得ていたかもしれません。
お金を得ることで、だれかからの羨望のまなざしや尊厳・尊敬の念を得ることが出来ていたかもしれません。
または、単純にお金というものをGETした喜びや嬉しい気分を感じていたかもしれません。
ということは、どういうことでしょうか。
今までお金を得ることで、結果得ることが出来ていたもの
「自尊心、私すごい感、他者からの羨望のまなざし、他者からの尊厳・尊敬の念、etc…」
を、得ることが出来なくなると、あなたはどうなってしまうのでしょうか?
自分の価値を感じることが出来ないでしょうか?
自分の存在意義を失うような気分になるのでしょうか?
自分に対する誇りや自尊心を失ってしまうのでしょうか?
自分のことを誇れなくなったり、自分のことを素晴らしいと思えなくなってしまうのでしょうか?
お金を得ることが出来ないと、
あなたは
自分の価値や
自分の存在意義や
自分に対する誇りや
自分への自尊心
を感じることが出来ないのでしょうか?
何かが出来る、何か(この場合はお金)を得ることができる自分だと、
あなたは素晴らしいのでしょうか?
何もできない、何も(この場合はお金)を得ることができない自分は、
すばらしくないのでしょうか?
価値がないのでしょうか?
存在意義がないのでしょうか?
自分のことを誇ることが出来ないのでしょうか?
胸を張ることが出来ないのでしょうか?
何かが出来る自分/何もできない自分という条件付きで、あなたは自分を判断するのでしょうか?
何かが出来る自分/何もできない自分、に関わらず、あなたは無条件に愛される存在ではないのでしょうか?
今度は少し見方を変えて、
お金を得るという言葉に注目してみます。
お金を得るの、”得る”という言葉は、
エネルギーのベクトルでみると、
外から内(私の方へ)というベクトルです。
矢印で表すと、”私←外”です。
では、例えばあなたが
お金というものを得る(稼ぐ)ことで、あなたはもしかしたら自信を得ていた
のだとしたら、
あなたはお金を得ることで、自信を得ていたということになります。
ということは、
お金を得る前の、手前の段階では、
あなたはどういう状態なのですか?
もう一度いいます。
あなたはお金を得ることで、自信を得ていたということは、
あなたはお金を得ることで、自信を感じることが出来る
ということです。
では、お金を得る前の、その手前の段階では、
あなたは何を感じているということに、
なるのですか?
それは、お金を得ることで結果得ることが出来ていたもの
「自尊心、私すごい感、他者からの羨望のまなざし、他者からの尊厳・尊敬の念、etc…」
の、逆の感情です。
逆の感情なので、
自尊心→自分を誇らしく思えない気持ち、ダメ感
私すごい感→私ダメ感、劣等感
他者からの羨望のまなざし→見下されるような目線
他者からの尊厳・尊敬の念→馬鹿にされたかのような念
…….…。
感の良い方はもう気づかれたかもしれません。
自分を誇らしく思えない気持ち、ダメ感
私ダメ感、劣等感
見下されるような目線
馬鹿にされたかのような念
これらのキーワードをみて、
なにか思いだすことはありませんか?
そして、このお話は前にもしましたね?
これ(https://note.mu/keisuke_world/n/n94c91dce75bb )
とか
これ(https://note.mu/keisuke_world/n/nf574d4d416d7)
これらの感情の開放がカギになってくるのです。
つづく