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経済学実践のフロントランナーに聞く キャリアとビジネスの創り方【Part 1 ビジネス実践編】

日本経済学会のサテライトイベントとして、「経済学実践のフロントランナーに聞くキャリアとビジネスの創り方」が2022年10月8日に開催されました。

2020年の第1回「経済学について知ろう!」、2021年の第2回「経済学の学び方・活かし方」に続いて、日経学会のアウトリーチイベントも今回で3回目!

第3回企画では、「経済学って、本当のところ『使える』のか?」「経済学を武器に、自分の将来の進路や可能性を切り拓いていけるのか?」など、ビジネスの実践とキャリア形成、にフォーカスしたトークをお届けしました。

産・学・官の各分野で、まさに経済学を実践してきたフロントランナーたちを迎え、彼・彼女らの実体験もふまえて、経済学の活用事例や実践の裏側、ビジネスに役立つスキル、これまでのキャリアのあゆみと今後の展望について、じっくりと議論していきます。

■ 当日のパネリスト(敬称略):
泉敦子(東京大学エコノミックコンサルティング)
上武康亮(イェール大学)
西田貴紀(Sansan)
森脇大輔(サイバーエージェント)
安田洋祐(大阪大学)

登壇者情報の詳細は【コチラ】もご覧ください

経セミnote では、日本経済学会のサテライトイベント「経済学実践のフロントランナーに聞くキャリアとビジネスの創り方」の内容を、「Part 1 ビジネス実践編」と「Part 2 キャリア形成編」の2つに分けて、当日のトークの内容をお届けします。

この note で、 Part 1 を掲載しています(Part 2 は【コチラ】から)。ぜひご覧ください!



1 はじめに

安田 本日は、経済学のスキルや知見がビジネスの現場でどう使えるのか、各界のトップランナーの皆さんにお話を伺いながらディスカッションしていきたいと思います。
私は、本日のモデレーターを務める、大阪大学の安田と申します。この座談会は、2つのパートに分けて進めていきます。

Part1は「ビジネス実践編」で、経済学が実務の現場でどう活用されているのか、経済学の活用を進める際の課題や障壁はどこにあるのか、などについて、皆さんの実体験もふまえて掘り下げていきます。
Part2は「キャリア形成編」で、経済学が将来どんな武器になるのか、経済学を学ぶことでどんな可能性が生まれるのかを、やはり皆さんのご経験をふまえてディスカッションします。

それでは、まずは簡単に、登壇者の皆さんに自己紹介をしていただきましょう。上武さんから、よろしくお願いします。

上武 上武です。米国のイェール大学ビジネススクールのマーケティング学科で准教授をしています。修士課程までは日本にいて、その後米国のノースウェスタン大学に留学し、経済学の博士号(Ph.D.)を取得しました。専門は計量マーケティング、実証産業組織論という分野で、データと経済モデルを使って消費者行動やマーケティング施策、あるいは政策の効果などの分析を行っています。また、IBM、JR東日本ウォータービジネス、TVision(現REVISIO)、ZOZOなどといった企業との共同研究にも取り組んでいます。

安田 次は泉さん、お願いします。

 東京大学エコノミックコンサルティング株式会社(UTEcon)の泉と申します。私は、米国西海岸のシアトルにあるワシントン大学で経済学博士号を取得した後、東海岸のワシントンD.C.にあるEdgeworth Economicsというエコノミックコンサルティング会社に就職し、反トラスト法や労働法に関連する案件で企業の損害賠償額の推定などに従事しました。その後、日本の公正取引委員会に移り、企業結合などの経済分析業務に幅広く携わりました。そして、2020年8月にUTEconが設立されたタイミングで移籍してきました。

安田 シアトルと言えば、AmazonやMicrosoftなど、今や多くの経済学者が働くテック企業の本社が集中する場所です。泉さんが在学中の頃から、そういう動きは目立っていたのでしょうか。

 はい。私が卒業した頃はAmazonが経済学者を特に多く採用していた時期でした。同社のチーフエコノミストを務める経済学者のパトリック・バジャリ(Patrick Bajari)氏がワシントン大学で教えていましたし、クラスメイトの何名かはAmazonでアルバイトもしていました。

安田 UTEconを立ち上げた東京大学の渡辺安虎さんも、かつてはアマゾンジャパンに勤務されていましたね。また後ほどこの話を伺いたいと思いますが、泉さんはまさに経済学のビジネス活用の本場で博士号を取得されたんですね。

それでは続いて西田さん、よろしくお願いします。

西田 Sansan株式会社の西田と申します。私は、一橋大学で経済学修士号を取得した後、シンクタンクに就職して官公庁に対するコンサルティングなどを行っていました。その後、大学院のときに関心を持っていたビッグデータの活用に取り組めるキャリアを形成していきたいと思い、Sansanに転職しました。
Sansanは、企業データベースと名刺交換などから得た接点データベースを組み合わせて、さらなるビジネスチャンスを発見できる営業DXサービス「Sansan」や、キャリアプロフィール「Eight」などのプロダクトを提供する会社です。私はそこで、「SocSci Group」という部門に所属し、プロダクトのグロースをデータを使ってリードするようなプロジェクトに取り組んでいます。SocSci Groupは、社会科学分野の研究員が在籍するグループです。私はそこでマネジャーとして、各プロジェクトの成果の最大化をミッションとしてマネジメントに従事しています。
また、外部の研究者の方々との共同研究として、ビジネスネットワークがどのようなメカニズムで形成されるかなどをテーマにしたプロジェクトにも取り組んでいます [注1]

