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平将門

 2020年1月15日からの東京旅行を控え、初めての東京に私はワクワクしていた。

2020年1月1日。風呂上がりに髪を乾かしていると、平将門がやって来た。その瞬間私は、「東京で1番に行きたい場所は将門塚だった!」と思い出した(笑)。観光場所は既に決めていたのだが、ガイド本に頼ってしまい、将門塚の事はすっかり忘れていた(笑)。将門が来てくれなかったら、旅行から帰って来て、「行くの忘れてた!」と後悔するところだった。

前にも述べましたが、私は霊感がない。ただ、5次元に上がってから、不思議な事を当たり前のように体験するようになった。(これに関しては"5次元に上がった日"をご覧下さい)

やって来た将門は、まるで幽霊のように肌色が白く、ざんばら髪で、胸から上の姿で現れた。なのに全く怖くない。むしろ来てくれた事が嬉しかった。私は、将門を目で見ている訳ではない。例えが難しいが、イメージとしては脳裏に映っているのを見ている感じだ。それにしても、歴史に詳しくない私は、なぜ将門だと分かったのか?なぜ将門が私の元を訪れたのか?そもそも将門なのか?疑問に思った。

後日、霊感の強い人に尋ねると、「自分の事を理解してくれる人の所に来ます」との事です。
つまり、将門は、自分の事を理解してくれる者(私)が、近々東京にやって来ると察知し、事前に私の元へ現れたのだった。そうは言っても、私は歴史は詳しくない。教科書に将門は謀反を起こしただの、恨みに思って反逆しただの書いていたのは覚えている。果たした歴史は正しいのだろうか?前々から教科書は事実を教えているのか疑問に思う。

将門を見た時、「悪者扱いされているけど、この人は良い人だ」と思った。

以下、将門目線で綴ります。

将門は、大飢饉や重税により、民衆が飢餓や貧困に苦しむ世の中を嘆いた。それに対して、藤原は、民衆の事は考えず、政敵を次々と討ち滅ぼし、藤原だけが栄える世の中を作り上げ、地方政治は国司が横暴し、やりたい放題になっていた。将門は、民衆は苦しんでいるのに、藤原が権力と富に執着し、日本が藤原により私物化された事に憤慨した。そして、将門は朝廷に対してクーデターを起こし、将門の乱になった。
将門は、富士の噴火で飢餓で苦しむ人々の為に、皆と一緒に畑を耕し作物を作ったそうだ。その時に畑を耕しやすいよう、鍬を作ったとも言われている。歴史上では、将門が一方的にクーデターを起こしたようになっているが…。実際は、困っている民衆と共に、一生懸命取り組む将門の姿勢に、「将門さんありがとう」「将門さんのお陰です」「将門さん、将門さん…」と言う人々が増えて行き、自然と将門の周りは、将門を慕う民衆で溢れ返ったのではないだろうか。それを見た将門を嫌う者達が、朝廷に「将門がクーデターを起こそうとしている」と密告し、将門は殺されたのだろう。

こう考えると、将門が可哀想で仕方がない。将門は、より多くの人々を救いたかったはずだ。権力や富はどうでもよく、人々が平等に普通に暮らせればよかったはず。

将門は、自分の命を犠牲にしても、民を助けようとした。自己犠牲で身を犠牲にした、愛のある人。

私は初めて将門塚を訪れた。階段を登り敷地に入った瞬間、一瞬で空気が変わったのが分かった。神聖な別空間に移動したかのような感覚になった。将門が張った結界か?来る人を選ぶだろうなと思った。物凄く清らかな空気で、誠実で純粋な正義感に溢れた空間にいる感じがした。「人としてちゃんとしなきゃ」と張り詰めた思いがして、背筋がピンとなった。44坪の敷地なのに神社のような神聖な場所にいるかのようだった。
「あなたはとても素晴らしい方です。あなたのような方が、リーダーだったら、どれだけ多くの人々が救われた事か。あなたが生きていた時代も今も全く変わってません。人々を救おうと改革する人がいれば、私利私欲に目が眩んだ人達が、貶めて手柄を横取りします。私はそんな人達を歯痒く思います。私は将門さんのような人になりたいです。私や誰かが人々を救いたいとお願いした時に力を貸して下さい」と、お参りした。

帰り際、私は泣きそうになった。悲しいのは私ではなく、将門さんだと感じた。私と将門さんがシンクロしているのだと感じた。
「あなたの事を理解してくれる人は少ないのですね。あなたはやっぱり良い人です。」と、心の中で伝えた。

将門さんは、謀反の嫌疑をかけられ殺された。その為、多くの人々を助けたかったのに、助けられなかった。無念の死を遂げた。

なのに「呪いだ」「祟りだ」と言われ、嘆いている。なので、ここでは「呪いだ」「祟りだ」と言ったり、思ったり、ふざけないで欲しい。将門の思いを汲み取って欲しい。

将門塚で、変な写真が撮れたり、金縛りにあったり、祟られたと言うのは、やましい心を持っているからだ。
将門塚を壊そうとしたら亡くなったとか、祟られたと言うのは、やましい事をしようとしたか、誰の為にもならない意味のない工事だったからだ。

将門さんは、将門塚に来る人を選ぶ。やましい心を持った人を戒めるので、そういう心を持った人は行くべきではない。

祟りや呪いは、祟られる側にやましい気持ちがあるから成立する。純粋な正義感を持った方が、心の底から「多くの人々を助けたい」と将門塚にお参りをすれば、将門さんはきっと助けてくれる。

三大怨霊と呼ばれる、菅原道真、平将門、崇徳天皇は、藤原政権の時に非業の死を遂げている。藤原を祀る場所は意外と少ない。それ程、藤原政権は民衆に支持されない政権だったのだろう。そう考えると、昔も今も変わらない。

三大怨霊と呼ばれる御三方は丁重に祀られている。祟りと恐れられたからなのだが、祟りは祟られる側にやましい気持ちがあるから成立する。祟りを恐れる一部の人間に祀られた御三方は、結果として、守り神として多くの民衆に愛されるようになった。彼らは、呪いや祟りと言われながらも、これからも人々に愛されるだろう。なぜなら彼らは、敬意を持って接してくれた相手に、最大限の加護を与えて下さるからだ。私達生きた人間も、敬意を持って接してくれた相手には、もてなしたり、手を尽くしたくなる。それと同じだ。



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ケイ
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