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お金はダミー。心の感情さみしさと向き合う話し。

今日は、久しぶりに感情のお話です。


私はここのところしばらく、
悲しい、さみしいという気分と向き合っていました。


みなさんも、日々の生活で
お仕事をしてお金をいただいたり、
または、お買い物をしたり、何かのサービスを受けたりしたときにお金を使う機会があると思いますが、

私は、
何か物を買ったり、サービスを受けるときにお金を使うことによって、
お金がなくなる
または
お金が減る(ように見える。ほんとはお金はなくならない)
ことが、実は私はさみしいと感じているということに気づきました。

だから、逆を言うと、
お金がたくさんあると、
嬉しい
と感じるということです。

ということはですよ、
お金が減る(なくなる)ことで、さみしい気分になる

ということは、

それは、よく考えてみたら、
お金を出来るだけ出さないように、
お金を出来るだけ使わないように
したい、

という動機になるのも、
自分で考えてみても
それは道理だなぁ
と思いました。

だって、毎日を過ごす中で、
気分はいい気分で過ごしたいと思うし、
逆に、嫌な気分やさみしい気分になるのは嫌(避けたい
という気持ちが働くからです。

そこに、お金を使うことと、
そのことによって、その度にさみしい気分になるのって、
日々いい気分で過ごしたいという思いからすると、
私は避けたいというか、嫌だからです。


けれど、私は知っています(チコちゃんは知っている

さみしい気分になるのは、お金がなくなる(減る)から
なのではなく、

私の中に、
そもそもさみしいという感情がある

だから、
お金というものがトリガーになって、
そのさみしい気分を刺激する、ということなんですね。

もし根っこに、
そのようなさみしさの気分があるのなら、

お金が入ってきたり、出て行く度に、
そのスイッチが押されるわけですね。笑

一方、日常では、
お金を使ったり受け取ったりする機会は
たくさんあるので、
もし根っこにそのようなさみしさの気分があるのならば、
その度にさみしい気分(痛み)が刺激されてw
たまったものじゃありません。

だから、その感情をフリーズさせて過ごす、
というのは、多くの人がよくやることで。。

けれども、そのさみしい気分を感じたくないと言って蓋をすると、
それは同時にお金が入ってくることを拒否することにもなります。
なぜなら、無意識ではお金が出たり入ったりすることで連動して動くさみしい気分を感じなくてよくするために、お金そのものがない方がいいと望むことになるからです。


まぁ、そこに気づけば、その機会ごとに自分の中にあるさみしい気分を手放すいい機会になるのですけれどね。

よく言われることですが、
お金は中立なエネルギーです。

お金は、中立なエネルギーであり、
愛です。

だから、お金に愛(愛情の方の)を見るとするならば、
お金がたくさんあると嬉しくて、
お金がなくなる(出ていく)のはさみしい
と感じるのは、
それはその私は愛を欲している自分です。

そして、愛を欲しているその私も、
本来愛なのですけれども。

これが、頭でわかっているのと、
感情レベルでクリアなのとでは違う
のですが(私



さみしい気分というのは、
それは、喪失感というふうにも言えます。

その喪失感を味わいたくない、
だから、
例えば、お金を手放さないようにと執着したり、
例えば、何か捨てたいものがあるのにそれを手放さないようにと、
いろいろ執着が起きるわけですね。
お金で来ない場合は、
それは人間関係だったり、仕事で来たり、、、

というふうに、
必ず何かで来るという、そういう仕組みになっています。笑

そうしたときに、あなたは今まで抱えていた古いエネルギーを

持ち続けることを選びますか?
それとも、
手放すことを選びますか?
と、宇宙に問われることに
なるわけです。


悲しみや寂しいといった感情も、本来はバイブレーションが違うだけなのであって、元は同じ愛のエネルギーです。

だから、そのエネルギーを表現して出すと、そこには新しいエネルギー(愛)が入ってくるのです。

もし、古いエネルギーを手放すことを選んだ場合は、
そのさみしい気分に心を開いて解放するプロセスになります。

そういう気分の根っこには、

人によっては大概、過去に自分が否定して置き去りにした
もう一人の自分がいる
というパターンが多いのですが。。。


私の場合は、
子どもの頃に、
たぶんお菓子か何かを買ったと思うのですが、、

端的にいうと、
私がお金を使う(減らした)ことで
お母さんに悲しい思い(嫌な思い)をさせたようにみえたのです。

そして、

それは私のせいだと思い込んだのです。

私 お金 使う 減る お母さん 悲しい 私にとっても嫌(悲しい)
という固定観念が完成しました。

そして、お母さんを悲しませた自分が自分で悲しかった(喜ばせることができなかったという無力感)と、そのような自分を、自分が、
お母さんを悲しませるような自分は嫌いだ!と、
嫌ったのでした。

そして、
もうお母さんを悲しませることは絶対しない!
と決めたのでした。


それは私のせいだと思った瞬間、
自分へのジャッジ(判断)
と、
自分が自分のことを、自分がわるい、と決めつける構図になります。
そして、私から、自分がわるい、と言われた方の自分は、
私はわるくない、なのに、私に勝手にわるものに決めつけられる、という被害者意識が生まれます。


けれど、
それはお母さんの中にもともとあったさみしさから来る反応
だったというだけなのであって、

それは私のせいではなかったのだということがわかりました。
それは私がわるいのではなかったのだと分かりました。

なーんだ、
私は悪くなかったのかぁ

なーんだ、
私は良かったのかぁ

なーんだ、
私はいい(まる)だったのかぁ


私、ごめんね

けれども、その状況では、
てっきりお母さんが悲しんだのは自分のせいだと
勘違いしてそう思い込んだのですね。
私が私を誤解していたのでした。

もうお母さんを悲しませることは絶対しない!
と勝手に決めた
自分に設けたルール、禁止(たぶー)、制限、ブレーキ、価値観、優先事項

私はその禁止を解除することを選びます。
私はそのルールを解くことを許します。

私、ごめんね

そして、
さらにいうと、
そう思い込むことも、

本当の私が、
お母さんというエキストラに
悲しむように台本を渡して
その状況で悲しむように演じてもらい、
そして、それをみた私は、
それが私のせいだとてっきり思い込むように、
設定していたのです。

そうして、
私のせいという思い込みを持って、
ことでできる体験をする、という設定だったのですね。

私は、それらの感情や意識を

クリアにして手放します。

そうなりました。
ありがとうございます。



つづく






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