[注1] Sansanとジョンズホプキンス大学 Angelo Mele准教授との共同研究:「経済学のトップカンファレンスであるAmerican Economic Association年次大会で共著論文が採択」Sansan株式会社プレスリリース、2022年12月14日。

安田 名刺って、特に日本のビジネスシーンでは重要ですよね。「誰と誰が名刺交換したか」などのネットワークの情報は日本ならではのデータで、それを使って研究できるというのは、世界的に見てもフロンティアに位置する分析ができる職場なんだろうなという気がしました。

それでは次に森脇さん、よろしくお願いします。

森脇 株式会社サイバーエージェントの森脇です。「AI Lab」という研究組織で、リサーチサイエンティスト、研究員を務めています。私は経済学部卒業後に内閣府に入府し、キャリアを国家公務員としてスタートさせました。内閣府では経済政策の策定に携わったり、月例経済報告や白書などを作成したりと、企画・調査を担う部署で仕事をしてきました。
在職中に米国の経済学博士課程に留学する機会をいただき、ニューヨーク州立大学オルバニー校で経済学博士号を取得しました。帰国して数年内閣府で働いてから、サイバーエージェントに転職しました。

入社当初は、データサイエンティストとしてオンライン広告に関連するデータ分析プロジェクトに従事していましたが、その後はAI Labに移り、研究と社会実装プロジェクトの推進に従事しています。社会実装というのは、実際の社会制度や仕組みにアルゴリズムを適用していくことです。社会実装を通じてより望ましい結果につなげることを目的に取り組んでいます。

安田 内閣府在職中に海外の博士課程に留学されたとのことでした。そういう方は当時どれくらいいたのでしょうか。

森脇 省庁全体で多くても10名程度、内閣府では1~2名程度といった規模だと思います。

安田 なるほど。政府や日本銀行から海外の博士課程に留学する方は、昔から一定数いましたよね。私も以前に財務省で経済理論に関する研修の講師を務めていたのですが、受講された皆さんは非常に優秀でした。しかし、優秀であるからこそ、最近は森脇さんのように転職して別の世界で活躍するというケースもよく耳にします。政府としては悩ましい問題かもしれませんが、このあたりはぜひPart2「キャリア形成編」で詳しく伺っていきたいと思います。

それでは、最後に私の自己紹介も。改めまして、大阪大学の安田です。ゲーム理論や、その応用分野であるマーケットデザインという分野を研究しています。また現在、森脇さんが以前勤務されていた内閣府の国家戦略特区ワーキンググループという会議の委員を務めており、理論・実証を問わずミクロ経済学の知見を規制改革に生かすべく議論しています。他にも、経済産業省、総務省、環境省などの審議会や会議にも委員として参加しています。
加えて、2020年に慶應義塾大学の坂井豊貴さん、星野崇宏さん、実業家の今井誠さんと私の4名で株式会社エコノミクスデザインという会社を起業しました。エコノミクスデザインでは、コンサルティング事業とオンライン教育事業の2本柱で、経済学のビジネス活用を推進すべく活動しています。

https://sites.google.com/view/jea-outrearch-2022/

2 印象に残る経済学の実践例は?

安田 それでは、まずは「ビジネス実践編」のトピックについて議論していきましょう。最初のお題は、「印象に残る経済学の実践例は何か?」です。最初に、泉さんが特に印象に残っている実践例についてお伺いしたいと思いますが、いかがでしょうか。

 私が所属するUTEconでの実践例の中で特に印象深いのは、パソコン周辺機器などを製造・販売する株式会社バッファローと共同で行った、新商品のプライシングに関するプロジェクトです。
弊社にご相談をいただいた際、同社の担当の方は「従来は経験や勘、度胸に基づいて新商品の価格を決めていたものの、こうしたプライシングでは値崩れが発生しやすいのではないか?」という問題意識を持っておられました。

そこでわれわれは、既存商品のデータから推定した需要関数を用いて、想定する価格ごとに新製品の売上高を予測するモデルを開発しました。とはいえ、このモデルは既存商品のデータを使って構築しているので、これだけでは正確な推定はできません。新商品の売上を正確に予測するには、既存商品の違いを考慮する必要があります。
そのために、機械学習の手法を活用して両者の違いを埋めて推定できるモデルを開発し、「これくらいの価格でリリースすると売上はこの程度になる」という予測を行うことができるモデルを提供することができました。このプロジェクトは、新製品の価格設定を考える際の指針として経済学が貢献できた好例だと思っています。

安田 なるほど。経済学と機械学習、両方のよいところを組み合わせて開発した需要予測モデルを、現実のプライシングに応用した事例ということですね。

ここで1つ疑問なのですが、最近の経済学の学部や大学院では、機械学習を取り入れた授業や演習が行われていたりするのでしょうか。それとも、興味のある人は自分で勉強して研究に使ったりしているのでしょうか。現役で先生をやっている上武さん、この辺はいかがでしょうか。

