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怒られるのって嫌じゃないですか?
相手のことを想って怒ってるってほんまですか?
怒るのもエネルギーいるから怒ってくれる人に感謝すべきってほんまですか?
ほんまの場合もあるし、ほんまじゃない場合もあると思います。
テクニックとして怒る人と、直情的に怒る人とで違うんじゃないかと思います。
前者は本気でキレている訳ではないので相手を反省させることができたり、相手に意図が伝わって改善に繋がると思います。
また、テクニックとして怒っているのでその後のフォローも的確な場合が多いです。
しかし後者の場合、怒られた側は申し訳なくなるというより、「何やねん」という感情になる気がします。
直情的に怒った場合、誘導できないです。指導にならないです。
反発的な感情が湧き上がるだけで良い方向に動かないパターンが多いと思います。
つまり、冒頭で述べた問いに対する"ほんま"か、"ほんまじゃない"についてですが、テクニックとして怒られる場合は"ほんま"で、感情をぶつけられただけの場合は"ほんまじゃない"と思います。
それでは、世の中の指導する立場にある人はどちらでキレる人が多いのでしょうか。また、どういう意図でキレるのでしょうか。
もしキレて反骨心を煽って更なる結果を出させようと意図してるならそれは古いんじゃないかと思います。
学校にも親にも怒られにくくなった現代に、昭和の感覚はちょっとズレてると思います。
昔の学校教育は先生の言うことに従って、「理不尽なルールに縛られていた」「理不尽な指導を受けてきた」と聞きますが、今は理不尽に怒られることが少なくなっています。
なんなら生徒の意見が先生の意見を変えたりします。
そんな現代っ子を叱る時にはキレるより「こうされたからこう思った」と不快に思った理由を主張して、同時に相手にもどういう気持ちでそういうことをしたのか訊いて、議論することが必要だと思います。
それが注意の段階です。それでも同じことが続くならテクニックとしてキレる段階に移るべきではないでしょうか。
今まで優しく注意してくれていて、さらに傾聴の姿勢も見せてくれていた人がキレたとなったら、さすがに反省して改善しなければという意識が刷り込まれると思います。
もっと言えば、きちんとコミュニケーションを取って相手がどんな人物が把握した上で人間性に合った怒り方をするべきだと思います。
上で今の子どもはあまり怒られなくなったと述べましたが、学校や家庭によって環境の差はもちろんあるので、相手がどんな人物か見極めた上でその人に合わせたオーダーメイドの怒り方をするのが理想です。
そうすれば冒頭で述べた問いが"ほんま"である割合がどんどん高まると思います。
あまり矯正されずに育った若者がこういう考え方になっているので、感情任せに怒ってる人は舐められます。
怒りに任せてまくし立てたりとか、直情的になるんじゃなくて議論をすべきです。相手の主張を理解して自分の主張を述べるべきです。
そこそこ良い環境で育っている若者は素直ですし、大人の経験には説得力が伴うので普通に受け入れます。
お互いにリスペクトするのが大事ですよねっていう基本的なお話でございました。
なんやかんや言いましたが、結局怒られるのって嫌じゃないですか?