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「答えのない問い」 (松木裕佳子 サポート・107代マネージャー長)

こんばんは、4年マネージャーの松木裕佳子です。

ついにみんなにリマインドをしていた私が書く番になりました。
例年、幹部が全体ラインに流してくれている印象がありますが、篠宮から声をかけてもらい、今年は私が送ることになりました。
ゆかこが毎日送る方が雰囲気的に引退感がある、と言われ、なんだか嬉しい気持ちです。笑

私は、チームにとってどんなマネージャーだったのでしょうか。

昨日、吉野に圧をかけられましたが、想像以上の長編作になりました。
私らしいということで、削るのは途中で諦めました。
感謝の部分を読んでいただければ十分です。
気になるとこだけ読んでね!


みんな違ってみんないい

競走部って色んな価値観の人がいますよね。
学連登録者は151人。こんなにいれば、みんな様々な信念がありますね。

何が正しいというわけではなく、こんなに価値観って様々なものなのか、と感じた4年間でした。

ですので、私が振りかざす価値観や正義感が正しいとは思っていません。
こんな価値観を持つ人もいるのだと、その程度で読んでもらえると嬉しいです。

それから、私は持つべき価値観が何かを問い続けたマネージャー生活でした。
自分の見てきた世界を信じすぎてしまうところがあるので、色々な部活が発信するモノを読みながら良い意味で競走部に染まりすぎないように、と心がけていました。(できていた気はしないけど)

以下、お気に入り3選。誰かに刺されば良いな。

https://kyoto-soccer.com/katsumaki/

競走部生活始まり

先日、よしぱんが途中入部について書いていましたね。
私は、さらにその後に入りました。まわりより半年近く遅れ、9月頭の入部でした。
たまに同期に、「あれ、そうだったっけ」って言われることがありますが、かなり嬉しいリアクションです。
「遅れて入ったこと」から醸成された劣等感に何度も苦しめられました。

高校時代から競走部マネージャーに興味を持ち、サポートOGの先輩に話を聞きに行ったり、入学当初も何度も見学に行ったりと、いかにも入りそうな新入生でしたが、最後の最後で勇気が出なくて、入部を断念しました。
残ったものは、競走部に所属していないのに、1春から月金全休の時間割でした。笑

断念した後も、みんなの結果が気になって仕方がない。
「いつもいいねしているよね」と先輩に認知してもらえるほど、Twitterを気にしていました。同期のインカレは、いつか役に立つかもしれないと、画面録画も撮っていました。笑

やっぱりマネージャーになりたい。

散々悩み、覚悟がかなり固まってきた頃、すずに「マネージャーやろうかな」と連絡したところ、「良いじゃん!!」と返事がきたので、勇気をもらってそのまま先輩に連絡しました。笑
たぶん後にも先にも「!!」が来たのは、このときだけです笑 すずありがと。

10年目だね。

それから、当時の主務の今西さんからの連絡がなければ、絶対に途中入部はしていなかったと思います。
親身に相談に乗ってくださり、断念した際も「いつでも待っています」と言ってくださいました。
きっと読むことはないかと思いますが、ありがとうございました。
おかげで充実した4年間を過ごすことができました。

当時、温子さんや同期をはじめとして、たくさん相談に乗ってくれた方々、温かく迎えてくださった方、皆様ありがとうございました。

アクセル全開!!

だいぶ長くなってしまいましたが、こうして競走部への入部を決めた私は、かなり覚悟ができていました。
両立に散々迷ったからには、競走部に全ての時間を捧げる覚悟はできていました。

そして、「マネージャーって役に立つ存在」だと思っていました。
だから入部したら、役に立てると思っていました。
今考えるとなんておこがましいのでしょう。

しかし、入部したての私は、本当に無力で、正直言って「役に立った」と思えた瞬間なんてありませんでした。

マネージャーとして成長したい。しなければいけない。
たくさんの人のおかげで、向上心をもって4年間駆け抜けることができました。

早く追いつきたい!

