橘永愷の呟き
帝(みかど)より氏姓を賜った我が始祖は、たいそう遣り手の女性だったそうだ。宮仕えしていた時知り合った皇族男性と結婚したが別れ、その後中堅官僚と一緒になった。
彼は有能な人物で朝廷の実力者になったが、それには我が始祖の支援も大きかったようだ。
その間ずっと宮仕えしていた我が始祖は、帝の乳母になり、また娘を皇后にした。全て自身の才覚によるものだ。
彼女の死後、夫の一族は栄えたが、その氏姓を継いだ彼女の親族は寂れてしまった。一時、皇后になった女性も現れたが、それきりだった。
自分の代になると、政権とは無縁となり、自分自身は学問の世界で身を立てようと思い文章生となったが、虚しさを感じ、世を捨て歌の道に生きることにした。
そんななか、親族の一人が薄い冊子をくれた。かつて后宮に仕えていた女性のものだ。彼女は我が一族の男人と結婚して一子を儲けたがすぐに別れ、宮仕えをしたそうだ。
彼女は后宮を盛り立てた一人だった。后宮は薄幸な女性だった。だが后宮は素晴らしい女性だったと彼女は周囲の人々に語った。冊子は后宮に仕えていた時の備忘録だった。
虚しい思いにとらわれた時、冊子を捲ってみる。すると、とても肯定的な気分になる。
そして、今は冊子の持ち主だった女性の物語を冊子の余白に書き込む。后宮は確かに立派な女性だった。だが、彼女に仕えた冊子の持ち主も素敵な女性だったのだ。
このことも長く伝えねばと思うのだった。
#歴創版日本史ワンドロワンライ 1月11日 お題:橘氏
橘永愷(たちばなのながやす)、別名は能因。彼が所持していたといわれているのが「能因本 枕草子」です。枕草子に収録されている清少納言のエピソードは彼が書き加えたのではないかという説を以前目にしたことがあります。