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『猪突猛進』 竹内 優太

こんにちは。
107代で主務補佐兼サポートブロック長を務めます、竹内優太です。

最近よく思うことがあります。「とうとう107代がやってきたか」です。時が過ぎるのが本当に早いとつくづく感じます。残り1年もない競走部生活ですが、残りの競走部生活をみんなと一緒に駆け抜ける上で僕がどんな人間かを知ってもらいたいと思うので、それについて書こうと思います。

拙い文章かつ自分語りのつまらないものになりますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。



1. はじめに

僕がどういう人かを知ってもらうために簡単な自己紹介をします。

小学校
都内の公立小学校に通っていました。習い事はサッカー、水泳、ピアノ、書道をやっていましたが、小学校3年の12月に父親の仕事の転勤でオーストラリアに住むことになりました。サッカーと水泳は向こうでも続けられましたが、ピアノと書道についてはオーストラリアに行くタイミングでやめました。今思えば、書道は難しいかもしれないけどピアノは続ければよかったとつくづく思います。何なら書道ももう少し続ければよかったと思います(字が下手なので)。

中学校
小学校に引き続きサッカーをやっていました。中1の頃に周りよりも早く成長期がきて、身長も伸びて体も大きくなっていって周りよりも足が速くなっていきました。これが陸上を始めたきっかけです。

オーストラリアのスポーツはシーズン制なので、ターム(学期)ごとに部活を変えることができます。そこでサッカーと陸上をメインでやっていく内に陸上1本に絞りました。中学2年の12月に日本に帰ることになり、地元の公立中学校に進学して、高校受験で慶應義塾高校に入学しました。


2. 自由の代償

塾高に入学してから競走部に入りました。同期には篠宮、おかむら、よしぱん、いっき、尼子、松尾がいました。彼らとは今年で6年目になります。彼らと会って6年もたったのかと思うと、時間が過ぎるのが本当にあっという間だなとつくづく感じます。

僕らの代の塾高競走部では顧問が練習メニューを立てるということはほとんどなく、基本的に自分たちで考えるか、大学生のコーチ(大学競走部ではない)に教えていただいて練習することが多かったです。文字通り、塾高競走部も自主性を重んじた部活でしたが、正直今となってはこの自主性がかえって仇になったと思います。

自由であるというのは同時に自分で責任を負うということでもあり、やり方によっては大きく成功することもあるし、失敗することもあります。振り返れば、大学受験によるストレスや時間の縛りがないからこそ、もっともっと陸上について追及できたし、篠宮や岡村、新井さん(当時の大学生コーチ)に頼ればよかったし、陸上以外にも他のことを学べばよかったと思います。塾高競走部では選手と兼任しながら副務をやっていましたが、その仕事も今と比べればそこまで大変でもなく、決められた仕事をただ忠実にこなすのではなく、塾高競走部が強くなるために何をすればいいのかを考えて実行するのに時間を使えばよかったと思います。

とにかく高校時代の僕はハングリー精神が欠けていて、悔いの残る3年間でした。


3. 価値


大学に進学して何をするか考えたとき、大学でも何かのスポーツに熱中して何か誇れる結果を出したいと思っていて、陸上かボートやヨットで迷った結果、結局陸上が好き、もっと競技力を追求したい、という思いが強く、競走部に入部しました。短短選手として入部したため、大学1年はとにかく競技に集中し、競技だけをやってきました。ですが、1年目のシーズンは全く結果が出ることなく終わりました。1年目のシーズンが終わってから、あることが頭によぎります。

“自分の価値とは何だろう?”

結構シリアスでネガティブな話になってしまいますが(ごめんなさい)、割と本気で考えていました。これを考えていくのと同時に入部面談で当時の短短ブロック長(大島さん)と主務(今西さん)から言われた言葉を思い出しました。それが「主務系」です。入部面談で「主務系」の話を言われてから、1年目のシーズン中は頭の片隅に入れてましたが、この頃から少しずつ本格的に考えるようになりました。競走部に入ってから、とにかく何か価値を出したい、競走部に貢献したいという思いはずっと持っていました。1年目のシーズン中は「競技力の低い自分がひとまず10秒台を出して、チームを勢いづけてやる」と思っていましたが、そもそも10秒で走る選手はいっぱいいるし、公式戦や日本選手権に出る選手もいる中、このままだと大した価値発揮ができないまま終わってしまうと思いました。

