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【寄稿】『わたしは、不法移民』は、なぜいま読まれるべきなのか

2023年6月刊『わたしは、不法移民』は、自らも不法移民であった著者が、不当な労働によって搾取され、虐げられ、精神を病むヒスパニック系不法移民の実情を克明に描いたノンフィクション作品です。

今回は、ドナルド・トランプ大統領の第二次政権発足を受け、編集担当者が今こそ本書が読まれるべきポイントを解説した文章を公開します。ぜひご覧ください。

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 2025年1月20日、ドナルド・トランプが第二次政権を発足させ、ふたたびアメリカの移民政策に大きな影響を与えることが予想されています。トランプ氏の「不法移民の史上最大の強制送還作戦」という言葉は、移民の未来に暗い影を落としています。本書『わたしは、不法移民』(カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ著、池田年穂訳、2023年6月刊行)は、こうした時代にあらためて読まれるべき一冊です(「不法移民」という表記については本書の凡例をご覧ください)。
 2016年のトランプ大統領の当選は、アメリカ社会に根深い分断と排外主義を顕在化させました。この時期、移民政策の厳格化が叫ばれ、ヒスパニック系を中心とする不法移民たちはより厳しい環境に追い込まれました。著者カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオはこの政治的状況を背景に、自らもDACA(幼少期に不法入国した移民への送還猶予措置)の取得者として、まさに不法移民問題の当事者として、声なき人々の声を届けることを胸に誓い、本書の執筆を決意しました。
 日雇い労働者や掃除婦、建設作業員など、アメリカ社会を支える1100万人にも及ぶ「滞在年数の比較的に長い」無名の不法移民たちの物語に光を当てた本書は、刊行直後から『朝日新聞』や『読売新聞』『日経新聞』をはじめ25にも及ぶ紙誌の書評で高く評価された珠玉のノンフィクションです。原書は、2020年の刊行後、全米図書賞、全米批評家協会賞、LAタイムズ・ブックプライズなどの重要な賞のショートリストに次々と入り、大ベストセラーとなりました。

サンクチュアリシティとDACA:二つの希望

 第一次トランプ政権は、サンクチュアリシティ(不法移民を保護する都市)への圧力を強め、DACAの廃止を試みました。4年の歳月を経て、ふたたび政権の座に就いたトランプ氏が、これらの政策を形を変えて復活させる可能性は非常に高いと予想されます。サンクチュアリシティが掲げる「すべての人が安全で尊厳ある生活を送る権利」を擁護し、DACAに救われた若者たちがどのようにしてアメリカ社会に貢献しているかを描く本書は、こうした政策の背後にある人間の物語を深く掘り下げています。
 カーラは、DACA取得者として「ドリーマー」と呼ばれる存在がアメリカ社会でどのように注目され、時に過剰な政治的シンボルと化しているかを冷静に指摘します。そして彼女は、こうした注目の影に隠れた「普通の移民」たちの日常の苦闘や夢にも焦点を当てます。本書を通じて、読者はDACAの恩恵を受けられない移民たちのリアルな現状に触れることができます。

タイトル42の復活の可能性

 パンデミック時に導入されたタイトル42による迅速な送還政策は、トランプ政権下で移民問題に対処するための道具として活用されました。この措置が第二次トランプ政権で形を変えて再登場する可能性も否めません。カーラの文章は、このような政策が引き起こす移民たちの苦しみを、詩的かつ生々しい描写で伝えてくれます。
 たとえば、本書のなかで描かれる移民労働者の物語には、アメリカンドリームを追い求めながらも、その夢が踏みにじられる現実が克明に描かれています。彼らの「普通の生活」がどれほど脆弱でありながら、いかに尊厳を持って営まれているかが、読む者の心を揺さぶります。