上武 経済学部の基本的な授業の構成はさほど変わっていないと思うのですが、経済学部に所属している人でも、統計学部などで開講されている機械学習、深層学習などの授業を履修して新しい手法を学んでみようという学生が増えている気がします。僕の所属はマーケティング学科ですが、経済学部や統計学部などでマーケティングに役立つ経済学や機械学習の手法を学んでくる学生が結構います。

安田 そうなると、経済学部以外の学部や学科で優れた授業が開講されていることが大きなアドバンテージになりそうですね。

それでは次に、森脇さんに企業などで経済学実践を進めるうえで、経済学博士がどう貢献できるのかを伺ってみたいと思います。

森脇 私からは、東京大学マーケットデザインセンター(UTMD)で小島武仁先生や鎌田雄一郎先生たちと共同で取り組んでいる待機児童問題の解決を目指すプロジェクトの事例をご紹介します。最近はやや落ち着きつつあるとはいえ、待機児童問題は依然として厳しい状況です。「マッチングアルゴリズムを使って待機児童を減らせないか?」という問題意識のもと、2年以上このプロジェクトを続けています。

プロジェクトの発端は、鎌田・小島先生の論文で提案されたアルゴリズムを活用いただくことで待機児童を減らせないかということだったのですが [注2]、実際に自治体の方々と議論してみると、アルゴリズム以外にもいろいろな問題が見えてきました。

[注2] Kamada, Y. and Kojima, F. (2021) “Fair Matching under Constraints: Theory and Applications,” Review of Economic Studies, forthcoming.

https://academic.oup.com/restud/advance-article/doi/10.1093/restud/rdad046/7135693

具体的には、マッチングアルゴリズムは基本的に中央に情報を集約して集権的にマッチを決めることが前提になっている一方で、現実には一部の自治体では分権的に保育所の利用調整(どの児童をどの保育所に割り当てるか)を行っているという発見がありました。
まずはこの点から手を付けていかないと、マッチングアルゴリズムの導入を進めることができません。議論を重ねるうちに、こうした前提の部分から解決しなければならない問題が多くあることがわかりました。

1つの成功事例は、東京都多摩市とのプロジェクトです。ここでは利用調整ルールが、申込者たちが自身の選好に正直に申請するのではなく戦略的に希望順序を操作することで自分が有利になるような仕組みになっていることを指摘して、自治体の方々と議論してこの問題を解消することができました。こうした成果も見えてきて、大きなやりがいを感じています。

ただ、私の場合は学部でも博士課程でもまったくマッチング理論を学んでおらず、ゲーム理論も苦手だったのですが、このようなプロジェクトへの参加を機に勉強し直して、ゲーム理論に詳しいメンバーたちと一緒に取り組んでいくのは非常におもしろいです。

安田 私もマッチングの研究をしているのですが、学知として古くから存在していた知見が、今の保育所割当以外にも、研修医の配属、企業内での人材配置などの現実の問題で活用される例が最近どんどん増えている [注3]。その変化の早さに非常に驚いています。

[注3] 本稿が掲載された『経済セミナー』2023年4・5月号掲載記事:小田原悠朗「企業の人事にマッチング理論を実装する――東京大学マーケットデザインセンターの実践」では、東京大学マーケットデザインセンターとシスメックス株式会社による、新入社員配属へのマッチング理論実装の実践例を紹介している。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/9017.html

10年以上前ですが、私自身も東京財団の仮想制度研究所というところで学校選択制のプロジェクトを進めていたことがあります(安田洋祐編著〔2010〕『学校選択制のデザイン――ゲーム理論アプローチ』NTT出版)。私がプロジェクトリーダーを務め、小島さんやイェール大学の成田悠輔さんたちに加わっていただきました。日本の特に都市部では、学区によっては地元で指定された公立小・中学校以外の、同じ区・市内の学校を選べる「学校選択制」を導入している自治体があります。この制度の背景を調査するために、自治体の教育委員会の方々に学校選択実施の有無や導入の理由、実施ルールの詳細などについてヒアリングをしました。そのときに感じたのが現場での事務作業の大変さで、それが制度変更の大きな動機や障壁になりうるということも知りました。

いじめの問題などさまざまな理由から、自治体には「学校を変えたい」という保護者からのリクエストが定期的に届くそうです。都市圏の場合は受験して私立や国立の学校に進むという選択肢もありますが、受験に失敗してしまった場合や、そうした選択肢のない地域の場合、学校をもとの学区から変えたいというニーズがより多くあるとのことでした。従来は、こうした問合せを自治体の窓口で受け、学校の変更を認めるか否かを検討するというかなり手間のかかる方法で対応していたそうです。

それに対して、学校選択制を導入すれば、このような個別の事情やニーズに関係なく、学校を変えたい人は定員に空きがあれば制度を通じてスムーズに変更できるようになります。マッチングアルゴリズムを使えば効率性や安定性の点でもメリットがあるといった理論的な議論もありますが、それとは関係なく、現場の事務負担軽減という意味でも大きな利点があるというお話が聞けたのは、目からうろこでした。

マッチングなどのマーケットデザイン研究自体も大切でおもしろいのですが、当事者の方々にお話を聞くと、研究者が想定しない現実の事情が見えてきます。その両者を考慮してバランスよく実践していくことが、経済学の社会実装を進めるうえで重要ではないかということは、私自身も感じました。

