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「誰にとっても生きやすい世の中にしたい」サポートマネージャー 奥野 裕一のインタビュー
こんにちは!
「障がいを特別なものにしない会社」KEIPE(ケイプ)株式会社です。
KEIPEでは、何らかの障がいを抱えて就労が困難になった方の社会復帰を支援する福祉サービスを展開しています。
連載「KEIPEople」(KEIPE + people)では、KEIPEで働く仲間たちをインタビュー形式でご紹介!今回紹介するのは、サポートマネージャーの奥野 裕一(おくの ゆういち)です。
サポートマネージャー・奥野のキャリアと仕事
奥野 裕一
1982年生まれ・山梨県中央市出身
「時間にとらわれることなく、自分のやりたいことをする」という思いから、通信制高校のNHK学園高等学校に入学。卒業後は生まれ育った山梨で内装業職人として働く傍ら、「一人でも多くの方の幸せの瞬間に携わりたい」と考え、ブライダルギフトメーカーにも従事。その後あらゆる課題に直面し、2018年11月に障がい者就労支援をメイン事業とするKEIPEに入社。
ーKEIPEではどのような業務をしていますか?
地元山梨の皆さんや企業に向けて、日々あらゆる情報を発信するのが私の仕事です。
誰にとっても安心・安全で「私らしく」生活できる、生きやすい社会を創るために活動しており、誰にも変えられない人それぞれの可能性を追求しています。
発達障害の甥っ子に「自分という存在を認めてほしい」と思った。
―KEIPEで働こうと思った理由を教えてください。
KEIPEへ入社したきっかけには、発達障害の甥っ子の存在が大きく影響しています。
私の兄には3人の子どもがいて、その長男が小学校高学年のときに、発達障害と診断されました。
その甥っ子は、小さいときからとても神経質で繊細な性格でした。大勢の人がいる賑やかな場所を避け、いつも静かな空間に一人でいるのを好みました。
その一方、自分の中で納得できないこととなると、感情のままにストレートな発言をしてしまい、ときには相手を傷つけてしまうことも…。気づいたら彼の周りには、心許せる友人がいなくなってしまいました。
でも彼に話を聞いてみると、「友達がほしい、友達と笑いたいんだ!」という本音を聞かせてくれたのです。
その後発達障害と診断されたとき、彼は「自分なんて…」と落ちこみ自らを諦めかけていました。
しかし私自身が思ったのは、「だから何なんだ。」
私は彼に「自分という存在を認めてほしい。」と思いました。
そして、甥っ子と同じように障害で悩む人が「人生が楽しい!」と実感してもらえるように「何かできることがある!」と考えKEIPEへの入社を決意しました。
限界を決めずチャレンジする姿に感動
―この仕事をしていて良かったと思う瞬間はどんな時ですか?
障害を持つメンバーの多くは、一般就職を目指して活動しているのですが、自分の限界を決めずチャレンジする姿にいつも感動をいただいています。
「私はこうだから…」ではなく「私にはできます!」
このように自ら可能性を広げる瞬間や、その夢に一歩近づけた瞬間に立ち合えるのが、この仕事の魅力です。
誰しもが胸の中に「夢」や「目標」があり、チャレンジした人だけがその先の景色を見ることができます。メンバーに「やって良かった!」と言ってもらえた瞬間は、心が躍ります!
障害の有無にとらわれない笑顔あふれる社会を作りたい
―今後の目標を教えてください。
「誰にとっても生きやすい世の中にしたい。」
これが私の目標です。
現状、まだまだ「障がい」というレッテルがありますが、障がいは特別なものでもリスクでもありません。
私はKEIPEに入社して、可能性を秘めた方がたくさんいることを知りました。
障がいがあるから「できなくて当たり前」ということは無く、人の可能性は無限で、他人が「できる」「できない」を線引きするものでは無いはず。
自らが望む人生設計にコミット・チャレンジすることは、障がいの有無に関わらず平等で、その姿に我々はいつも感化されています。
障がいがあっても、地域社会全体が一人の人間として認め合えるような、笑顔あふれる社会にしたい。
自分らしい道をひらくきっかけを、共に見つけることができたらと思います。
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連載「KEIPEople」では、今後もKEIPEで働く仲間たちを紹介していきます。
KEIPEをもっと詳しく知りたい方はぜひHPをご覧ください!