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カナダ滞在記#2 ミュージシャンたちが住むシェアハウス編


ホームステイ期間を終え、僕はシェアハウスへと移っていった。

シェアハウスには、日本人の女性二人と、カナディアンの男性、そして1匹の猫が住んでいた。

屋根裏部屋がミュージックルームとなっており、ドラムセット、ベース、ギターやキーボードといったメジャーな楽器から、一般には知られていないようなマイナーな楽器まで一通り揃っているものすごい部屋だった。

楽器どころか、音楽にさえ触れてこなかった当時の僕に、この部屋は告げていた。

「音楽を始めるなら、今だ」

彼らは3人でバンドを組んでいた。バンド名はそのまんま「The Room-mates(ルームメイツ)」という名前で、どうやら「ルームメイツ」にはドラマーがいないらしかった。

「音楽をやれ」と囁き続ける内なる声に僕は従い、その瞬間から僕の両手はドラムスティックを握るためにあり、全神経は「音楽」を習得するために使われた。なんて言えば大げさだが、もともと0か100かみたいな極端なタイプの人間が、音楽を100の状態で始めたことを言いたいのである。

ドラムを始めてから2週間後、路上で演奏を始め、二ヶ月後にはミュージックフェスティバルに出演した。その後もラジオで演奏したり、バーで演奏したりとバンド生活が始まった。

下の動画は、音楽を始めて一ヶ月ごろの動画。

この動画だけでも、カナダの良さが伝わるだろうか。

自然豊かな場所に巨大なマンダラのアートが描いてあり、その中心で演奏をしていたら大人も子供も自然と集まってきて、周りで踊ったり遊んだりし始める。音楽やアート、豊かな自然とともに人がのびのびと生きている様子は、日本が嫌になって日本を離れた僕にとっては、まさに生きる見本のようであった。

「こうしなければならない」
「これはしてはいけない」

と日本ではよく言われるが、今思えば、日本の教育は「義務」は徹底して教えるが「権利」は教えていないように思う。「こうしていいんだよ」と言われずに育った僕たちは、知らず識らずのうちに自分の行動に制限を持って生きることになり、それが生きづらさとして現前しているのが今の世の中ではないだろうか。

当時の僕はそんな自分を、日本人としての自分を、ドラムスティックで叩き割っていくかのようにビートを刻み続けた。その割れ目には浴びるように聴いた「音楽」がなだれ込み、僕自身の弱さを、制限のかかった人生を内側から木っ端微塵に砕いてくれた。

そして破壊された自分自身という塵芥のなかには一つの言葉が残った。その言葉は人間が原形がなくなるほどに壊されたとしても、必ず失われることなく残り続ける象徴なのだろうと思った。僕はその言葉を人間存在の本質として、生きるための軸として今も心の中心に抱えている。

その言葉とは、「自由」だ。

僕たちは本質的に自由だと、存在は自由だと、教えてくれたのはカナダであり、「音楽」だった。