それでは次に、西田さんにベンチャー企業での経済学の活用事例をお聞きしたいと思います。Sansanは、ベンチャーと呼んでいいんですよね。

西田 そうですね。メガベンチャーと呼ぶのが適切かもしれないです。私の方からはSansanでの実践例をご紹介します。Sansanのカスタマーサクセス部では、プロダクトが持つさまざまな機能とその使い方をユーザーに紹介・利用訴求する業務を担っています。
しかし、具体的にどのようなメッセージを出せば顧客の利用訴求に有効なのかは、なかなかデータがとりづらいこともあり、わかっていませんでした。そこで、モバイルアプリ上で機能紹介に関する情報を出しながら、どのような訴求メッセージが最適なのかを明らかにすべく、いわゆる「A/Bテスト」という実験を実施しています。
すると、有効なメッセージは機能ごとにかなり異なることが新たに見えてきて、カスタマーサクセス部がこれまで経験則で行ってきた方法がデータからも裏付けられたり、新たな気付きを得られたりしました。

加えて、本当に機能訴求を必要としているのはまだその機能を知らない方々であり、そうした方々に初めて使っていただけるようにメッセージを出すのが本来あるべき機能訴求です。対象を、訴求されて初めて使い始めるユーザーに絞り込めれば、よいユーザー体験になると考えています。これを実現するためには、どんな人をターゲティングすればよいかといったところまで踏み込んで分析する必要があります。そこで、「アップリフトモデリング(uplift modeling)」と呼ばれる機械学習の手法を応用し、この詳細を明らかにしました。

この事例では、経済学を活用してビジネスに貢献できたという意味でも印象深いのですが、チームの中で開発経済学や農業経済学などを専門としていたメンバーがA/Bテストの設計を担当し、機械学習のコンペティションで成果を上げているメンバーがターゲティングのための機械学習モデリングを担いました。どちらも経済学の修士号を持っているメンバーで、各々の強みを生かすことで成果を上げることができた事例としても印象に残っています。

安田 ありがとうございます。西田さんのお話の中で、カスタマーサクセス部の方々の経験則というキーワードが出てきました。泉さんのお話でも、クライアント企業が従来は経験と勘で価格を決めていたということでした。実際に当事者の方々が従来の意思決定方法に何らかの問題意識を感じていれば、学知を使って、経験と勘に頼らない、あるいは経験と勘を見直すような新しい手法の導入につながるかもしれません。
しかし、日本の組織には経験と勘だけに基づいて意思決定を行っているケースも少なくない気がします。外から学知を持ってくることに対して、内部から抵抗などは起きたりしないのでしょうか。たとえばSansanの場合、カスタマーサクセス部が時間と労力をかけて蓄積したノウハウを急に外からきて否定するのか、といった話は出なかったのですか。

西田 そういう反応はありませんでした。むしろデータドリブンな方法に変えることでよりスケールさせることができる、あるいは成功例の再現性を担保できるかもしれないということで、カスタマーサクセス部も意欲的です。私たちの場合は双方が非常にポジティブに進めることができたと思います。

安田 ありがとうございます。このように、当事者側に事業を伸ばしたいというニーズがありつつも、従来の方法の限界を感じている場合は専門家と組みやすそうですね。
反対に、うまくいかない原因がわからず目的も明確でない場合や、企業のトップと現場で意思疎通がうまくできていない場合、企業のトップが専門家に改善を依頼したものの現場は従来のやり方で頑張っていて、実際に専門家が入っても現場とのコミュニケーションがうまくいかず、知見が生かせないような不幸な事態につながるのかもしれません。われわれ研究者側としても、どんなパートナーと組むべきかは重要なポイントかもしれないですね。

少し話を変えて、泉さんは博士号を取得してまずワシントンD.C.のコンサルティング会社で働かれていたとのことですが、D.C.は経済学に限らず博士号取得者がいろいろな企業・機関で働いていますよね。当時の話を少しご紹介いただければと思うのですが、いかがでしょうか。

 その通りで、D.C.では弁護士資格や博士号を持っている方々が多く、経済学者もたくさんいます。パーティーなどに行くと、参加者の多くが弁護士やエコノミストでした。私の友人やその友人なども含めて、D.C.では政府機関や国際機関、ブルッキングス研究所などのシンクタンク、それ以外にも実業家など、経済学博士号を取得した実務家が多かったと思います。

安田 D.C.には彼・彼女らの専門性を生かせる仕事や組織、逆に専門性がないと仕事ができない組織がたくさんあったということでしょうか。

 そうですね。世界銀行とか国際通貨基金(IMF)などのように、博士号がないと昇進できない組織も少なくないと思います。博士号を持っていない方々も、最初はリサーチアソシエイトのような形で就職し、それからエコノミストとしてキャリアアップを目指す場合は、職をいったん辞めて経済学博士号を取得したうえで戻ってくるとか、別の組織に就職し直すとか、そういう方々もたくさんいました。

安田 なるほど。国際機関やシンクタンクなどもそうですが、特に専門性を生かした調査・研究の仕事を希望する方々にとっては、博士号を取得することでキャリアの幅が広がる可能性もあるわけですね。この点は、Part2の「キャリア形成編」でさらに深掘りしましょう。

3 経済学は儲かる?

