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『野心』 山田 直弥

こんにちは。107代副務を務めさせていただきます。跳躍ブロック2年の山田直弥です。
最近トレーナーの松尾に「1年以上一緒にやってきたけど、直弥のまだ本質がつかめない」と言われてしまった(気がする)ので、自分を知ってもらうために、自分の高校までの人生を振り返るとともに、大事にしてきたことをここに書きたいと思います。



幼少期

この時期はとにかく1番になりたかったです。幼稚園には1番に行ったり、遊具の屋根の1番上に登ろうともしたり、またリレー競走では自分のチームが勝つまで駄々をこねたりしました。
(確か1回目、2回目はボロ負けして、3回目のリレーで勝ちました。)

(上段、左から3番目)

小学生に上がると、仲の良い友達の影響によりサッカーを始めました。
当時流行っていたイナズマイレブンの影響により、1番目立つ上にかっこいいGKをやりたかったのですが、じゃんけんで負けてやらせてもらえませんでした。
また周りがみんな上手い上、自主練もしなかったため、どんどん実力も離れていき、どんどんつまらなくなって2年生の冬に辞めました。
その後、走るのが速かったため、兄の友達に進められて、陸上クラブにはいりました。
これが陸上との初めての出会いです。
最初の3年間は、試合に出るごとにタイムは伸び、より東海大会にも出ることができて本当に楽しかったです。県内でもトップレベルだった2個上のお兄さんたちに追いつこうと思っていたら、どんなにキツイ練習でも普通にこなせました。
また6年生になると事情があってクラブを変えることになり、短距離に加えて、高跳びやジャベリックスローなどをやっていました。(十種のルーツはここにあるのかもしれません。)

(小6時 右上)


中学生時代

中学に入っても部活で陸上を続けました。ただし、この時期は、あまり陸上が楽しくなかったです。タイムは伸びたとはいえ、トップ層にはどんどんおいていかれたためです。
また、勉強においてもほどんどやる気がなく、テスト前に少し勉強するだけで後の時間はすべてポケモンに割いてました。
この時期を振り返ると、幼少期から引き続き、1番になりたいという気持ちはあったものの、行動に移すことはなかったため、何の結果も出ず、ただ口だけの人間でした。
親にも「口だけは達者」とよく言われていました。
要するにどうすれば、成功できるか、結果を出すことができるかということが全く分かっていなかったということです。

高校生時代

高校生時代の印象的な出来事は2つありました。
1つ目はお遍路です。高1の夏休みに僕は友達と一緒にロードバイクでお遍路をしました。(お遍路とは四国にある空海由来の寺88か所をまわることです。)
旅の行程は2週間にもおよび、合計1000㎞以上走りました。また学生のため、お金も無かったので、無料の善根宿(地元の人がお遍路をする人のために用意してくれる宿)やテントでの宿泊がメインでした。
これをやった理由としては、何か途方もないでかい壁を乗り越えたい、他人にはできない何かを成し遂げたいと考えていたためです。
途中で友達とペースに関して喧嘩したり、Googleマップに騙されて30km以上自転車に乗れないほどの急な山道を歩かされたりするなど散々なこともありましたが、地元の人がとてもやさしくしてくれたことやすべてを回り切った達成感などもあり、他人には真似できない自分たちだけの経験ができたと思います。
(ここでは書けない程色んなことがあったので、興味ある人は聞いてください。)

2つ目はコロナによる休校です。高2の4~6月の間コロナによって休校になりました。
世間一般的はマイナスなイベントですが、今自分がここにいるのは、コロナのおかげといえる程、自分にとってはプラスのイベントでした。
陸上においては、1人で競技場に行ってスタブロを蹴りまくったり、またYouTubeで陸上のことをたくさん調べたりしていました。それによって最初の大会では、追参で11秒2台な記録を出すことができ(高1でのPBは11秒8)、後の新人戦では一部の人間から幻だと言われる11秒38(PB)を出すなど、今までの自分では考えられないような結果を残すことができました。
また勉強においては、このころは勉強で「1番になりたい」「成長したい」と思い始めました。そして、学校がないこの時期を他人に差をつけるチャンスだと捉え、塾の自習室にずっと引きこもっていました。最初の数か月はやればやるほど、次々と結果がでたため、さらに勉強してました。その流れのまま、受験まで勉強し続けてました。また校内では、勉強で1番になれました。
高校生の時期には、これまで「1番になりたい」という気持ちだけだったものが、それを達成するための手段についても考えるようになり、いくつかの成功体験をおさめることができました。

(高1時 静岡国際にてスズキの原翔太選手と)


まとめ

読めばわかると思いますが、幼少期からずっと「1番になりたい」「何かを成し遂げたい」という野心をもってやってきました。これが今まで自分が大事にしてきたことであり、自分の核となる考えです。
今は競技面で結果を残すことができていないですが、この考えを無くすことなく、常に向上心持って選手としても主務系としても走り切りたいと思います。
拙い文章となってしまいましたが、読んでいただきありがとうございました。


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