【試し読み】『ネクスト・インテリジェンス』
必要なのは、より多くの情報ではない、利益の自覚である。
急速なデジタル化により情報の洪水におぼれそうな現代。8月新刊『ネクスト・インテリジェンス』(北岡元 著)では、高度情報化時代の中で正しく判断・行動し「利益を実現する知識=インテリジェンス」について、安全保障・ビジネスにわたる代表的な理論と多様な事例から分かりやすく解説します。
このnoteでは、本書「プロローグ 利益をいかに実現するか」より一部を特別に公開いたします。ぜひご一読ください。
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プロローグ 利益をいかに実現するか
◆ミドリザルの「インテリジェンス」?
1977年3月、米国ロチェスター大学フィールド・リサーチ・センターの3人の動物学者が、キリマンジャロの裾野に広がるケニア・アンボセリ国立公園に到着。以後、彼らは14か月にわたるフィールド・リサーチを開始する。彼らのターゲットはミドリザルである。サバンナモンキーの一種で、アフリカのサハラ砂漠以南のサバンナに生息している。
このミドリザル、実はなかなか語彙が豊富で、捕食者が現れたときに「ヒョウがいるぞ!」、「ワシがいるぞ!」、「ヘビがいるぞ!」などと声を使い分けて、仲間に警告を発することができるらしい。「らしい」というのは、そう主張する論文が1967年に発表されていたのだ。そこで3人の動物学者は、それを実験で検証することにした。彼らは、まず公園内のサルが、捕食者(ヒョウ、ワシ、ヘビ)が現れたときに、どのような鳴き声を発するかを録音し、それを捕食者がいない状態でミドリザルの群れに聞かせて、その反応を観察した。
結果は、10年前に発表された論文の内容を見事に裏付けるものとなった。ヒョウを発見した際の鳴き声を聞いた群れは、大急ぎで木によじ登った。ワシを見つけた際の鳴き声を聞いた群れは、動きを止めて不安そうに空を見上げた。そして、ヘビに遭遇した際の鳴き声を聞くと、自分たちの足元を見回したのだ。
この例を「情報」の視点から考えてみよう。
「今、ヒョウがいる」というのは、目の前の現実である。その現実に1匹のミドリザルが気づき、声で仲間に伝達したのだ。そしてもう一つ、重要な現実がある。それは「ヒョウは平地で自分たちを襲う」、「ワシは空から自分たちを襲う」、そして「ヘビは足元から自分たちを襲う」という何度も繰り返された過去の現実だ。
このような現実を写し取った情報を「インフォメーション」という。この例では、眼前の現実と過去の現実を写し取った二つのインフォメーションが結び付くことで、木によじ登ったり、空を警戒したり、足元を見回したりして身を守る、というミドリザルの群れの判断・行動が可能になった。
このように、インフォメーションから生産された「判断・行動するために必要な知識」のことを「インテリジェンス」という。
◆人間の「インテリジェンス」
次に、人間の話をしよう。
言うまでもなく、人間の言語によるコミュニケーションは、ミドリザルを含む他の生物とは比較にならないくらい柔軟だ。このような言語能力を人間が獲得できたのはいつか、そしてなぜかに関しては、数多くの研究がある。例えば、およそ10万年から5万年前という遥かな過去に、人間の遺伝子に突然変異が起きた結果だという説、言語はさまざまなコミュニケーションの中から自然淘汰されつつ徐々に発展してきたという説、などが挙げられる。
いずれにせよ、人間の言語能力が卓越していることは間違いない。そのような人間にとってのインフォメーションとインテリジェンスとはいかなるものか。ミドリザルとの比較で考えてみよう。
ここで、舞台をケニアから隣国のタンザニアに移す。ケニア南部からタンザニア北部にかけて暮らすマサイ族の男性が、1988年に出版した自叙伝で紹介した実話を引きつつ、それを「情報」という観点から語り直してみよう。