安田 次のお題は「経済学は儲かるのか?」です。ストレートな問いですが、実際のところ一番気になります。
最近は儲かったという事例もよく耳にする一方で [注4]、IT関連のいわゆるテック企業が雇用する博士号取得者たちは実際にペイしているのか。あるいは一般論として、企業が経済学者を雇うメリットは何か。彼・彼女たちの評価、報酬、キャリアパスはどうなっているのか、日本でよくある年功型の賃金体系で雇えるのか、といった点をここではディスカッションしていきたいと思います。

[注4] 本稿が掲載された『経済セミナー』2023年4・5月号掲載記事:上武康亮「経済学はビジネスでどう使えるのか?」では、ZOZOTOWNでの実践例をこのテーマに基づいて紹介している。また、以下の記事も参考になる。

https://www.nippyo.co.jp/shop/magazine/9017.html

まずは上武さんにお聞きしたいのですが、テック系の企業などで経済学者がペイしているかどうかについて、何かご存じですか。

上武 たとえばAmazonでは毎年数十人単位で経済学者が雇われています。僕が米国で就職活動をしたのは2013年です。当時はAmazonが経済学博士を募集し始めた初期の頃で僕も面接を受けましたが、その後も10年近く継続して経済学者を雇い続けているということは、それなりにペイしているのではないかと思います。
さらに、GoogleやAmazon以外にも、家具や家庭用品の通販サイトを運営するWayfairなど、いろいろな企業が経済学者を雇うようになっています。外部から見ても「顕示選好(revealed preference)」の意味で経済学者がペイしていることが想像できます。

また、博士号を取得してから、あるいは一度テック企業に就職したうえで起業する人も増えている印象があります。マサチューセッツ工科大学(MIT)で博士号を取得した人たちがプライシングなどの事業を行う会社を立ち上げ、それが結構な規模に成長したといった例もあります。

安田 上武さんが「顕示選好」という経済学の専門用語を出されましたが、この視点は私も重要だと思います。「この商品がすばらしい」「経済学は役に立つ」など、口では何とでも言えるのに対して、実際に実行している(顕示されている)かどうかは、重要な判断基準になるわけです。もし経済学が儲からないなら、高いお金を払って専門家をたくさん雇ったりはしないだろうと。Amazonなどでは経済学博士には初任給であっても年間2000~3000万円くらい支払うのが相場ではないかと思いますが、その程度は十分にペイしているということなのでしょうね。

検索エンジンの「検索連動型広告」は、長らくGoogleの収益の柱になっていました。入力されたキーワードにより、検索結果の画面に広告を表示するというものですが、この広告枠の販売に経済学のオークション理論に基づく仕組みが応用されていました。
Googleの検索連動型広告のデザインは、同社のチーフエコノミストであるハル・ヴァリアン(Hal R. Varian)氏とそのチームが設計しており、学知に基づく改良を加えたことで数%もの規模で収益が改善したという事例は有名です。Googleの売上規模を考えると、数%の上昇は相当な収益増につながります。この先駆的な事例が、ここ十数年の経済学者がテック企業で働く流れを促進した面もあると思います。

一方、日本ではどうでしょうか。ここまで米国の事例が多く挙がりました。私は2022年9月まで約1年半ポルトガルに滞在していましたが、大陸ヨーロッパの国々などでは、米国ほど民間企業で博士号取得者が活躍している印象はありません。森脇さんに伺いたいのですが、日本の中では積極的に修士号や博士号取得者を採用しているサイバーエージェントではどうでしょうか。今後、さらに採用を加速させる動きなどはあるのでしょうか。

森脇 具体的な人数は公表できないのですが、ご応募いただけた方には積極的に面接が組まれています。残念ながら、積極的に研究者採用をしていることがあまり伝わっていないこともあり、現時点では応募がまだ少なく、なかなか弊社を選んでいただけない状況なのですが、われわれとしてはここ2~3年、どんどん増やしたいと思って採用に取り組んでいます。

安田 ありがとうございます。やはり、サイバーエージェントのような企業が増えてくれば、大学院生としても民間企業への就職が視野に入ってくると思いますね。米国ほどでなくても、路頭に迷う心配も少なくなるし、企業でしっかりお給料をもらいながら研究もできるキャリアパスが増えれば、大学院で学位取得を目指すことのリスクも下がります。
加えて、将来の活躍のビジョンや経済学の使い方をイメージしながら大学院時代を過ごせるのは非常に健全だとも思います。10〜20年くらい前だと、退路を断つ覚悟で大学院に入学して、学位論文が書けなかったら路頭に迷うかもしれないといった過剰なプレッシャーが掛かっていたのが現実で、不健全な状況が長く続いていたと思います。でも最近は、経済学は大学院進学が「入院」と揶揄されない分野に変わりつつあるのではないかという感触を持っています。

ところで、経済学者などの専門家は、社内でどう評価され、報酬が決まっているのでしょうか。

森脇 サイバーエージェントでは、基本的には「エンジニア」「ビジネス」といった区分けで採用していて、よくあるのは「エンジニアの枠でデータサイエンティストとして入社している人が経済学のバックグラウンドを持っている」、あるいは「リサーチャーとして入社して主に経済学の研究をする」といったパターンです。エンジニア枠で入社した場合は、他のエンジニアと同じくデータサイエンティストとしてどの程度事業に貢献したか、リサーチャーとしてどんな研究をしたか、といったところが評価の基準になります。

