「陸の王者、強くなる日々」(イベル ブランドン 跳躍・107代跳躍ブロック長)


庭の幅ピット。ちょうど10年前の写真

こんばんは、イベルです。この度、競走部を引退することとなりました。振り返ってみると、この4年間は自分自身との闘いであり、チームの成長を導く挑戦でもありました。高校時代から抱えていた「自分だけが結果を出せない」という焦りや承認欲求。それを乗り越えるために、何が本当の意味でチームを強くするのかを問い続けてきました。洛南での経験、柴田先生や鹿又監督からの指導、慶應の「陸の王者」としてのプライドが、自分を導いてくれたことに感謝しています。特に「we over me」という考え方、遠回りをしても腐らずに前を向き続ける姿勢が、競技だけでなく人生全般に大きな影響を与えてくれました。これからも、その教訓を胸に次のステージに進んでいきます。競走部での経験、巡り合わせに心から感謝しています。

競走部で過ごした4年間は、ただ記録を追い求めるだけの日々ではありませんでした。仲間とともに汗を流し、勝利を目指す中で、自分自身やチームとの向き合い方、そして競技の本質を見つめ直す時間でした。洛南高校時代、顧問の「枯れても腐るな」という言葉が自分の支えとなり、慶應に入ってからもその精神は自分の中で生き続けていました。そして、競技者として、またリーダーとして、「陸の王者」としての誇りをどう強く保つかを問い続けてきました。
このブログでは、「遠くを見る目」「強さを織り込む手」「足跡を残す覚悟」「風が運ぶもの」という4つの視点から、私が競走部で何を見つめ、何を築き、どのように衝突していったのかを振り返ります。それぞれの章を通して、私が競走部を強くするために尽くしたその足跡を、皆さんにお伝えしたいと思います。

第1章 「遠くを見る目」

慶應大学に一般入試で進学し、競技とチーム運営の両方において、高校時代の経験を活かしていきたいと考えていました。競技面では、8mジャンプを目指し、土台の強さと自分の強みであるRSI値の高い接地を意識してトレーニングを重ねました。競技は練習中は個人で向き合うものだと捉えていましたが、大会では常にチーム全体を背負う責任感を感じていました。特に高校時代の全国インターハイでの総合2連覇は、チームへの貢献の重要性を痛感させた出来事です。洛南時代はインターハイのアップ会場の雰囲気が24時間流れている環境を作ることに力を入れました。

そしてこの慶應競走部というチームでは4年間かけて自分にもチームにも大きな変化を作りたい。
その思いを自分なりに早い段階から行動に移してきました。

競技
大学1年の秋、自己記録が安定してきた時期に、気持ちよく競技を続けるだけでは自分の成長に限界があると感じ、あえて自分を変える挑戦を決意しました。小さく軽快な動きを大きく強固なものに変え、さらなる高みを目指すための戦略的な決断でした。この挑戦は、大学生活における最大の転機となりました。

運営
運営面では、高校時代の経験を活かし、慶應でもチーム全体をどう強くしていくかを常に考えてきました。「we over me」の精神を重んじながら、周囲をリスペクトし、チームの状況を理解することに努めました。誰よりも早くからチームの強化を考え、仲間とともにチーム作りに取り組んできた自負があります。

このように、競技と運営の両面で長期的な視野を持ち、チーム全体の成長を見据えながら、自分の役割を果たしてきました。この視野の広さこそが、「遠くを見る目」を持ち続けた証であり、競走部での活動における私の基盤となっています。

第2章 「強さを織り込む手」
 リクルート長としての私の役割は、チームの内側の強化だけでなく、外部から強力な選手を獲得し、チーム全体を底上げすることにありました。関東インカレ1部で戦う他大学はスポーツ推薦制度を持っており、強い選手を揃えやすい一方、慶應にはその制度がありませんでした。そのため、私はその状況に強い課題意識を抱き、チーム強化に向けてリクルート活動を活性化させることが必要だと感じました。鹿又監督の就任直後、炎天下の近畿インターハイで初めて勧誘活動を行いましたが、当時は情報不足や関係者が初対面で、リクルートの効果に悩みました。それでも、この活動がチームを強くするために欠かせないと信じ、2年間をかけて基盤を整え、少しずつリクルートの成果が数字として現れるようになりました。