そこで高校の頃にもやっていた主務系を大学でも続けて、競技を続けながら部のマネジメントを行い、競走部に貢献したいと思い、2年の7月に副務に就任しました。あまり大きな声では言えないですが、正直2年生の頃の僕はとにかく価値発揮をして競走部に貢献することを考えていました。チームを強くする理由は“自分が強くしてやるんだ”というエゴがあって動いていたのかもしれません。競技をしているとき以外は主務系として動くことがほとんどで、とにかく猪突猛進スタイルでしたが、それゆえに仕事を一人で抱え込みすぎたりして、先輩方(特に恒さん)や同期、後輩にも迷惑をかけてしまったと思います。


4. 誰かのため

独りよがりになっていた僕にも転機が訪れました。東京六大学陸上の運営でキャパったことです。とにかく何でも自分で何とかしてやろうと思っていましたが、六大学は流石に無理でした。競技運営を統括するからこそ、初めてやること&知ることが多い、いろんな人に聞けば聞くほどやるべきタスクが増えていく、時間がどんどん過ぎていくという現状に対して限界を迎えました。大して得意なこともないのに、全部自分でやろうとするから当たり前です。そんな僕を見かねて、先輩方(特に恒さん)や同期がご飯に誘ってくれたり、話を聞いてくれたり、仕事を手伝ってもらったりとたくさん支えていただきました。それを糧にとにかく最後までやりきることを考えて、“猪突猛進”して、加賀見さんや同期の主務系とも最後までハードワークして、いろんな人の力もあって無事に国立競技場での開催が達成できたと思います。そこでようやく、

“自分じゃできないことがあってもみんなでやればできる”

と強く実感しました。当たり前ですが、これは競走部にも言えることです。一人じゃ達成できない目標も、皆で挑めば達成できます。関東インカレ8位入賞も対校戦優勝も、箱根本戦出場もまさにそれです。

今年の東京六大学陸上の運営を通して、皆の力のおかげで無事に開催できた嬉しさももちろんあったし、三輪が100mで優勝したこと、キム兄が塾記録を出したこと、そして何よりも選手・サポートのみんなが楽しんでくれたことが何よりも嬉しかったです。六大学を通して、“自分の価値発揮のため”ではなく、“感動を与えてくれる選手のため、支えてくれる人のため”に競走部に貢献すると決めました。競走部を強くするなら、自分だけで強くするのではなく、チーム全体で強くするのが一番確実ですから。


5. みんなで勝ちすゝむ


長く語りすぎましたが、最後に僕からは2つ伝えたいです。以前の全体集合でも話しましたが、結局この2つが僕にとっては一番重要だと思いますので、是非覚えてもらいたいです。

1つは“やるべきことに全力でやること“です。言い換えると、”猪突猛進“です。すでに何度か”猪突猛進“という言葉を使ってきましたが、僕を四字熟語で言い表すとしたらこの言葉になると思います。高校時代の後悔があったからこそ、こうやって競走部に夢中になって、競走部が勝つことを意識して動けていると思います。大学4年間はおそらく本当に短くてあっという間だと思うので、悔いのないようにやって競技を極めてほしいです。サポートのみんなも選手と一緒に戦っていくことを意識して、競技力向上のためにできることを悔いなくやってほしいです。競技以外にも係活動などを通して競走部が強くなるためにできることを全力でやってほしいです!

もう一つは仲間を大切にし、リスペクトし、団結することです。一人じゃできないこともみんなでやればできます。あと、仲間が与える影響は偉大です。陸上競技をチームでやっている意味の一つはそこにあると思います。六大学で周りの人の助けによって自分が支えられたように、自分のとった行動が誰かの支えになります。競走部が団結して、目標に向かって本気で突きすゝんでいくことで、真の意味で強くて良いチームになります。

今までお世話になった先輩方、スタッフの皆様、同期、後輩のためにも、自分は猪突猛進し、リスペクトし、107代を歴代最高の代にします。そして、ここまで成長させてくれたこの競走部に恩返しができるよう、より強いチームにしていきます。

残り1年間、よろしくお願いいたします。


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