安田 近年キーワードとしてよく耳にするようになった「ジョブ型雇用」のようになっている企業からすると、そのジョブの1つとして経済学の専門家を雇うという形になるのでしょうか。

森脇 そうですね。

安田 そうなると、逆に年功制とは相性が悪そうです。Amazonなどでも、一度雇われたら一生安泰というわけではなくて、数字や結果を残せなければ解雇されることもありうるのではないかと想像します。報酬などは外にいるとなかなかわからないですが、先ほども述べたように、たとえば北米のケースではAmazonやUber、Metaなどに多くの経済学者が就職していて、ボーナスやストックオプションのような株価に連動した報酬を含めると、1年目から2000~3000万円くらいになるでしょう。日本の典型的な労働者が聞くと、驚いてしまうような金額がオファーされているようです。日本国内の例では金銭的にはそこまでの規模にはなっていないと思いますが、専門性を生かせる仕事では報酬もアップするチャンスがありそうです。

上武 キャリアパスという意味ではさらにいろいろで、たとえば最初にAmazonに就職し、Uberに移って、その後起業するような例も少なくありません。また、渡辺安虎さんのように大学からAmazonに移り、その後また大学に戻るようなキャリアもありえます。米国の場合は労働市場がフレキシブルで、企業を渡り歩いてキャリアを形成している印象があります。加えて、渡辺さんのような企業と大学を行き来するパスも増えれば、労働市場として健全かなとも思いますが、いずれにせよ年功制で1つの組織で勤め上げるような働き方とはかなり違う気がします。

安田 企業と大学の行き来という点は非常に重要ですよね。「回転ドア」と言われたりしますが、片道切符ではなくて、出入りが双方向でできるようになると、ビジネスの経験や知見を持って研究できたり、研究能力のある人がビジネスで活躍したりということができるようになります。日本では産学連携や産官学連携がなかなかうまくいかないという話も耳にしますが、この回転ドアが機能すれば、企業や行政と研究者の間の情報の非対称性も解消されて、改善する面はあるのではないかと感じています。これについては今後の進展をぜひ期待したいです。

4 経済学活用の障壁は?

安田 さて、次のお題は「経済学を活用する際の障壁は何か?」という問いです。ここまでは景気のよい話が中心でしたが、経済学を実践するうえでの課題や壁として、実際のところどんなものがあるか、具体的に伺っていきたいと思います。

たとえば、企業が顧客データを活用することへの不安としてデータ流出の問題などが考えられるでしょうか。最近もこのようなニュースを聞く機会は少なくないですし、ヨーロッパではGDPR(General Data Protection Regulation:一般データ保護規則)が施行され、とりわけデータの扱いが厳しくなっています。日本でも個人情報保護法はたびたび改正されていますが、こうした個人情報の取り扱いに対する規制強化をどう見るかも重要かもしれません。また、企業側が期待する結果を分析がサポートできないといった形で互いに食い違う結果が出た場合にどうするかも問題になりそうです。

このあたり、民間企業でビジネスとして実践するうえでの課題について、可能な範囲でお答えいただければと思うのですが、いかがでしょうか。

森脇 研究者の観点からすると、企業内のデータをどういう目的で使うかについては顧客の同意がとれていることが前提ですし、研究倫理も重要です。最近、サイバーエージェントでは倫理審査委員会を立ち上げて、大学と同じレベルの審査ができる体制を整えています。基本的にはそうしたルールを守るのは当然ですし、研究を公表する際にはルールを守っていたとしても、自分のデータが変なふうに使われているのではないかという懸念を顧客に抱かせないように慎重に準備する必要があります。

安田 ありがとうございます。森脇さんのお話を伺って、専門家と企業や顧客のコミュニケーションの重要性を実感しました。コンテクストはやや異なりますが、専門家の情報発信や政策の背景を説明する際にもサイエンス・コミュニケーションが重要だと考えていて、まさにコロナ禍でそういう局面がたくさんありました。この点は、ビジネスの世界でも同様だと思います。ビジネス実践では、ある施策を提案する背景にどんな研究成果や知見があるかを、きちんと現場の方々に理解していただく必要があると思います。

しかしコミュニケーションの方法を教わる機会は、大学や大学院ではほとんどありません。研究者としては一人前になって博士号を取得するわけですが、私自身もコミュニケーションについては見よう見まね、learning by doingです。皆さんはどうされているのでしょうか。何かオススメの磨き方とか、逆に最初はこんなところに苦しんで、それをどう乗り越えたかなどをご紹介いただける方、ぜひお願いします。

西田 私自身も経験したことなのですが、大学院と企業では重視されるポイントが異なります。たとえば、大学院で研究発表するときは、分析手法の工夫など学術的な独自性が重視されます。一方で、ビジネスの現場でプレゼンテーションする際には、「データ活用の結果はどうなるのか」といった視点が重要なので、最終的なインパクトやデータ利用の実現可能性に多くの時間を割くようにしています。方法論については、もし聞かれたら答える程度のスタンスです。

安田 確かに、自分の言いたいことと相手が聞きたいことは、学者同士の発表だと似通っていることが多いのですが、ビジネスの世界ではそうとは限らないですね。泉さんもこの点でご意見ありますか。