はやく先輩方のように、選手の役に立ちたい。
そればかり考えた下級生でした。
そして、どうしたら「同期である藤永に追いつけるのか」と考えていました。

私が入部した頃の藤永は、規模の大きい試合の経験も積み、先輩とも同期とも信頼関係を構築していました。
元の性格上、頭が良く無駄なく卒なくこなす彼。
私が入部して半年近く経っても、初めて出会ったときの藤永よりよっぽど未熟でした。

胸を張って「藤永の同期です」と言いたくて。
藤永から情報を共有したいと思ってもらえるような「価値のあるマネージャー」になりたくて。同期に信頼されたくて。

とにかく毎日必死でした。
ここまで必死になれたのは、親愛なる優秀な同期、そして追いつきたいと思えるような先輩方をもったおかげです。
本当に感謝しかありません。

そんな不器用な私が、行き着いた策は2つでした。

①先輩含め、他のマネージャーより選手と話すこと。
②全て記録に残すこと。

①先輩含め、他のマネージャーより選手と話すこと。

先輩と同じ時間だけ練習に帯同して、追いつけるはずがない。

そう思った結果、空きコマや昼休みは部室に行きました。
オフの日も部室に行きました。
SNSで誰かが走っていることを知れば、すぐに向かいました。

たくさんのタイムは読めないけど、多くの選手が同時に走ってきたら動画もパンクしちゃうけど、でもその時間だけは、自分のしたいサポートができている気がしました。

その時間に練習を見ていた高野さんや、だいたいいつ行ってもいるイベルをはじめとして、多くの人と話すことができました。

コミュニケーションをとれる部員が1人ずつ増えていくことは私の自信に繋がりました。

ちょっと言い合いもしたけど、藤永と語り合った日の夜。
もしかして私のこと!?と即座にスクショしてお気に入りに入れました。
並べたかな。
みんなとたくさん話したね。

②全て記録に残すこと。
私は飲み込みが悪いので、全てメモに残しました。
練習ノートには、毎日その日の練習帯同に点数をつけ、反省を綴っていました。
毎月目標をたて、達成度がどのくらいなのかを振り返りました。
選手との会話もなるべく残しました。

こうして1年生はあっという間に終わり、「試行錯誤して成長しました」と、言いたいところですが、大して成長はできませんでした。

時間を割いても、家でどれだけ頭を悩ませても、「早く成長しないと」という焦りから全てが空回りしている日々でした。

先輩からも叱られ、選手からもあまりよくないリアクションを感じ、謝ってばかりでした。
競技場のトイレで泣いているだけで練習が終わった日も、女子更衣室のシャワールームで皆が帰るまで泣いている日も、帰り道に泣いた日もありました。思い返すと泣いてばかりの日々でした。

他の人に話すと、「なんで辞めないの?」と言われそうなほど、自己嫌悪に陥り続けた日々でしたが、一度も「辞めたい」と思う日はありませんでした。

なぜなら、
競技場で動くサポート部員は皆かっこよかったから。
日々努力する選手に、どうしても報われて欲しかったから。

追いつきたいと思える先輩、そして心から役に立ちたいと思える選手のおかげで、「よりよいサポート」を求め続けることができました。

私の存在意義ってなに?①

だんだん、タイムや動画が人並みにとれるようになり、落ち着いて練習に参加できるようになりました。
少しずつ自分に自信もついてきました。
ただこれだけは、答えが出せませんでした。

「このチームにおける私の存在意義ってなんだろう」
マネージャーとして、活動する中で幾度となく考えたことです。

このチームでは、「どのように組織に貢献しますか?」とよく問われますよね
105代では特に問われたことが多かった記憶があります。

この問いって、チームの雰囲気として「公式戦に出場できず、点数として貢献できない選手の方々、あなた方はどのように組織の為に動きますか?」って聞こえるようなときがあります。
ただ、この話題があがるたびに、得点に貢献できないのはマネージャーである私も同じで、果たして私は貢献できているのだろうか、と考えさせられます。

マネージャーはタイムや動画をとって、大会の運営のためにも尽力してくれている。
だから、組織に貢献している。

そう思っている人もいるのかもしれません。だから、皆の前で対象外のような話しぶりをされるときがあるのかもしれません。

ただ、私は胸を張って「組織に貢献できています。私は組織に有益な存在です。」と言える自信はありませんでした。下級生の頃は特に。

だって、タイムやビデオって、誰でもとれるんですよね。
フィールドの撮影も誰でもできます。
運営だって、別にマネージャーにしかできないことはないです。
エントリーだって、選手自身でもできます。

トレーナーと違って、「マネージャーにしかできないこと」って存在しません。
この4年間で何度も「マネージャーは選手の技術向上には貢献できない」という意見を聞いてきましたが、否定できないと思います。

