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書評:新原浩朗著『組織の経済学のフロンティアと日本の企業組織』(経セミ2023年6・7月号より)
新原浩朗[著]
『組織の経済学のフロンティアと日本の企業組織』
日本経済新聞出版、2023年、A5判、600ページ、税込4180円
評者:玉田康成(たまだ・やすなり)
慶應義塾大学経済学部教授
組織の経済学を理解し、日本企業の成功と失敗を解明する
「『組織』に真剣に注意を払う必要がある」。これが本書の基本的姿勢・キャッチフレーズだと著者は主張する。ではなぜ、あえて主張する必要があるのだろうか。取引というと価格にもとづく市場での取引を思い浮かべる読者も多いだろう。だが実際には、市場取引への主要な参加者でもある企業の内部で、市場取引とは異なる巨大な経済活動・組織内取引がそれぞれ固有のマネジメントに従って行われている。そのため、組織は真剣に注意を払われるべきなのだ。
ところが、企業組織の中身やマネジメントについて、伝統的な経済学は関心をそれほど持たなかったし、教科書でもほとんど解説されない。経済学に企業組織を語れるのか、と訝しく思う読者も少なくないだろう。だが、その見方はすでに古いことが本書のページをめくればすぐにわかる。組織の経済学は企業組織の内部の特徴や制度のあり方、機能について、真剣に注意を払い、明らかにしてきた。そして、その集大成として本書がある。
本書を特別なものとする理由は2つある。1つは、組織の経済学が培った高度で難解な知見を、正確な数理モデルを利用しながら、理解しやすいように工夫しつつ体系的に説明していることである。組織を構成する個人が、(よく見聞きするように)いわゆる組織の論理やしがらみと葛藤するばかりだと組織は適切に機能しない。組織は、一人の個人ではなし得ない価値を実現するが、そのためには組織の中のあまたの個人のインセンティブを調整・制御し、組織としての性能を高めることが重要となる。それが組織の経済学が取り組む課題であり、論点は膨大にある。取引制度として市場と何が違うのか、意思決定プロセス、権限の配分、情報の伝達、文化、リーダーシップなど、キーワードを挙げていけば切りがないが、それぞれに対して、ゲーム理論や契約理論を利用しながら組織の経済学が丁寧に培った知見を、「A章」と明記した部分で説明している。代表的な数理モデルに著者の丁寧な解説が加わり、組織の経済学を体系的に学ぶための、洋書でも類書を見つけられない最良の書籍と言える。参考文献リストも充実しており、読者への優れた道標ともなっている。
もう1つの理由は、組織の経済学の知見を生かして、代表的な日本企業の組織を説明し、鋭く評価していることである。「B章」と明記された部分では、「組織の経済学の視点から見ると」というフレーズを(おそらくは意識的に)利用しながら日本企業の成功と失敗の歴史を紐解いている。企業の境界論を応用したシャープやソニーの分析、コントロール権に注目したセブン- イレブンやローソンの分析、企業文化の経済学からの三井物産の分析など、実務家として常に第一線で活躍し、同時に経済理論を深く理解する著者だからこそ取り組める素晴らしい研究であり、組織の経済学の高い分析・説明能力を実感できる。また、評者はB章に余白を感じる。組織の経済学で現実の企業組織を塗りつぶしても、まだ余白はある。その余白が新たな問題発見へとつながる。次の研究を導く大きな力がB章には宿っている。
日本経済のフロンティアで活躍する第一級の実務家である著者が、経済学に対する深い理解にもとづいて解説した組織の経済学のフロンティアを、日本語で読めることはきわめて幸運だと言える。大著なので読み通すことは簡単ではない。難解だと感じる読者も少なくないだろう。それでも、あらゆる経済学徒と実務家は、この唯一無二の書籍を手にとり、自らフロンティアを開拓してほしい。
■主な目次
A-1章 イントロダクション
A-2章 組織の経済学の構成
A-3章 企業の境界論
A-4章 企業の境界論の実証研究
B-1章 なぜ液晶テレビ産業は失敗したのか
A-5章 所有権理論の数理モデル
A-6章 イノベーションと組織の経済学
B-2章 ソニー・プレイステーションの開発組織の変容
A-7章 不連続なイノベーションを管理する組織
A-8章 関係的契約と組織の経済学
A-9章 契約によるコントロール権の移動
A-10章 ハイブリッド統治機構
B-3章 セブン-イレブンとローソン
A-11章 企業文化の経済学
A-12章 企業文化の経済学の実証
A-13章 アイデンティティの経済学
B-4章 企業文化の経済学でみる三井物産の不祥事と再生
A-14章 リーダーシップの経済学
A-15章 リーダーシップの幻想
A-16章 組織における意思決定
A-17章 ヒエラルキーとパワー
A-18章 意思決定権限
A-19章 意思決定権限委譲の実証分析
A-20章 根本的な意見の不一致、インターパーソナルオーソリティと組織の経済学
A-21章 ポリティクスとインフルエンス活動及び群れなし行動の経済学
A-22章 ストラクチャーとプロセス
A-23章 多部門からなる組織内での決定権の最適所在と部門間コミュニケーション
B-5章 ハイブリッド車がハイブリッド組織を創造した
A-24章 マトリックス組織
A-25章 ヒエラルキーの基本モデル
A-26章 組織ベースのヒエラルキーの実証分析
B-6章 トヨタ自動車とGMの合弁会社における知識ベースのヒエラルキーの京成
A-27章 ソフト・ハードな情報と組織デザイン・組織内の資金配分
A-28章 内部資本市場に関する理論と実証
B-7章 巣鴨信用金庫とみずほ銀行
*『経済セミナー』2023年6・7月号からの転載。
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