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Vol.00:広告クリエイターのアカデミアの挑戦
「自分の制作したモノで、人を笑顔にしたいです!」
これは僕が約15年前、フィンランドの大学院生だった頃、就活で言い続けていた志望動機です。当時の広告業界は本当にキラキラしていて、この舞台にデザイナーとして立つことを夢見ていました。その後、日本に戻り築地にある制作プロダクションに入社し、青山のオフィスで日夜さまざまな仕事に没頭してきました。デザインが下手だった僕は「他の人の倍やれば追いつける」という部活根性で、寝る間も惜しんで努力を続けていました。
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やりがい
入社当初は、自分の実力不足を痛感しながらも、辛いという感覚は不思議となく、毎日楽しく命懸けで広告制作に挑んでいました。一つのチームとして作品を作り上げ、それを街中で見かけたり、電車の中で知らない人が自分の作ったモノを見ている瞬間に出会う。そのたびに達成感とやりがいを感じていました。国内外で賞を取れた時の喜びも大きかったです。
時代の変化点
数年が経ち、中堅になった30代。自分で仕事を回せるようになり、ディレクターにも昇格しました。その頃、東日本大震災、リーマンショック、労働改革、そしてコロナと、社会も業界も大きな変化を迎えました。広告制作の現場にもその影響が押し寄せ、以前のように一心不乱で作れる環境が次第に狭まっていく感覚がありました。
数千万円規模のリッチコンテンツが、数百万円の簡素なサイトに変わり、広告的なアプリの需要も薄れていきました。制作する表現の幅が徐々に縮小し、100%の力で向き合っているはずの仕事に、どこか違和感や限界を感じ始めました。
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領域ピボット
気づけば「自分の作品です!」と胸を張って言える仕事が年に2本ほどになり、僕は表現の場を映像やモーショングラフィックス、インフォグラフィックスなどに広げました。さらに新規事業にも挑戦し、地域創生やビジネスデザインといった新しい分野にも取り組むようになりました。これらは表現の可能性が広がる一方で、改めて自分の勉強不足を痛感する機会でもありました。
焦燥感と兆し
一方で、広告の制作物が時代に消費され、短命に終わることへの焦燥感も強まっていきました。「これでいいのか?」と考えるたび、モヤモヤが募ります。気づけば40代。「このままでは表現者として終わる」という焦りが現実味を帯び始めました。
でも、転職を本気で考えた末に出した結論は、「環境のせいにしても何も変わらない」というシンプルなものでした。環境が変わったとしても、僕自身が変わらなければ人を笑顔にするものは作れない。そんな思いが、自分を再び奮い立たせてくれました。
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ソーシャルイノベーションはじめました
最終的に、僕が選んだ道は「学び直し」でした。社会に対して新しい視点を持つために、そして自分を変えるために大学院受験を決意。広告業界の息の短い仕事から少し距離を置き、息の長い分野を一から学ぶための挑戦です。40代でも何かを成し遂げられるとしたら、それはかっこいいことじゃないか。自分はまだ成長できるのか。そう思い、一念発起で受験勉強を始めました。もちろん、仕事をしながら。
「大切なのは、自分がどう生きるかだ。」
– 宮崎 駿
2023年7月