だからこそ、ビデオやタイムがとれるだけじゃダメで、なんとなく仕事ができるだけじゃダメで、「マネージャーに頼みたい」と思ってもらえるような価値のある仕事をしなければ、マネージャーが存在している意味がないと思っています。

下級生なんて特に、仲のいい選手に動画を頼んだ方が、頼みやすくて楽ですよね
上級生でもマネージャーにメニューを伝えるのが面倒だと言う人もいると思います。

それでも、すぐそこにいる選手に頼むより、「走りやすくて、正確なタイム」を取ってくれるとか、見やすい動画を撮ってくれるとか、マネージャーに頼む意義が発揮できる働きをしたくて。
「選手が頼りたいと思うマネージャー」になりたくて、模索した日々でした。

それこそが、「組織にとって、私が所属しているメリットがある」と思い、存在意義を見出したくて、もがいたのかもしれません。
その分、時に後悔するほど完璧を求めたこともありましたが、私らしいので悔いはありません。来世はもっとうまくやりたいな。

私の存在意義ってなに?②

先程は、マネージャーとして意義を求めました。
次に、欲張りな私は、「私」である意義を感じたいと思うようになってしまいました。

「この人に良い結果を見せたい」と思ってもらえるようなマネージャーになりたい。
「日々の練習を通して、選手の原動力の一端を担えるような、選手に活力を与えられるマネージャー」になりたい。
「【全体】マネージャーとして、ひとりでも多くの選手の力になりたい。」

はじめに、これを思った瞬間は、練習中にちせいが「りりこさんが引退する前にPBを見せたい」と言っていたときです。
この人に良い結果を見せたいから頑張りたい、そんな風に選手をモチベートできるマネージャーに憧れを抱きました。

次に改めて感じたのは、納会の時に鴨下が食堂の隅でりりこさんを見て泣いていたときです。
どちらの光景も今でもすごく鮮明に覚えていて、先輩が引退する不安と同時に、「私が支えたい」と強く感じさせられた経験でした。
他にもありますが、常に忘れられないのはこの2つです。

求められることを求めてはいけない。それはわかっています。
ただ、承認欲求の高い私は、誰かに求められていることを感じたくなってしまったんです。

その結果、「トレーナーになりたい」と思ってしまいました。
本当に何度も思いました。
それだけ、トレーナーはかっこよかったです。本当に。
誇れる同期トレーナーを持ったこと、本当に感謝でいっぱいです。

篠宮にライオンメダルをかけてもらったとき、1つ夢を叶えてもらいました。
本当にうれしかった。
ただ、それと同時に「吉野にメダルをかけたくて」と言って、日吉にメダルをもってきた篠宮を見て、吉野がうらやましかったんです。
私って本当に誰かの役に立ってるのかな。
選手が名指しでサポートを求める度に、毎度考えてしまいました。
そしてそんなことを考える自分が恥ずかしくて。みっともなくて。でも誰かの為になっているという自信が欲しくて。
「私ができること」をたくさん考えました。

1つ夢を叶えてくれました。

伝えたいこと

みんなに追いつきたくてもがいた下級生、誰かの特別になりたくてあがいた上級生、こんな4年間を過ごした私が感じたことをかければなと思います。
ここからは、サポートの理論なので、選手の皆さんは飛ばしてください!!!

ちゃんと飛ばしてね☺

1つ目

1人じゃ見れない景色を、自分にしか見れない景色を。

これは、昨年の新歓のビラに入れた文言です。
桝田咲さんと、翼と考えました。

サポートの皆さんは、何度も聞いたことがある言葉ですよね??
この言葉をどれくらい深く捉えていますか?

選手と同じ思いを共有できている「戦友」となったサポートこそが、自分にしか見れない景色を見ることができると思っています。

私は明確に選手と同じ思いを共有できていないと思った瞬間がありました。

それは初めての(大2)関東インカレのときです。
「神打開」と目標に掲げた梅沢さん。
3年間、予選を破れていなかった梅沢さんが、今年こそはと意気込んだレース。

私は梅沢さんの予選・準決勝のレースを今でも鮮明に覚えています。
予選を突破したとき、本当に嬉しくて嬉しくて、胸がいっぱいになりました。

そして迎えた準決勝。
500mを過ぎた頃、走りに疲れを感じた気がしました。「あ、厳しいかも」と不安になりました。そして、600mにさしかかったとき、ラストスパートをかけ、一気に前に詰めていきました。
結果としては、決勝進出は叶いませんでした。しかし、きっと私にとって一生忘れないレースで、4年生の意地を感じました。ただただかっこよかった。

