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両親が亡くなった直後について

こんばんは!けいしょーです。


粛々と更新していきます。

前回の記事では母が亡くなった時のことを記載しました。

アドバイス的なメッセージ性はないですが、人が亡くなる時の情景や思いについて共有させていただければと思ってそれを形にしました。


今回は両親が亡くなり、後ろ盾を失った直後の生活について記載します。

こちらもアドバイス的なメッセージ性はありませんが、共有させていただきます。


両親が亡くなったその直後

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高校3年生の9月末に母が亡くなり、その直後から私は母方の叔母の家に引き取られました。母が生前絶大の信頼を置いていたのが叔母であり、亡くなる前からもしもの時があった際に私が叔母の家に入ることが決まっていたようです。


私自身、叔母には幼少時代からかなりのお世話になっており、仲も良かったため、すんなり受け入れることができました。


ただ、もともと通っていた学校まで家から自転車で30分だったところ、電車徒歩1時間30分の距離になってしまいましたが文句は言えません。

その中で授業・部活・受験勉強をこなしていきました。朝5時に起床し、夜23時に帰宅するという生活でしたが気力で乗り切りました。

部活も尽力してきましたが、11月の県予選で敗退したことにより引退となりました。それからは受験勉強1本に労力と時間を費やしてきました。


親戚とはいえ別の家族の家

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部活を冬まで続けていたので、正直浪人も視野にありました。

ですが、叔母の家に行ってからは"受かった大学に進学する"という方向にシフトしました。


というのは、親戚とはいえ別の家族の家であるとつくづく感じる瞬間が多々あったからです。もちろん叔母にも叔父にも一緒に住んでいた祖父母にも感謝はしています。

家にいるときはいつも気にかけてもらっていて、勉強をしているときはお菓子や夜食を持ってきてくれたりとかなりしてもらっていました。とても優しい方々です。


ですが、返ってそれが叔母の家をでる理由となりました。

感謝の気持ちは必然的に持ち合わせていましたが、私がいることによってかなりの気を遣わせてるのではないか、と思ったからです。18年間毎日一緒に過ごしている親にしてもらうことと突然移り住んだ家の叔母にしてもらうとでは感じ方が違ってきます。


まあ決定的だったのが、年末年始ですね。

叔母家族が家族団欒と居間でTVを見ていました。絵に描いたような平和な家族を見ているようでとても私はその中に入ろうとは思えなかったので別部屋で勉強していました。


このまま叔母の家に甘えても良かったのかもしれませんが、やはり自分にとって違和感は収まりそうになかったので、大学に進学し自立を図ろうと決意しました。


大学受験は失敗、それでも進学

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見出しにもある通り、結局第一志望としていた大学には受かりませんでした。

それでも一人暮らしができるので東京の大学に進学しました。


もちろん家にいずらかったこともそうですが、茨城(に住んでいました)にずっといることで辛い気持ちが拭われないとも思っていたから環境を大きく変えたかったから、というのも理由の1つです。

父・母との日々は私にとって掛け替えのない記憶ですが、心が苦しくなる記憶でもあります。とにかく何かを変えたかったのです。


大学進学をした後のことは何も考えていませんでしたが、刺激的な大学生活を期待して叔母の家を出ました。

家を出たといってももちろん時々返っています。

私の帰る場所の1つとして良い関係は続いています。

本当にありがとうございます。


やるせない気持ちに共感して寄り添う

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以上ここまでが両親が亡くなった直後についてです。決して不自由していた訳でなく、なんなら親戚に恵まれていたので感謝の気持ちでいっぱいです。

けれどもやり場のないやるせない気持ちもありました。

このnoteではそういったやるせない気持ちを共有する場としても使わせていただいています。このような気持ちはなかなか共有できるものではないです。ただ同じような気持ちを抱えている人はきっといくつか存在していると思っています。

私はそんな人たちの気持ちに共感して寄り添ってあげられればと思っております。

これからもそんな記事を書いていきます。


引き続き、よろしくお願いします。



けいしょー

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