生田神社〜兵庫県神戸市
生田(いくた)神社
【所在地】
兵庫県神戸市中央区
【御祭神】
稚日女尊(かわひるめのみこと)
【由緒と歴史】
日本書紀によると、201年、神功皇后の三韓征伐〔新羅遠征〕の帰途、船が動かなくなった。
*務古水門(むこのすいもん)で神占を行うと、稚日女尊が現れ、次のような神託があった。
『私は、いくたのながおの国に居たい。うながみのいさち〔うなかむのいそきぢ〕に命じて、いくたの地に祀ってほしい』
活田長狭国とは、生田川の上手の砂山(いさごやま)の地名のこと。
当初、稚日女尊は、現在の新神戸駅の奥にある布引山〔砂山〕に祀られていた。
799年4月9日、布引の渓流の大洪水で砂山の山麓が崩壊し、神社が危険にさらされた。
刀禰󠄀七太夫(とねしちだゆう)という人が、御神体を背負って鎮座地を探し回っていると、生田の森に着いた時、背負っていた御神体が重くなった。
動けなくなった刀禰󠄀七太夫は、「これは神の意志だ」と思い、御神体は現在の生田神社に遷座した。
*務古水門:兵庫県尼崎市の武庫川の河口。
【稚日女尊】
稚日女尊は、若く瑞々しい日の女神という意味もある。
日本書紀では、稚日女尊は次のような話で登場する。
『高天原でのこと。稚日女尊は、天照大神の機織り小屋で衣を織っていた。それを見た素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、小屋の屋根に穴を開け、皮を逆剥ぎにした馬を投げ入れた。稚日女尊は驚いて、機織りから転げ落ち、持っていた機織り道具の梭(ひ)で、体を突いて死んでしまう』
日本書紀の記述から、稚日女尊は機織りの神ともいわれている。
稚日女尊は、天照大神自身のこととも、天照大神の和魂(にぎみたま)、妹神、御子神とする説もある。
その他にも、天照大神の幼名であるとする説、天照大神も稚日女尊も伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の御子神とする説もある。
稚日女尊については謎が多い。
【史跡 生田の森】
生田神社の社殿の北側には、「生田の森」が鎮守の杜として広がっている。
枕草子などの様々な書物にも記されている。
源平合戦ゆかりの地、かまぼこ発祥の地でもある。
[生田森坐社
(いくたのもりにいますやしろ)]
祭神:息長足媛命
(おきながたらしひめのみこと)
*神功皇后
【摂末社】
社殿内向かって右端
[住吉神社]
祭神:
表筒男命(うわつつのおのみこと)
中筒男命(なかつつのおのみこと)
底筒男命(そこつつのおのみこと)
社殿内向かって右
[八幡神社]
祭神:応神天皇(おうじんてんのう)
社殿向かって左
[諏訪神社]
祭神:武御名方命(たけみなかたのみこと)
社殿向かって左端
[日吉神社]
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
[蛭子神社]
祭神:蛭子命(ひるこのみこと)
[戸隠神社]
祭神:手力男命(たぢからおのみこと)
[市杵島神社]
祭神:市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
[稲荷神社]
祭神:稲倉魂命(うがのみたまのみこと)
[塞神社]
祭神:
道返大神(ちがえしのおおかみ)
八衢比古神(やちまたひこのかみ)
八衢比売神(やちまたひめのかみ)
[雷大臣(いかつおみ)神社]
祭神:中臣烏賊津連
(なかとみのいかつおみのむらじ)
*生田神社の元社家〔宮司家〕、後神(ごこう)家の始祖神。
*壱岐真根子(いきまねこ)の父。
壱岐真根子についてはこちら⇩
[人丸(ひとまろ)神社]
祭神:柿本人麿(かきのもとのひとまろ)
[大海神社]
祭神:猿田彦命(さるたひこのみこと)
[松尾神社]
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
【布引の滝】
布引の滝は、生田神社の創建当初、稚日女尊を祀っていた布引山にある。
新神戸駅から北へ徒歩5分で着く。
六甲山の麓を流れる生田川の中流にかかる滝で、川は断層に沿って流れている。
【おわりに】
生田の森で、読まずに通り過ぎようとした石碑に「かまぼこの発祥は神功皇后の三韓征伐…」と記されているのを見て後戻りした。
「かまぼこを漢字にすると蒲鉾、鉾の字を使うのはそういうことだったのか〜」と思った。
生田神社は都会のオアシスだった。
生田の森は居心地がよく、樹齢五百年を超える四本の御神木に癒される。
生田神社の詳細はこちら⏬
由緒と歴史、神戸の地名の由来、稚日女尊、神様の名前に使う「尊」と「命」、布引の滝などについて書いています。
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