見出し画像

頑張れ新人vol.9,頑張ろう中堅vol.4「人権教育がピンとこないあなたへ」

 コロナウィルスで世界の大混乱が続いていますね。昨日は関東で地震もあり、このタイミングで別の天災が訪れることへの恐怖心が芽生えました。昨日、卒業生から「コロナの影響で就職のための実習がなくなってしまいました。不安です。」という連絡が来ました。障がいがあり、職業訓練校に通うその子のような境遇の人たちはたくさんいるのでしょう。途端に、心配になりました。

あいつは?あの子は?この状況で大丈夫なんか?

 初任校は人権教育推進校でした。そこに9年いたおかげで、自分なりにではありますが、人権教育の大切さは理解できるようになりました。初めは「人権って大切なんは分かるけど、、、」と思っていました。少しいつもより長いのですが、当時の私と似たような人にこそ、最後まで読んでほしいです。

・なんも分からんなかで、「ふつう」に努めた初任時代

 人権のテーマは様々。男女差別やジェンダー・障がい・国際・貧困、、、etc。「この学校は人権にここまでエネルギー割くんやぁー、ちょっとめんどくさそう」。その程度の理解の私が、はじめに出会ったのは、障がい。知的障がいのある、僕より大きな男子生徒Kと、おしゃべり好きの女子生徒Fでした。

 FさんはHRクラスと個別授業で関わりました。論理的なコミュニケーションが取れる生徒だったので、それほど困ることもなかった。(逆にいえば、その子の課題はもっと見えにくいところにあったんだけど)

 Kさんは困りました。パソコンの授業のサポートだったのですが、会話ができない。彼の中には気持ちがあって、意志もある。それは当時の僕にもわかりましたが、発語をコントロールすることがほとんどできないため、読み取ってあげないといけない。自分の言葉が届いているのかもわからない。

 無策の私は、「ふつう」に努めることで精一杯でした。1年生でしたから、他の生徒も私と彼の関わり方をうかがっている。「ふつうに関わってもいい」ってことだけでも見せよう。レベル1にしてはよくやった方だと思いますが、それ以上のことは何も考えられませんでした。

・3年間のゴールに近づいて

 KさんやFさんが3年生になり、すっかり学年のシンボルのような存在になったころ、卒業後の就労を画策する時期がきました。支援の担当の先生が走り回って、就労のための実習などを見つけてきます。障がいのある子どもたちの出口補償は、とんでもなく大変なものでした。そこには間違いなく、世の中の生きづらさがありました。

 差別とは、いじめや差別発言のことのみ認識していたけど、その生きづらさに深い根を下ろすものなのか。突発的な差別よりも、日常的な淡々とした差別の方が恐ろしいのではないか。当時、そんなことを感じていたような気がします。

・生きづらくない3年間を

 生きづらさを抱えている生徒は他にもたくさん。性自認で悩む生徒、筋ジストロフィー症を患う生徒、生活保護受給家庭の生徒、国籍が違うことを隠している生徒。

 まず学校が、安心できる、ここに居ても大丈夫という学校でないといけないと思うようになりました。・・・こんなふうに言うと、すごいしっかりした人権意識みたいに聞こえますが、実際に生徒たちが苦しいと思っていたことを汲み取ってあげられていたわけではありません。出口のことは、まだあまりわかりませんでした。4年目、5年目あたりの話です。

・頭の中がユニバーサルデザイン化

 学校がその生徒にとって「いてもいい場所」になったとして、世の中に出ていくときはやはりやってくる。そのときのために、「自分を肯定的に認められるように、胸を張って生きられるようになってほしい。」いっちょ前にそんなことを考えるようになっていました。そこまでに6年が経っていました。あるとき、考え方が開けます。

「それって、どの生徒もそうやん。」

 学年を見渡せば、自分に自信のない生徒だらけ。なんてことはない、人権教育っていうのは、どの生徒も自信を持って生きていけるようになるためのものなんか。全然シンプルやん。

・3つのステップを目標に

①自分のことを大切にすること。②大切な人を大切にすること。③人の大切にしているモノを大切にすること。

 自分の中でですが、この3つを高校3年間の人権教育の目標としました。本当は世の中にもっと優しくなってもらわないといけないんですが、私の仕事は生徒を伸ばすことなので、いつか「世の中になる」子どもたちに、このことを学んでもらおうと思ったのです。それが私が卒業後に向けてできることでした。

・教師の人権意識は一般人よりも上にないとあかん

 生徒への働きかけはシンプル。差別をしない人ってこんなふうに振る舞うんだよって身をもって示す。生徒はそんな教師を感じながら、時間の許す限り具体的なテーマについて学ぶ。

 でも逆に、教師はずっと勉強せなあかん。大事な生徒ひとりひとりが抱える問題は全部違う。「生まれた場所なんて関係ないよ。ふつうに接したらいいんだよ。」生徒はその程度の理解でも進んでいけるかもしれないけど、教師はそんなんではあかん。痛みに気づかれへんようではあかん。

・人権意識はない方が楽?

 人権意識に欠ける人は、人を簡単に傷つけるし、そのことに気づきません。気づかないから本人は楽なんですよ。自分は差別なんてしない、って心から思ってる。

 だからこそ生徒にはきちんと選ばせたい。そんなふうになりたいか、人を大事にできるようになりたいか。


これが、教員生活10年で変化した自分の意識です。途中あつくなるあまり謎の関西弁も飛び出しましたね。ごめんなさい。ここまで読んでくれた時点で、すでに意識のある方な気もしますが、一助となれば幸いです。

いいなと思ったら応援しよう!