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『為政清明』 山田 英志

まさか、11月19日に初ブログを載せることになるとは。なんといっても、本日は、藤さん爆誕の記念日です。誕生日おめでとうございます!!非常に光栄です。もう一人、今日が誕生日の人を存じていますが、おめでとう。元気でやってるかな。

さて、改めまして、107代副務を担っております、山田英志です。

このブログには、ざっくり言うと、今まで主務系としてやってきたこと、主務系愛、それと108代へ向けた言葉を連ねるつもりです。その他、皆の中での僕の不透明な点、僕の足りない点を少しでも補ってくれればいいなって、そんなものにもなればいいなって思います。
拙い言葉ですが、少しだけ、お付き合いいただけたら、と思います。


 

⒈ 競技について

まず、ご報告をさせて頂きます。競技に関して今後どうするか、箱根前くらいから考えていました。篠宮さん始め、いろいろな人に相談にのってもらって、決めました。山田英志、主務業に専念致します

まず、僕は今からやって、現実的に、関カレを切れるようになるのか、全カレで活躍できるようになるのかなぁって、考えました。自分のフィジカル力・ポテンシャルに加えて、今までやってなかったブランクも込みで、ほぼ不可能に近いかと。加えて、じゃあ自己ベスト更新を掲げて練習に参加したとして、その練習時間2時間を、部への貢献といった観点で、有効活用できているといえるか。その分主務業の方面のスキルアップに時間を充てた方が貢献になるだろう、と考えました。もちろん皆さんからの信頼は、得づらくなることは承知しています。入部当初の目標を捨てて、異なるフィールドに移る、しかも移る先が不透明な主務系。今まで以上に「?」と思われるのは、重々承知の上です。
この選択が、当代の為、108代の為、そして部の未来の為になるよう、努めます。数値化できない主務タスクですが、それらの先には、可視化できる、大きなことがあると思っています。早く競技を捨てたからには、未来のためになる大きな事を必ず成し遂げます。
そして、自分の入部当初の目標は、僕と合わない人は多いけど皆いい人で、競技的な期待値も高い108代短距離に託すとします。


⒉ 主務系のすゝめ

主務系に興味を持ったのは、去年のALLKEIO後だったと思います。それまで、主務系って漠然と大変な集団だなぁという、それだけの認識で、今皆さんの認識と同じようなものだと思います。きっかけは、どこかの全体集合で、確か藤さんだったと思いますが、話していたことがすごく核心的で、「なんでそんな視点を持てるの?!」と衝撃をうけた記憶があります(内容は忘れました)。それから、主務系って何やってんだろうって気になり始め、12月中、コンブさんとたまたま話した時に、興味ある旨を伝えました。

それが全ての始まりで、3月あたりから六大学の競技会準備に関して、竹内さんのお手伝いに入るようになりました。まずはエントリーリストをまとめる事、番組編成も、必要な物品の整理もしました。

その直後くらいに、主務系のトライアルが始まったイメージ。トライアルメンバー(108代)の人2人に、主務補佐が3人の誰か1人がメンターとして付いて、3人1チームでトライアルをやっていく。

ここからは正直時間の流れがあっという間で、気が付いたら副務お願いねって言われました。すごく印象深かったのは、お祭りと早慶戦ですかね。お祭りは、初めて自分が主務系っぽい仕事をしたイベントでした。誰に参加要請をする?そのフローは?当日の動きは?などなど、企画の係長と緻密な計画を立てました。日吉町内会とのやり取りも、町内会からの指示を受けるというもので、いかに慶應側の要求をのんでもらうか、といったTHE交渉!というものではなかったけれど、失礼のないようにすることに加えて、より好印象をもってもらえるよう、脳のコミュニケーションを司る部分をフルで使い倒したので、一回一回疲れました。

早慶戦は、終わってからが大変だった。そもそも午後開催だったので、夜遅くなっていたけれど、主務系はそこから記録申請をしなければならんのです。ちゃんと説明すると、大会には2種類、公認と非公認があって、公認の大会だと日本のランキングへの反映が必要なので、日本陸連などに「こんな記録でした!」って申請しなければならないのです。えぐいのが、公認大会の中で、早慶戦とか他大きな大会には、「この大会はレベルが高いから、出た記録はワールドランキングに反映させてほしい!」という申請が存在します。これがWRK申請です。このWRK公認大会の記録申請が、競技終了後24時間以内!これだから早慶戦の申請期限は翌日14時とかだった。全記録をCSVファイルにまとめて出したりするのに加えて、宛先が世界陸連なので、英語でメールを打たなければならなかった。僕のキャパシティを余裕で越えていて、すご…って思うと同時に、HEY,Men!!Passion Passion! と、もうすぐ日をまたぐくらいの夜更けなのにアホみたいにパッション叫んでた主務系は、やっぱり気狂い集団なんだなって再確認しました。ちなみに僕はもうこの気狂い集団に染まりました。人間やめました。

そんなこんなで副務になり、そうこうすると幹部になりました。章題にもあるように、主務系がなぜ好きなのか。

メンバーが個性的すぎる。これが答えの一つかもしれません。もちろんその仕事へのやりがいは多分にありますが、それ以上に、一緒に仕事していて楽しい先輩方の存在がかなり大きいです。同業者への愛を語ってこの章は終わります。