一方で、「we over me」の精神を体現しながら、チーム全体の結束を図ることには多くの苦労がありました。特に、入学時点でプライドや危機感を持つ部員が少なく、個々のモチベーションや目標意識には温度差がありました。この問題に苦戦し、チーム全体の結束は、ある部員が期待を超える結果を出したときに偶然生まれる、いわば運任せの状態でした。私が望んでいたのは、もっと安定した結束であり、そのためにチームのキーパーソンに働きかけることに焦点を当てました。特に、やる気やモチベーションを引き出すのが難しいメンバーが多くいたため、まずはその部分を引き出すことが重要でした。キーパーソンが活気を持てば、その波がチーム全体に広がることを意識し、彼らに積極的に関わりました。

リーダーとしての課題は他にも多くありました。特に、周囲の雰囲気に合わせて細かい仕事を確実にこなすことが私にとっては苦手な部分でした。跳躍ブロックのメンバーや幹部に多く助けてもらいながら、自分のリーダーシップを発揮することができましたが、他の幹部やサポートメンバーがいなければ乗り切れなかったことは多々あります。この部分は未だに克服できていない課題であり、より緻密に動くことができる人になるために、今後も意識していくべき点だと感じています。

競技の面では、部員としての責務と個人としての競技の両立に取り組みました。自分が競走部の中で得点を最も多く取るために三段跳を続けたこと、またチームのために献身したことが、競技面での私の貢献だったと思います。しかし、どれだけチーム全体に影響を与えられたかは正直分かりません。常に完璧ではなかったものの、自分なりに最善を尽くしてきました。

結局、私がチームに対して与えた最も大きな影響は、圧倒的な当事者意識だったと思います。幹部の中で誰よりも早くから「we over me」の精神に向き合い、行動してきました。最後の幹部会議では、他の幹部たちがこの精神をどう体現したのかを聞きたかったのですが、時間が足りずにその機会を得ることはできませんでした。それでも、リクルートと競技の両面でチームに貢献できたことは大きな成果だと感じています。

第3章 「足跡を残す覚悟」
 中学時代、走幅跳で全国大会に出場できなかった経験は、今でも自分の競技人生の原点です。この悔しさが、いつか目標を達成するという強い意思につながり、その意思を裏切れないという感覚が常に心の中にあります。自分に課したこの使命感こそが、最底辺から這い上がろうとする原動力でした。

実際に、最底辺にいると強く感じたのは、洛南高校の練習に参加したときでした。地元の公立高校に進学する予定で、天狗になっていた中学時代のエースであった自分は、その練習を通して「自分は大したことない」と痛感しました。自分のレベルの低さを知り、そこからチームを全国優勝させるほどに強くなりたいと思い、洛南で一番強くなれる環境に自ら飛び込む決意を固め、頭を丸めて入学しました。

高校時代の想いが詰まった写真
とにかく爪痕を残そうと奔走した日々。この3年間は人生でも一番濃い。

大学での爪痕、自分は長い目線を思い切って取り入れました。
自分の競技人生の転機となった大学1年の冬。当時、自分はそこそこの状態にありましたがさらに高みに進むためにはリスクを取らねばならないと感じました。7m70や15m70がどんな状態でも跳べるような状況にあったのでとりあえず記録に繋げたい気持ちもありました。それまでのアプローチを変え、長期的な強化に取り組む決意をし、短期的な結果に一喜一憂しないようにしました。

4年間で獲得したものと失ったものは多くあります。競技の成果を得た時、記録が伸びた時は確かに安心感を覚えましたが、それで満足することはありませんでした。私が求めていたのは、単なる記録以上のものであり、自分が見立てたトレーニングの効果が現れた時、副次的な要素で他の部分がうまくいかない場面も多くありました。公式戦が迫る中、成果を出し続けるプレッシャーが次第に増していきました。