声なき人々の代弁者として

 カーラは本書で、自身のアイデンティティを通じて、不法移民に対する偏見や誤解を解きほぐそうとしています。彼女が描くのは、移民を「問題」や「数字」としてではなく、一人ひとりの人生を持つ存在として見る視点です。特に、アメリカ社会の底辺で働く移民たちが直面する現実を描写することで、本書は「不法移民」というラベルの背後にある人間性を浮かび上がらせています。
 カーラ自身も述べています。「わたしがいまの生活を送ることができるのもドリーマーだからに違いないけど、この国の政治において彼らは注目を浴びすぎてる。わたしが伝えたいのは、日雇い労働者や掃除婦、建設作業員、犬の散歩係や配達人として働く人たちの物語だ。」

両親との愛憎

 本書の魅力は、個々の物語の奥深さだけでなく、不法移民としてのカーラ自身の経験がそこに深く織り込まれている点にあります。
 カーラの父は家族の生活を支えるために過酷な労働環境に身を置き、アメリカで差別や困難に立ち向かってきました。カーラはその姿に敬意を抱きつつも、自身のなかに複雑な感情が渦巻いていることを告白しています。幼少期に借金のかたとしてエクアドルに置いてゆかれ、4歳で両親との再会を果たしたカーラは、父や母に対する愛憎入り混じる感情を抱えながらも、英語を解さぬ両親のインタープリターとしての務めを果たし、老いてゆく両親を扶養せねばという義務感を抱いて、家族の絆の恢復を模索します。また、老いていく父を支えながら、彼に尊厳を取り戻させようと努力する姿が切なくも温かく描かれています​​。

彼ら一人ひとりの人生を理解するために

 『わたしは、不法移民』は、たんなる社会問題の解説書ではありません。本書は、移民問題を「共感」の枠組みで捉え直し、読者に「この人々の人生を理解したい」という気持ちを芽生えさせます。アメリカの不法移民政策に関心のある方々にとって、現在の状況を深く理解するための必読書と言えるでしょう。
 第二次トランプ政権がもたらす変化を前に、本書が提示するメッセージはますます重要性を増しています。移民たちの声に耳を傾け、彼らの人生を理解しようとすることこそが、未来のアメリカ社会を考えるための第一歩なのです。『わたしは、不法移民』は、その一歩を踏み出すための力強いガイドとなるでしょう。

編集担当:上村和馬

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本書の訳者・池田年穂氏からの寄稿記事も以下から試し読みできますので、こちらもあわせてお読みください。

著者略歴

【著者】
カーラ・コルネホ・ヴィラヴィセンシオ(Karla Cornejo Villavicencio)
1989年エクアドルで生まれる。4歳でアメリカに渡る。両親とともに不法移民として暮らす。10代から、音楽記事をはじめとして、新聞・雑誌に寄稿する。2011年ハーヴァード大学卒業。イェール大学大学院でアメリカンスタディーズを研究。ABD(博士号取得に必要な研究論文以外完了)。オバマ政権下でDACA取得者となる。現在はアメリカ市民権を取得済み。2010年に『デイリー・ビースト』に匿名で発表した「わたしはハーヴァード大学在学中の不法移民」が注目を集めた。2016年のトランプの大統領選出の翌日に執筆を決断した本書(自身は「クリエイティヴ・ノンフィクション」と位置づけている)は2020年の全米図書賞ノンフィクション部門のショートリストに入り、ベストセラーとなる。

【訳者】
池田年穂(いけだ としほ)
1950年横浜市生まれ。慶應義塾大学名誉教授。タナハシ・コーツやティモシー・スナイダーの作品のわが国における紹介者として知られる。移民問題や人種主義に関心が深く、訳書も数多い。タナハシ・コーツ『世界と僕のあいだに』(黒人)、アダム・シュレイガー『日系人を救った政治家ラルフ・カー』(日系移民)、ユエン・フォンウーン『生寡婦』(中国系移民)などテーマも多岐にわたる。また、2022年のマーシ・ショア『ウクライナの夜』のように、ウクライナ問題は2014年のティモシー・スナイダー『赤い大公』から継続して追求しているテーマである。

目次

はじめに
第1章 スタテンアイランド
第2章 グラウンド・ゼロ
第3章 マイアミ
第4章 フリント
第5章 クリーヴランド
第6章 ニューヘイヴン
謝 辞
訳者解説
原 註

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