「人間は非合理」って本当?:行動経済学への誤解を解いておく
最近の行動経済学ブームの影響もあり、「人間は非合理だ」という見方がずいぶん広まってきました。
確かに、衝動買いやギャンブルでの大損失など、「非合理的だ」と感じる行動に心当たりがある人は多いかもしれません。
しかし、本当に私たちは「まったく合理性を持たない生き物」なのでしょうか?
実は行動経済学が示すのは「完全なる非合理」ではなく、時間や情報の制約がある中でも最善を尽くそうとする「限定合理性」を持つ姿です。
本記事では、誤解されがちな「人間は非合理」論を見直し、人間がどのように「限定的な条件で合理性を働かせている」のか、その実態を探ってみたいと思います。
「非合理」と「限定合理性」の違い
まず、「非合理」と聞くと、「理屈や理性からかけ離れた行動を取ること」とイメージされるかもしれません。
確かに、衝動買いやギャンブルでの大損など、どう考えても合理的に見えない行動は多々あります。
しかし、それらを一刀両断で「人間は非合理」と断じるのは早計です。
行動経済学の代表的な研究者、たとえばダニエル・カーネマンやリチャード・セイラーは「人間の行動に潜む認知バイアスや感情の影響」を指摘しつつも、「人間は与えられた情報や時間、脳の処理能力などの制約の中で、現実的に考えられる最適解を求める存在である」と捉えています。
完全な情報や無限の計算能力を持たない人間の場合、ある程度の妥協点やショートカット(ヒューリスティック)を使いながら最善を尽くす必要がある、というのが「限定合理性」の考え方です。
スーパーでの買い物も「完全非合理」ではない
具体例として、スーパーでの商品選びを想像してみましょう。
洗剤や食品など、同じ用途の商品が大量に並んでいます。
もし私たちが「完全に合理的」だとすれば、成分・容量・値段・ブランドなどあらゆる要素を比較して、最適解を導き出すはずです。
しかし、時間と手間がかかりすぎるため、実際には「いつも使っているから」「特売だったから」といった理由で素早く商品を選ぶのがほとんどでしょう。
「非合理だ」と言われればそうかもしれませんが、一方で十分満足できる買い物ができたなら、それは消費者にとってメリットのある行動といえます。
すべてを完璧に比較検討するには膨大なコストがかかるので、ある程度の判断基準(ヒューリスティック)を使って、時間を節約するのはむしろ賢い選択ともいえます。
投資判断でネット情報を使うのは自然
投資の世界でも、あなたが「完全に合理的」な投資家ならば、株価や企業の業績、世界情勢など、あらゆる情報を総合的に分析して行動するはずです。
ところが現実には、仕事や家事などほかにも抱えるべきことがあり、投資だけに何十時間、何日もかけるのは難しいはずです。
結果として「ネットで話題の銘柄だから」「友人が勧めてくれたから」という近道で意思決定をすることが多くなると思います。
これは「損をするリスク」を厭わない非合理な行動にも見えますが、実際は「情報収集のコストを抑えつつ、そこそこのリターンを狙う」という限定合理的な戦略と捉えることもできます。
非合理的なようだが、合理的
行動経済学を語るうえで外せないのが、「プロスペクト理論」です。
これは人間が「利益と損失は、対等には扱えない」という心理を示した理論です。
利益を得る局面ではリスク回避的に、損失を避けようとする局面では、むしろリスクを取りがちになる傾向を示します。
一見すると「どうしてそんなに損失を嫌うのか」と思うかもしれませんが、生存や安全を優先してきた人類の歴史を考えると、損失を回避するのは合理的な戦略でもあります。
したがって、完全な合理性のルールからは外れたとしても、人間が許される範囲でベストを尽くしている行動とも見てとれるのではないでしょうか。
「限定合理性」を理解すると対策が立てやすい
もし「人間はどうせ非合理なんだから、行動を制御するのは無理だ」とあきらめてしまうと、意思決定を改善する方法を考えなくなってしまいます。
一方、「人間は情報処理や時間などの制約がある中で、それでも合理的に振る舞おうとしている」という視点を持つと、「では、どのようにサポートすれば、より良い意思決定ができるか」を考えられるようになるのではないでしょうか。
たとえば、投資の場面ではあらかじめ「利益確定の基準」「損切りの基準」をリスト化しておくと、感情や雰囲気に流されにくくなると思います。
また、買い物で失敗しがちな人は「本当に必要か?を3回自問する」など、簡単なルールを決めておくのも有効です。
ちなみに、これらは私の「マイルール」でもあります。
もし、人間が「完全非合理」ならば、こうした対策は全く効き目がないかもしれません。
しかし、実際には限定的でも合理性を働かせられるからこそ、行動を変容させる余地があるのではないでしょうか。
まとめ
「人間は非合理だ」とだけ聞くと、あたかも無計画に行動しているかのような印象を与えます。
しかし、行動経済学の数多くの研究は「完全な合理性」を前提にしてきた従来の経済学モデルが、やや理想化されすぎていることを示したに過ぎません。
実際の行動経済学の考え方は「人間は限定合理性という枠組みの中で、それなりに合理的に判断している」というものです。
最近目にする様々な行動経済学の記事や書籍を読むと、その議論が抜け落ちている、あるいは理解していないものが多い印象です。
行動経済学ブームだからこそ、正しい理論を展開する必要があるのではないでしょうか。
限定合理性の視点を理解すると、「なぜあんな失敗をしてしまったのか?」と自分を責める代わりに、「そこまで情報を集められなかったし、時間もなかった。でも次はどう改善すればいいか?」と前向きに対策を立てられるようになると思います。
私たちは、完璧ではない環境やリソースの中で日々、最善を探りながら行動している。
それこそが、行動経済学が描く人間の姿ではないでしょうか。
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