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【試し読み】『ウィーン1938年 最後の日々』

1938年に起こったナチス・ドイツによるオーストリアの合邦(アンシュルス)。この未曽有の事件に直面した当時のオーストリア/芸術都市ウィーンの文化状況が崩壊していく様子を、歴史的背景とともにたどりなおす、ウィーン1938年 最後の日々――オーストリア併合と芸術都市の抵抗』(高橋義彦 著)。

このnoteでは、序章より一部を特別に公開いたします。ぜひご一読ください。

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序章 一九三八年の「輪舞」

 いわゆる「世紀末ウィーン」を代表する作家アルトゥア・シュニッツラーの作品に戯曲『輪舞』がある。これは10場からなる対話劇で、1場で娼婦に誘惑された兵士が2場では女中を口説き、3場では女中が奉公先の若旦那に求められ、4場では若旦那が意中の人妻を口説き落とし、5場では人妻と夫の寝室の様子が描かれ、6場では夫がおぼこ娘を愛人にし、7場ではおぼこ娘が恋人の詩人と逢瀬を楽しみ、8場では詩人が自分の作品に出演する女優と関係を持ち、9場では女優がパトロンにするため伯爵に言い寄り、10場では伯爵が1場と同じ娼婦の部屋で目を覚ます。
 つまりこれは10人の男女からなる性愛による一つの「輪舞」を描き出した作品なのだ。19世紀末に書かれたこの作品は、内容の過激さからハプスブルク帝国が崩壊するまで上演することは許されなかった。1921年に初演された際も大騒ぎとなり、結局上演は禁止される。昭和4年(1929年)に『西洋十夜』のタイトルで出版された丸木砂土(秦豊吉)による日本語訳も肝心の部分は伏字だらけである。
 本書の目的は、1938年に生じた「アンシュルス(注1)」(ナチ・ドイツによるオーストリア併合)という歴史的事件をめぐるウィーンの人びとの「輪舞」を描き出すことにある。もちろんここで言う輪舞のつなぎ目は――シュニッツラーのそれのように性愛に限定されるものではなく――友情・恋愛・敵対・師弟・家族などさまざまな関係でありえた。アドルフ・ヒトラーによる最初の対外侵略であり、オーストリアという国家の消滅に至った大事件を、オーストリアの政治家や文化人たちがどのように受け止めたのかを、さまざまな人間関係の輪舞を軸に描いていく。
 ためしに本書の主人公のひとりである、アンシュルスに最後まで抵抗したオーストリア首相クルト・シュシュニクを起点に、登場人物たちで一つの「輪舞」を作り上げてみよう。

 1934年以来、首相の激務をこなすシュシュニクにとって一番の心の静養は、友人で詩人のフランツ・ヴェルフェルにゲーテの詩を朗読してもらうことであった。ヴェルフェルのパートナーは、作曲家グスタフ・マーラーの未亡人でありウィーンを代表するサロンの女主人として君臨していたアルマ・マーラー= ヴェルフェルである。アルマは建築家のヴァルター・グロピウス、画家のオスカー・ココシュカなど多くの芸術家たちと浮名を流したが、彼女の初恋の相手は世紀末ウィーンを代表する画家グスタフ・クリムトであった。
 クリムトはウィーン上流階級の有閑女性の肖像画をいくつも描いた。その代表作の一つ『マルガレーテ・ストーンボロー= ウィトゲンシュタインの肖像』のモデルは、隻腕のピアニストであるパウルと『論理哲学論考』で知られる哲学者ルートヴィヒの姉マルガレーテである。10代のルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインとリンツの実科学校で同時期に在学していたのが、未来の第三帝国総統アドルフ・ヒトラーであった。ヒトラーが政権を握ったあと、ドイツでは大規模な焚書が行われたが、精神分析医ジークムント・フロイトの書物はドイツ精神に反するものとして真っ先に焼かれた。
 フロイトはかつて原因不明の腕痛で指揮棒が振れなくなったブルーノ・ワルターを診察したことがある。そのワルターもナチスによりドイツを追われてウィーンへと逃れ、亡き師であるマーラー未亡人のサロンで作曲家のアルバン・ベルクと親交を持つ。アルマとグロピウスのあいだにできた娘マノンが夭逝した時、ベルクは彼女にヴァイオリン協奏曲を捧げた。ベルクが足しげく通い、いつも最前列で観覧していたのが、作家で稀代の諷刺家カール・クラウスの独演会である。のちのノーベル文学賞作家エリアス・カネッティは、クラウスの講演会で未来の伴侶ヴェツァ・タウプナー= カルデロンと出会う。
 舌鋒鋭いクラウスの諷刺には崇拝者以上に敵対者も多く、その代表がクラウスを「ツァラトゥストラの猿」と嘲笑した作家のアントン・クーである。ボヘミアン的生活を送っていたクーもアンシュルス前夜には政治に目覚め、親シュシュニク・反ヒトラーの運動に与していた。オーストリアの独立を維持するために右派から左派までを大同団結させようとしたこの運動には、マーラーとアルマの娘アンナ・マーラーも参加していた。アンナは母同様恋多き女性で、結婚と離婚を繰り返し彼女に恋する男性も多かったが、彼女に何通もラブレターを送った人物のひとりにオーストリア首相シュシュニクがいる。

