【イベント案内】平野啓一郎×中川ヨウ 「音楽と分人」(主催:慶應義塾大学アート・センター 油井正一アーカイヴ)
日本をリードする小説家のひとり平野啓一郎氏は音楽通としても知られ、マイルス・デイヴィスをはじめ多くのジャズメンに関する著作や言及もあります。
本イベント「平野啓一郎×中川ヨウ 音楽と分人」では、ジャズ評論家の中川ヨウ氏が、平野氏の音楽観、音楽と「分人」思想の相関などについて伺います。
ただひとつしかない「本当の自分」というものは幻想で、一人の人間のなかには環境によって変動するいくつもの性質があるものだと、『私とは何か 「個人」から「分人」へ』(講談社)でも平野氏は書かれていたように、さまざまな作品で「分人」という概念を提示されてきました。
本noteを書いている編集部員Oも『私とは何か』を読み、「個人」ではなく「分人」として人間を捉えると、あるべき本当の唯一の「私」でなくてはならない(たとえば、どんな人にでも同じひとつの性格で応じるべきだ、というような……)という固定観念がなくなり、向き合う相手や環境によって変化するすべての「私」が「私」なのだと思え、人間関係に対して前向きになれるように思いました。
また、環境で「私」が変動するならば、何かどうしようもないことが起きてしまった時、すべての原因が自分にだけある、という因果関係から少し離れた視点で考えることができるようにも思いました。
最新号『三田文學』151号では平野啓一郎氏のインタビュー「鷗外の描く〈生〉と〈死〉」(聞き手:小平麻衣子氏)を掲載しています。
本インタビューのなかで、時代の制度や周囲の環境、さまざまな偶然のなかで、どうしてもある行動しかできなかった人々――たとえば、よくしてくれる友人に抗えずエリスを捨てるしかなかった「舞姫」の豊太郎や、奴隷制度を活用することを当然と思っていた山椒大夫――を描いた森鷗外を「反自己責任論者」と捉えてお話しされていたことが印象に残っています。
さまざまな問題に広がる「分人」という思想と、音楽のお話は、いったいどのようにつながるのでしょうか……!
平野氏原作の「ある男」の映画が、間もなく公開されるというまさにぴったりの時期でもあります。ぜひご参加ください。
入場は無料ですが、お申し込みが必要です。
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