コンブさんはジェネラリスト。いろんなことが見えていて、一つは去年の六大学で会計担当だったのが関係していると思っています。会計は各部門でどのくらいの予算が必要になるのか、競技会のエントリー総額はいくらで、協賛はこのくらい見込めるから…と、だからこそ全体見えていないと成立しない。恒さんが言っていましたが、コンブさんは盛大なミスはあまりしない(らしい。確かに今のところ見たことない)ので、会計でもうまくやっていたのだとすると、準備期間のあまりに欠如していた六大でそんなクオリティは、人間超えている。
ちなみますが、各種公式戦後の処理で一番狂うのはこの方です。早慶戦の後、WHOOOOOO!!!!って真っ先に叫び始めたし、その叫びが二音なってハもり始めて、一人で合唱コンクールやってました。意味不明だと思いますが、こっちとしても意味わからないです。死ぬほど笑いました。

お竹氏ほどの努力家を知らない。多分主務系をほんとに好きなのだと思います。ずっと部室にいて何かはやっているし、自分の立場を理解してじゃあどう立ち回るか、をものすごく考えているイメージです。サポートブッロク長になられましたが、最強のブロック長になられるのではないでしょうか。
皆さんもわかると思いますが彼は、某アドバイザーの言葉を借りれば「おもちゃ」。あと、人間やめる?が今の彼の流行語で、壊れたテープレコーダーですかって位擦ります。僕の予想ですが、あと長くて2カ月くらいで飽きが来るとふんでます。あと、上の会議室では、時期に関わらず狂ってます。上の会議室には、竹内優太氏の脳狂わせる電磁波かなんかが流れているのでしょう。

藤さんは革新家。105代から幹部運営の経験値だけではなく、高校以前で培ったものがある。昨日の藤さんの幹部ブログ読んで納得しましたが、探求科だったって。こゆ人が組織とか世の中変えていくんだなぁって、いつも思いながら見てます。それくらい、少なくとも自分には持ってない角度の視点をお持ちです。そういう意味で革新家。
けっこうゆるゆるした方で、「なんでもいいよ~」が口癖な気がします。多分このテンションを勉学に発揮なさったのかと。でもいざやらなきゃいけないタスクを目の前にすると、スイッチ入ってガチくそ集中しだして、冗談通じなくなります。

加賀見さん。アドバイザーすぎる。上述のように、僕が加賀見さんはどんな人かを語るのはさすがに烏滸がましいので、控えます。めっちゃおもしろいです。
先日、10月頭に主務合宿を加賀見御殿でやりましたが、でっっかいテレビでクリスマスソングをBGMとして流していて、どうやらハロウィンがお嫌いのようです。いつしか僕もクリスマスの歌を聞きながら登校する人になっていました。

狂う3秒前のおたけ

               

⒊ 108代へ

明治維新に活躍した偉人。西郷隆盛と大久保利通。
この、西郷隆盛という男、いかほどな男かご存じだろうか。競走部でいったら、先代主務の恒さんみたいな。人を巻き込む力をすごく持っていた人で、だからこそ、明治六年の政変で政府追い出された時に、皆が「俺も」「俺も」つって鹿児島について行っちゃった。だし、鹿児島で乱を起こすときも、形勢が逆転して劣勢となってもなお、最後まで皆がついてきた。死んでからも、西郷人気が衰えず、歌舞伎俳優の初代市川團十郎が演じて一発あてたらしい。

この、大久保利通という男、いかほどな男かご存じだろうか。日本の発展のため、富国強兵をスローガンに、殖産興業をすすめた。各省庁を調整・創設し、また内務卿として国内の秩序を守りぬいた。その一方で、というか、そんな人だからこそ、自分にも他人にも厳しい人だった。佐賀の乱の首謀者である江藤新平の首を写メ撮って各都道府県庁に晒すよう命じたし、幼い頃からの友人である西郷が西南戦争を薩摩でおこした経緯というのは、大久保が士族を軽んじ、彼らを経済的・社会的に追い詰めた事に他ならなかった。前述のように西郷人気は凄まじかったから、当然、対照的に大久保は、憎まれ役を買う羽目になり、西郷の死から数年後、東京府紀尾井町で暗殺された。

敬天愛人を掲げ、天からも人から愛された西郷隆盛。
為政清明・堅忍不抜を掲げ、日本の為に尽力するも、多すぎるほどの国民から憎まれた大久保利通。

僕は西郷には、なれない。大久保なんだろうな。そう思います。

もちろん、大久保を自発的にめざす、要するに自ら嫌われに行くことはないし、西郷のように人望のある人になりたいと考えながら生きるけれど、時すでに遅し、のような気もしなくもない。

107代の幹部としても、もし108代の幹部に入ったとしても、変わらず僕は部の為だけを考えて、部にとって最善の策を考えます。僕がどうしたい、個人的にこうがいい、等といった文章を、意思決定の思考回路には使用しちゃならん、と思っています。その中で、僕の意思決定が「いやいやそれはやりすぎだよ」というものになってしまわないか。「これは反感買うよ」って意思決定を堂々と主張し始めないかどうか。もしそうなったら、皆で僕をとめてください。その他、なんでも言ってほしい。全ては、あと1年で始まる108代のため。よろしくお願いします。


⒋ 最後に

僕の評価が分かれているのは、承知しています。初めの方の競走部へのコミット度を振り返ったら、致し方なく、腑に落ちる。ただ、自分の主務系愛はそこそこ語ったつもりだし、このフィールドに骨を埋め、部への貢献度をマックスにまでもっていく覚悟はできています。

主務系の業務内容や、自分の具体的な目標、プランは、次の自分のブログに譲るとします。抽象的にいえば、競技の章でも触れましたが、目の前のタスクだけでなく、5年先・10年先の競走部のためになることを+αでやりたい。合宿所を建て替えたっていいし、北倉庫の問題を解決したっていい、トレ室を拡張したっていい。こう考えると主務系のタスクは無限で、でも自分の卒業までの時間は有限なわけで。優先順位を考えることを忘れないように。大久保の最期のような未練しかない終わりにならぬように。頑張ります。

見慣れた景色。案の定竹内氏死亡


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