 今の西田さんのお話は私もまったくその通りだと思います。続いて私からは、企業やクライアントが期待することと分析結果に食い違いが出てしまった場合の対処について、お話ししたいと思います。現在所属するUTEconでも、たとえば優越的な地位の濫用やカルテルなど独占禁止法に関連した案件のご相談をいただくことがあります。そこでは、そのクライアントはいくら罰金を支払うかという問題に直面しているのですが、当然クライアントとしては罰金が少なくて済むことを望んでいます。それに対して、われわれとしては、客観的に、いろいろな分析を試して、その結果がどれほど頑健かを検証したうえで得られた結果は正直にお伝えして、さらにその分析の限界についても丁寧に説明したうえでご納得いただけるように心がけています。なので、クライアントの期待と分析結果が食い違うときこそ、結果の頑健性の分析と丁寧な説明が重要になると思っています。

上武 泉さんのお話に1点加えると、企業で研究する際の目的は利潤最大化になるわけですが、経済理論に基づいて施策を導入してみたところうまくいかず利益につながらなかった、といったケースも当然あると思います。それを損失、失敗とみなすこともできますが、その失敗から学べることもあります。将来的にはその施策をとらなくて済むことになりますし、分析上の仮定や推定方法が適切でなかったことがわかれば次の機会に修正することもできます。こうしたサイクルができれば、一度の失敗で立ち止まることなく、次のステップではデータや推定方法を変えたり、理論を修正したりといった対応ができるようになります。食い違いや失敗をあまりネガティブに捉えず、逆に将来的な改善点がみつかったという形でポジティブに考えるとより生産的だと思います。

安田 お二人ともありがとうございます。私自身がパッとイメージできる利益相反の事例としては、クライアント企業が新たにリリースを計画しているサービスに関して費用便益分析をしたいと考えている場合、「できるだけその新サービスの便益は大きく、コストは小さく数字を出したい」といった企業側のニーズは十分にありえて、コンサルティング側がその意向に寄り添う形で結果を出してしまう、といった問題です。当然これはコンサルティングとしてはダメなわけですが、そういう誘惑に負けてしまうことがないとも言い切れません。でも、学知を売りにする企業が一度そういうことをやってしまうと、その後の評判までふまえれば大きな損失につながるのではないかとも考えられます。

世の中には多様なコンサルティングの方法があり、分析手法やパラメターの選択などで顧客の意向に寄り添ってクライアントのニーズに合わせて数字を出すケースもあれば、あくまでも標準的な研究の作法に従って分析を行い、中立的な結果を出すようなケースもあります。これは少し身びいきかもしれませんが、そういう場合に、博士号を持っている人は学問に則って中立的にやらなければならないと刷り込まれている場合が多いので、そこから逸脱してクライアントに都合のよい手法やパラメターを選ぶようなことはせず、学術研究としても信頼性の高い結果を出したいと思う傾向があると思います。短期的に見ればクライアントから不満を呈されることもあるかもしれませんが、長期的に、あるいは業界全体で見れば、学知を使うことの評判を形成し、広く信頼を得るためにも、客観的、中立的に仕事をすることが重要なのではないかと、個人的には感じています。

加えてもう1つ。顧客の個人情報の扱いなどの問題についてはいかがでしょうか。

西田 機械学習分野では、特に個人情報の問題への取り組みが結構進んでいます。たとえば、従来は各所で得られたデータを拠点となる中央のサーバーに送り、大量のデータを中央のサーバーで学習させる方法が一般的でしたが、近年は個人情報などの機密性の高いデータは1カ所に集めることなく各所に分散したまま学習させる「連合学習」という手法が提案されています。要するに、携帯アプリの場合はその携帯の中だけでデータが完結する形で、外部とデータを共有することなく機械学習モデルを構築できるという方法です。また、顧客からの「データを削除してください」という依頼に応える必要も当然あるため、削除したうえでその部分を学習し直す方法も考案されています。

今後も規制などがより厳しくなっていく可能性はありますが、逆に研究サイドが学習やデータ活用の方法を工夫することで、プライバシーに配慮しながら問題を乗り越えていけるのではないかと感じています。また、こうした流れは経済学のデータ分析でも重要になるのではと思います。

安田 そうですよね。ビジネスでも研究でも、個人レベルのミクロデータがどんどん蓄積され、活用できるようになっているわけですが、個人情報利用に関する規制や流出の可能性を恐れて、それらを一切使わないのはあまりにもったいない。適切に匿名化したり、分散して保管したりして、万が一の場合に最悪の事態を避けられるように、活用のための仕組みを設計しておくことが重要です。こうした知見を蓄えることでデータを安全かつ有効に活用するという方向を模索するのが、今後進めていくべき道だと思います。

5 なぜ経済学者が起業するのか?