このようにシュシュニクに始まりシュシュニクで閉じられる一つの輪の中にも、さまざまな人間関係が存在する。本書は1938年2月12日に行われたシュシュニクとドイツ首相ヒトラーのベルヒテスガーデン会談に始まり、3月12日のドイツ軍によるオーストリアへの武力侵攻を経て、4月10日の国民投票における圧倒的多数での承認に至る「アンシュルス」という危機の時代を背景に、政治家・軍人・官僚・音楽家・作家・精神分析医・学者・ジャーナリストなど、異なった背景を持つ人物たちがそれぞれどのような「輪舞」を踊っていたのかを描き出していくものである。
 各章の構成は、シュシュニクを中心にアンシュルスの前史を描いた第一章、ワルター・ヴェルフェル夫妻・カネッティ夫妻を中心にシュシュニク政権下の文化生活を描いた第二章、ドイツ侵攻前夜である1938年3月11日の緊迫するウィーンの様子を描いた第三章、ヒトラーを中心にアンシュルス後のウィーンの様子を描いた第四章、フロイト一家・ウィトゲンシュタイン姉弟・ヴェルフェル夫妻を中心にヒトラー支配下の文化生活を描いた第五章、第二次世界大戦が終結する1945年のヒトラーとシュシュニクを描いた終章からなる。筆者としては章の順に沿って読んでいただきたいところであるが、特に政治史に関心のある方はまず第一・三・四章を読みそれから文化史パートに進むという読み方も可能であるし、特に文化史に関心のある方は第二・五章から興味のある人物を選んで読み進めることも可能である。どのパートから読み始めても、本書の各所に埋め込まれた輪舞のつなぎ目を「発見」していただけるだろう。

(注1)「アンシュルス(Anschluss)」とは1938年3月に行われたナチ・ドイツによるオーストリアの併合(合邦)を指すドイツ語の単語である。一般には加盟や接続を意味する普通名詞であるが、歴史用語として用いられた際には主にこの事件を指す。

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著者略歴

高橋義彦(たかはし・よしひこ)
北海学園大学法学部准教授。1983年生まれ、慶應義塾大学大学院法学研究科後期博士課程単位取得退学、博士(法学)。
主要著作:『カール・クラウスと危機のオーストリア――世紀末・世界大戦・ファシズム』(慶應義塾大学出版会、2016年)、『民主主義は甦るのか?――歴史から考えるポピュリズム』(共著、同上、2024年)ほか。

目次

序章 一九三八年の「輪舞」
第一章 オーストリア併合への道  
 一 ハプスブルク帝国からシュシュニク政権まで 
 二 ベルヒテスガーデン会談
 三 シュシュニクの抵抗  
第二章 併合前夜の芸術家たち  
 一 ワルターとオペラ『ダリボル』  
 二 ヴェルフェル夫妻の愛憎  
 三 カネッティ夫妻の精神不安  
第三章 オーストリアの一番長い日  
第四章 ヒトラーのウィーン  
 一 挫折の街  
 二 勝利の街  
 三 暗黒の街 
第五章 ヒトラー支配下の文化生活  
 一 フロイト一家の脱出  
 二 ウィトゲンシュタイン家の姉弟喧嘩  
 三 ヴェルフェル夫妻のピレネー越え 
終章 それぞれの一九四五年  
人名索引

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