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工芸家を目指す若者が経験すること ①漆工芸家になるために京都に出てきた
今から150年とちょっと前
丸岡という町に 延(のぶる) という少年が住んでいました。
丸岡は今の福井県福井市のチョット北にある町。
町の中心には町を見下ろすお城があって、ちょっと前まではお殿様が住んでいました。
お殿様は「ろうじゅう」されたえらいお殿様で、延が生まれるちょっと前は知事さまも務められたえらいお殿様でした。
延 はそんな丸岡のお城の近くで生まれそだちました。
負けず嫌いな性格で、何に対しても一生懸命。
遊んでも勉強でも負けることは大嫌い。
手先も器用で物を作るのが大好き。新しいもの大好きでなんでもやりたがる、元気な元気な男の子でした。
そんな 延 にある日、父が言いました。
「おまえ、兄と同じように京都に修行に行け」
延 13歳の時でした。
「わかった。兄者の奉公しているとこは名人とよばれるひとのところやろ? いって、兄者と一緒にがんばってくる!」
そういって 延 は京都の漆の名人のところに向かうことになりました。
丸岡から京都にむかうその朝、母は握り飯を作って渡してくれました。
心配そうな顔をしながら渡してくれました。
父は延が普段持ったこともないようなお金をわたしてくれました。
「敦賀の町まで行けば、そこから汽車が京都まででとる。そこまでいけば、渡したお金で切符を買って兄のところに行け。兄には手紙をしてある。」
「わかった!京の都に行ってくる!」
延 は元気いっぱいに返事して出発しました。
敦賀までは18里
最近の言い方では65キロメートルということだそうだ。
初めての旅、握り飯はいっぱいもらったが、敦賀まではどれくらいかかるのかな?いったことのない大きい町だそうだ。
汽車って、煙を出して走る鉄の黒い塊だそうだ。周りの景色が飛ぶように後ろに行くらしいが、いったいどういうことだろう!
何にしても京都についたら兄者と一緒に名人に弟子入りして、
一人前の塗師になって、丸岡の町に錦を飾ろう。
一緒の方向の向かう行商の人に聞いてみたら
丸岡から敦賀までは健脚の大人でも丸二日はかかるという。
敦賀までは歩いて行かないと切符代が足りなくなると父上は言っていた。
ちょっと不安な 延 だったが、そこは負けず嫌いの気持ちもむくむく沸いて
「こわくなんてないぞ!」
ちょっと目が潤みそうになりそうになりながらも
握り飯を入れた行李をしっかり握り紙入れを懐中奥深くにあることを手で確認して、さき程よりも早足で歩き始めました。
後に表悦という名で京塗の名工の一人と呼ばれる初代三木表悦の旅立ちの一節でした。