安田 それでは、Part1「ビジネス実践編」の最後のお題にいきましょう。「なぜ経済学者が起業するのか?」です。経済学者の起業が流行っているのはなぜか、どのような理由・ビジョンで起業したのか、などといった問いについて聞いていきたいと思います。本日集まった5名の中で実際に起業した経験があるのは私だけですので、ぜひそれにも触れたいと思っています。

とはいえ、まずは本当に経済学者が起業するようになっているのかを確認しておきましょう。最近の経済学者による起業の例を思い返してみると、本日の参加者が関係している組織ではUTEcon、私たちが起業したエコノミクスデザインがあります。他にもパッと思い付くだけで、ミクロ経済理論やゲーム理論を専門とする早稲田大学の石川竜一郎さんが立ち上げたSciDe Lab.(サイデラボ)、行動経済学者である山根承子さんが大学を辞めて創業したパパラカ研究所、やはり行動経済学を専門とする大竹文雄先生たちが起業したCoBe-Tech(コービーテック)、イェール大学の成田悠輔さんがつくった半熟仮想などがあります。UTEconを除けばどこも小規模ですが、確かにここ数年で経済学の博士号を持つ研究者による起業は、日本でも増えているようです。では、なぜこういう動きが増えているのでしょうか。私も当事者ですが客観的な要因などはよくわからない面もあります。上武さん、何か思い付くことはありますか。

上武 やはり、いろいろなデータが使えるようになってきたことで、経済学の需要関数の推定やダイナミックプライシング、マッチングなどといった現実でも使える手法を実際に企業の現場に実装できる環境が整ってきたことが大きいのではないかと思います。

安田 そうですね。加えて、参加メンバーの専門分野という視点でみると、UTEconはミクロ理論や実証分析以外も含めて幅広く対応しています。一方、われわれのエコノミクスデザインでは慶應義塾大学の坂井豊貴さんと私はゲーム理論やミクロ理論が専門。もう一人の創業メンバーである慶應義塾大学の星野崇宏さんは実証分析、マーケティング、行動経済学と幅広い専門をお持ちで、起業する前から個人レベルでビジネス実践を進めていた方です。また、先ほど話に出た成田さんの会社はデータ分析、大竹さんや山根さんの会社は行動経済学、石川さんの会社はミクロ経済学のメカニズムデザインなどを売りにしています。

こう並べてみると、近年にノーベル経済学賞を受賞して、一般の方々にも浸透しつつある分野での起業が多いようにも感じます。特に行動経済学やナッジは、2017年にリチャード・セイラーがノーベル経済学賞を受賞したことでかなり世間一般にも広まりました。ゲーム理論分野も、直近では2012年にアルヴィン・ロスとロイド・シャープレーがマッチング理論で、2020年にはポール・ミルグロムとロバート・ウィルソンがオークション理論でそれぞれ実践面も含めて受賞し、一般に知られる機会がぐっと増えました。こうした影響もあり、研究者がやっていること自体にさほど変化がなくても、企業側からニーズが起こりやすくなったという要因もある気がします。

続いて、起業した理由・ビジョンについても探っていきたいです。先ほどからたびたびお名前が挙がっている、UTEconの立ち上げに関わった東京大学の渡辺安虎さんは、かつてノースウェスタン大学や香港科技大学で教えた後でアマゾンジャパンに移籍し、現在は東京大学で教えつつUTEconの取締役も務めています。大学院留学の前には社会人として働いた経験もお持ちで、特にユニークなキャリアパスを歩んできた方です。泉さんは渡辺さんに起業の経緯を直接伺ったことがあるということなので、ぜひUTEconの起業理由やビジョンについて教えてください。

 はい。あくまでも私の知っている範囲でお話しできればと思います。やはり渡辺さんの頭の中には、米国などの状況もふまえて、経済学の知見がビジネスや政策で役立てられるという想いがあったと思います。一方、研究の世界では新奇性が最も重視されるので、研究者の方々が個別に継続して企業や政府が必要とする分析を提供することは難しい。そこで、学問の知見を100%生かして社会的なニーズのある課題の解決に貢献することをミッションとしてUTEconを立ち上げたというのが、起業の理由・ビジョンだということです。
加えて、日本では経済学で博士号を取得しても大学や研究機関以外の就職先が非常に限られているという問題もあり、博士号を持った方々が専門知を使って社会でより活躍できる環境をつくりたいという想いもあったと聞いています。

安田 すばらしい志ですね。経済学の知見が活用できることを広めたい、専門性を持った方々に活躍の場をつくりたいという2点については、エコノミクスデザインもまったく同様です。

加えて、私が起業に参加した背景には次のような想いもありました。以前から、経済学の視点でビジネスやお金にまつわる問題にコメントを出すと、「そんなことを言うならお前がやってみろ」とか「口先だけなら何とでも言える」といった厳しい反応をいただき、自分としても確かにその通りだと感じることもありました。当時は「口先だけですみません」と謝るしかなかったのですが、実際にチャンスがあれば、自分の専門性を生かして新しいビジネスをつくったり、企業の方々とコラボしたりして、結果を出せるか挑戦してみたいと、かねてから考えていたんです。

さらに、そのような実績があれば、メディアや政策現場などでコミュニケーションを行う際にも、より信頼してもらえるのではないかと思います。以前からメディアや政策現場での情報発信は行ってきたのですが、ビジネスや事業をまったくやったことがないというのは、自分の中では大きなウィーク・ポイントだと感じていたので、仲間たちから一緒にエコノミクスデザインを起業しようと誘われたときには、まさに好機到来とばかりに、二つ返事で参加することにしました。

それでは、「ビジネス実践編」はここまでとして、Part2「キャリア形成編」のお話に入っていきましょう。皆さん引き続きよろしくお願いします。

[2022年10月8日収録]

<Part 2「キャリア形成編」へ続く>

登壇者紹介


おしらせ

日本経済学会のアウトリーチ企画は、2020年から開催されており、今回が第3回でした。過去のトークは、以下の note でまとめて公開しております。毎回テーマが異なりますので、ぜひご覧ください!

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