場所はケニアとの国境にほど近いメシリ村。まだ少年であった著者は、その日、子牛の群れを水飲み場に連れて行った後、群れとともに帰宅の途にあった。少年が目を離した隙を突いて、1匹のメスのライオンが群れを襲ってきた。群れは大混乱に陥る。子牛を前足で押さえつけ、今まさに殺さんとしているライオンに、少年は槍一本で対峙する。少年の脳裏には、「ライオンに襲われて命を落としたマサイ族」という過去に何度も繰り返された姿(現実を写し取ったインフォメーション)が浮かぶ。しかし少年には、マサイ族の大人たちから教わった、もう一つのインフォメーションがあった。ライオンの心臓と肝臓がどこにあるか、そして槍を心臓に打ち込めば一撃でライオンを仕留められるが、肝臓に打ち込むとライオンはゆっくりと死ぬ、というものだ。
少年は、ライオンと、殺されかかっている子牛を観察した。心臓に槍を打ち込みたいが、この位置関係では子牛にも当たってしまう可能性が高い(これは眼前の現実を写し取ったインフォメーションである)。少年は、すべてのインフォメーションを瞬時に分析して、一つのインテリジェンスを作り出した。すなわち、「心臓ではなく肝臓に槍を打ち込めば、子牛の安全を確保しつつ、ライオンを、少なくとも弱らせることができる」と。
しかし、そうなると、死の間際のライオンの反撃で、もはや槍のない丸腰の自分が犠牲になるかもしれない。それでも、マサイ族にとって家畜はきわめて重要だ(これも、繰り返し獲得してきたインフォメーションだ)。そして、牛飼いの少年は、判断し、行動した。
槍は子牛からわずかに逸れつつ、ライオンの肝臓に命中。少年は、身近の木に素早く登り、予想されたライオンの反撃を首尾よくかわし、子牛とともに無事に村へ帰ることができた。彼の勇敢な行動が、村で高く賞賛されたのは言うまでもない。
ミドルザルと人間。両者を比べれば、人間のインフォメーションは遥かに豊かであり、それに基づいて作り出されたインテリジェンスは遥かに洗練され、より複雑な判断・行動を可能にする。しかし「判断・行動するために必要な知識」という点では、実は何の変わりもない。
◆生々しいまでの「利益を実現するための知識」
ここで、インテリジェンスの本質を明らかにするために、もう一歩踏み込んでみよう。ミドリザルは、そしてマサイ族の牛飼いの少年は、いったい何のために判断し、行動したのだろうか。答えは「利益」である。ミドリザルは、ヒョウやワシ、そしてヘビの襲撃から免れて生き延びることが、自分たちにとって利益であるからこそ判断・行動した。マサイ族の少年にとって、子牛を守ることが自分たちにとって利益であるからこそ判断・行動した。つまり、「判断・行動するために必要な知識」であるインテリジェンスの本質は「利益を実現する知識」なのである。
これは、本書の大前提である。つまり、本書はひたすら「利益を実現する知識」のみを対象とし、利益の実現に関係のない知識は扱わない。ただし、本書でいう利益とは、経済的利益だけでなく、勝利、生存、安全、敬意の獲得、満足、満腹(!)など、その主体が求めるものによって多種多様であることには注意されたい。
この「利益を実現する知識」という本質によって、インテリジェンスは他の知識と一線を画する。「私は真実を知りたい!」という欲求それ自体は、インテリジェンスを求める動機ではない。真実を知ることによって「○○という利益を得たい」という欲求があって初めてインテリジェンスの創造へとつながる。インテリジェンスの本質は、あくまで「利益」、それも生々しいまでの「利益」なのである。
この点は、ともすれば忘れられがちである。国家や企業、そして個人など、あらゆるレベルで「インテリジェンス」の名の下に、利益につながりようのない知識が生産されたり入手されたりして、むしろインテリジェンスの生産や入手を阻害し、ひいては利益の実現を妨げている。そして、このような傾向は、インフォメーションが爆発的に増加しつつある現代において、ますます強くなっている。
インテリジェンスを考えるうえで、利益こそが一番の基本となる。この点は、本書で繰り返し強調され、そして、本書の結論と大きく関わることになるだろう。
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