走幅跳という競技は、調子と記録が一致するのが難しい種目です。そのため、自分の実力を存分に発揮できた試合は数少ないです。一番誇りに思うのは4年目になって8mを跳ぶ条件をスピードでも跳躍でも満たせたことです。ただし、同時にこの2つを満たすことができませんでした。一番いい状態の時に踵を怪我してしまい、とても悔しかったです。

競技に向き合う中で、苦しんだ時期もありましたが、常に目標への執念が自分を支えました。目標を達成するという強い信念を保つことが、私にとっての心の強さの源です。この競技人生を通して、私は足跡を残したいと強く思っています。私の行動がロールモデルとなり、次の世代の選手が何かを学んでくれたら嬉しいです。ただし、行動を評価されるだけの存在ではなく、覚悟を持って自ら行動を起こすことの大切さを伝えたいです。
大学の競技生活が終わる今、私が残したい足跡は、慶應競走部を選んだからにはこの部を強くするために行動してきたという事実です。この行動がどのように評価されるかは分かりませんが、覚悟や工夫を続けた経験は自分にとって収穫です。

第4章 「風が運ぶもの」
 競技生活の終わりが見えてきた今、これまで歩んできた道を振り返ると、様々な出来事が風のように過ぎ去り、私に多くのことを教えてくれました。時には順調に進むこともありましたが、困難や挫折も同じくらいの頻度で訪れました。それらの瞬間一つ一つが、私の成長の糧となり、今の自分を形作っています。
洛南高校に入学したとき、私は自分が「強くなるため」に競技に取り組んでいました。しかし、競技生活を通じて気づいたのは、強さとは単なる記録や成果だけではないということです。強さとは、結果が出なかった時にどう立ち直るか、挫折の中でどれだけ自分を信じ続けるか、そして周囲を尊重し、他者とともに成長する姿勢にもあるのだと学びました。
私にとって特に印象深い瞬間は、大学2年の早慶戦です。自分のために競技するだけでなく、チームのため、仲間のために全力を尽くしたこの試合は、今でも私にとって誇りであり、競技者としての原点に戻るきっかけでもありました。チームと一体となって勝利を掴む感覚は、個人競技である陸上においてもかけがえのない経験でした。
同時に、競技を続ける中で「消失感」とも向き合う時がありました。目標に向かって進んでいる最中に成果が出なかったとき、記録が停滞したとき、そのたびに自分に疑問を抱く瞬間がありました。しかし、風のようにやってくる不確実な結果に一喜一憂するのではなく、それを受け入れて自分のやるべきことに集中することで、徐々に心の強さが培われました。成績が伸びない時期でも、続けていれば風向きが変わる瞬間が必ず訪れるということを信じ、やり続けることの大切さを知ったのです。
競技生活を通して得たもう一つの教訓は、何事も一人では成し遂げられないということです。リーダーシップを発揮する中で、仲間の協力やサポートがなければ、どんなに強い意志を持っていても限界があることに気づきました。跳躍ブロック長やリクルート長として、自分だけでチームを引っ張るのではなく、周囲と一緒に成長することがいかに重要かを学びました。周囲に助けられながらも、同時に自分が他者に対してどれだけの影響を与えられるかを意識しながら、常に行動してきました。当たり前のことだけど競走部の檻に入って大きなことにチャレンジしたことで身をもって感じることができました。
これから競技を引退し、新しい人生のステージに進む中で、競技生活で学んだことをどう活かすかが問われるでしょう。私が学んだことは、風のように移り変わる状況の中でも、信念を持って進むことの大切さです。そして、周囲との協力と自己成長のバランスを取りながら、 大切なことに全力で取り組む覚悟を持ち続けることです。競技を通じて得たこの教訓は、これからの人生においても、私を支え続けてくれると信じています。
今後も風のように変化する状況に柔軟に対応しながら、私の歩みを続けていきたいと思います。競技生活を終えると同時に、私が残してきた「足跡」が、未来の後輩たちにとって少しでも役に立つことを願っています。そして、彼らがその足跡を新しいものへと塗り替え、さらに強い競走部を作り上げてくれることを期待しています。

ありがとうございました。


早慶戦勝利時の写真

いいなと思ったら応援しよう!