第25話『Leave me alone』
ガンガーの朝は早い。日の出とともに朝のプージャ(ヒンドゥーの礼拝儀式)が行われるからだ。昨晩のプージャで隣に座り色々と教えてくれたサーシ君が朝も一緒に行こうと誘ってくれたので、朝5時にアッシーガート(ガートとは河辺に設置された拠点広場で、ガンガーには84存在する。僕の宿にほど近いアッシーは上流の端に位置する)で待ち合わせをした。
ガンガーに朝日が昇る様は筆舌に難く、荘厳と言う他ない。朝のプージャを見学した後は、サーシ君先導の下、下流に向かって歩み続ける。早朝から沐浴する人々を横目に、朝6時過ぎとはにわかに信じられない賑わいを見せる河のほとりを進む。40分程歩いた先に僕が見たかったマニカルニカガートが見えてきた。
マニカルニカはガンガーの火葬場で最も神聖とされる場所で、その火葬用の薪は3000年燃え続けているとされる。ここで遺体は燃やされ、流される(バラナシは路上で遺体を見つけることも珍しくない)。賑いを見せる確かな生と、厳然と存在する死がまさしく隣り合わせに同居する。
マニカルニカに近づくと、「火葬を近くで見ないか?」としつこく迫ってくる男が。話に乗ると、見学料を請求されるというやつだ。事前情報として知っていた僕は、NOの一手だが、僧侶まで出てきて「徳を積めるから」と迫ってくる。なかなか振り払うのには苦慮している最中、傍観しているサーシ君助けてくれよと密かに思う。
さて、マニカルニカまで行ったところで、ガートから街に登り、賑やかな旧市街に。朝から人、バイク、リキシャ(最もポピュラーな乗り物の3輪のオートバイクで、日本の人力車が語源になっているのは驚きだ)で大混雑だ。そもそも河辺を真っすぐ40分歩いてきた先である、ここから大混雑の市街地を通って戻れば1時間は歩くだろう。
僕はサーシ君に河辺に戻ってから歩こうと提案する。しかし、彼は「市街にも見せたいところが沢山ある」と笑顔で譲らない。僕はそんな彼の屈託の無い笑顔をぶん殴りたくなる。なにせ僕はインドに来てから常にお腹を下しているので、この時も1秒でも早く宿のトイレに駆け込みたかった。排便を我慢している時のあの凶暴性にはシヴァ神も慄くことだろう。「優しさ」とは、本当に人間の余裕に依拠しているのだとインドの地で再認識する。
何とか持ちこたえて戻ってきたところで、サーシ君は僕が欲しいと言っていた現地の服クルタのお店に夕方連れて行くから、ついでに観光もしようという。殴りたいと思ってごめん。16時に再開を約束し、別れた。
夕方。彼はラームナガル要塞に行こうと言う。恐らくバラナシでガンガー以外唯一の観光スポットだ。僕も事前に調べてはいたが、正直ジャイプールの要塞を経験した後では食指は動かなかった場所だ。だが、折角だ。二人でリキシャに乗る。ここで些細な事件が。リキシャとのやり取りは当然地元民の彼に委ねていたが、値段を聞くと200Rという。僕もインドに来て3週間。何となくの相場観は掴んでいる。不安になり、ウーバーで検索してみると、やはり100Rで事足りる。彼に高いと運転手に言えと伝えると、何やら言い争ったあと、負けたことだけはわかる。乗車時に200でのんでいるのだから当然ではある。ここで気が付く。彼は頼りにならない子なのだ。
一度生まれたしこりは赤甲羅のように付きまとい、城塞の入場料や、飲食代など僕が出しても一言もお礼が無いことも気になり始める。こうなると、熱心に様々なことを解説してくれる事にも、本当は気ままに写真を撮りたいのにという不満が募る。正直一人で回りたいなと。そして、ネガティブな思考は加速し、「そもそもこの子何が目的なのだ?」という疑念に至る。本当に最終的に彼の紹介する服屋について行っていいのか。
ここで僕は意を決して、宿で人と会う約束しているから、服はいいからもう帰ると申し出る。もし疑念が正しければ自分のリスク管理を褒めるところだが、間違っていれば本当に申し訳ないことをしたことになる。
彼はしかし、あっさりと、長い時間かけすぎてしまったね、じゃあ戻ろうと承諾した。
なんていうことをしてしまったのだろう。昨晩から2日間も異国の人間に地元の魅力を伝えてくれていた19歳の少年を疑い、あしらうとは。帰りのタクシーの中で激しい罪悪感に苛まれる。
「Nice to meet you」そんな別れ際の彼の言葉が嬉しかった。僕も「Thank you for your kindness for two days.」と笑顔で返す。そんな彼から最後の言葉が返ってきた。
「So, pay a guide fee. I go around many with you and educated you.」
この時の僕の感情をなんと表現したらいいのだろうか。虚しい、という月並みな言葉しか出てこない。インドの地で現地の少年と出会い、交流することに喜び、疑い、安心し、そして。
僕は深い失望感と共に、何も言わず手持ちの500Rを渡し(高額だが崩しに行く気力すらなかった)、真顔でbyeと言い残し足早に去っていく彼の背中を見送った。
冷静に考えれば当然の結末なのだが、昨晩は何も要求してこなかったことが僕の判断を鈍らせた。今考えれば彼も中々どうしてやり手だったのかもしれない。
お金が惜しいのではない。「外国での友情物語」に酔っていた自分が恥ずかしくなった。しかし、彼とこの2日間笑い話をしたこともあったし、事細かに説明してくれた文化やスポットにも嘘はないだろう。お金目的であったとしても、親切でもあった彼と、その経済状況など、様々な思考、感情が渦巻きながら宿へと歩いた。
宿に着くと、その足で共有テラスのバースペースに向かう。とにかくビールが飲みたかった。
一息にビールを飲み干したところで、テラスで大麻を楽しむヒッピーグループが一緒にやらないかと声をかけてくる。インドでは違法である。もう疲れた。
「Thanks, but please leave me alone」