その後、待機場所にいた私は戻ってきた梅沢さんに、笑顔で「お疲れさまです。」と声をかけてしまったんです。泣きはらした梅沢さんを見て、ただただ後悔しました。
選手と同じ思いを共有したい、と思っていた私は、同じ思いを共有できていなかったと痛感させられた瞬間でした。
あの瞬間、あの景色、あの感情を忘れた日はありません。

二度と選手にこんな思いはさせない、と、思いを共有できる戦友になると誓いました。

そしてもがき続けたこの4年間。
今は胸をはって「この選手のサポートは私にやらせてほしい」と言える選手ができました。
同じ瞬間に悔しいと感じ、同じ瞬間に喜びを爆発させられる選手がいます。

そして、私がサポートしたい、と思ったけどできなかった選手もいました。
共にその景色を見たいと思ったけど、その瞬間隣にいられなかった選手がいました。
サポートチームは、みんな常に選手のことを考えています。
チームで支えています。
だから、常に自分のいたい場所にいれるわけではないんです。
これは当たり前のことなので、自分が今いるべき場所はどこなのか、俯瞰して考えられるサポートでいてください。

でも、やっぱり今でもあのとき隣にいたかったな、と思ってしまいます。
試合の様子を直接見たかったと今でも思います。

私はそのとき待機場所にいましたが、私の私利私欲で観戦にいくのは違う。
チームで戦っているので、チームとして最大の価値を発揮するために、私は待機場所にいる必要がありました。
実際、何かあったわけじゃない。ただ、何かある可能性を考えてそこを離れるべきではなかった。見たい景色は見れなかったけど、悔いはありません。私のとった行動は正しかったと自信を持って言えます。

ただ、サポートのみんなには与えられた役目を当たり前だと思わないで欲しいんです。
選手と共にその景色が見れることも当たり前だと思わないでください。

選手に輝いて欲しくてサポートは日々、全力でサポートしています。
輝く姿は誰だって見たい。

だからこそ、その日選手に届けるサポートに関して、「絶対に誰よりもいいサポートを届けられた」と胸を張って言えるようなサポートをしてください。
そのために、できることをしてください。

選手がその試合にかけた熱量に負けない熱量で挑んでください。

こんなことを言う私にも、「あのとき私じゃない方がいいサポートを届けられた」と思う試合があります。きっとこの試合を一生引きずるでしょう。
こんな思いは、誰にもして欲しくないし、しないでいられるサポートチームでいてください。

新歓のビラには当たり前のように書きましたが、サポートになれば当たり前に経験できるものではありません。心から感じる悔しさもうれしさも、選手と分かち合えるサポートでいられるよう、日々精進してください。

選手と共に、自分1人じゃ辿り着けなかった輝かしい景色を見たとき。
一生何にもかえることのできない、他のどこでも味わうことのできない最高の気持ちを味わえると思います。

付き添いとして中から見たこの景色。
笑顔が見れただけで、その瞬間つらいこともやるべきことも全て吹っ飛びました。
ただただ幸せでした。

2つ目

友達を超えて友達以上


「選手と友達になるな」
4年間、何度も聞いてきた言葉です。
昨日、吉野もすずも言っていましたが、友達になってしまうと選手に厳しい意見を言えなくなってしまうから、友達だからと許してしまうから、友達になるべきでないと。

1年生の時は必死にこの言葉通りのサポートになろうと模索しました。
友達としてじゃないから、遊びに行ったり、ご飯に行ったり、何気ないテレビの話で距離を詰めるのは違う。競技について教えてもらって(選手にとってアウトプットする機会の創出)、私も議論できるような知識を身につけ、距離を深めるものだと考えました。

ただ、たわいもない話すらできないのに、深い話はできませんでした。
今振り返ると、「友達になろう!」くらいの感覚で、はじめは積極的にコミュニケーションをとるべきだったかもしれません。
特に、私の代は個人としてレベルの高い選手が多く、競技の話をする勇気すらなかなか湧かず、かなり萎縮していました。

別に後輩たちに、「友達になるな」論は反対です。というつもりは全くなく、この意識は今後のサポートチームにも持っていて欲しいです。
私たちは”お友達”でも”お世話係”でもなく、”戦友”です。

ただかたく考えすぎずに選手と接する時間も時には必要で、友達を飛び越えた友達以上はなかなか難しい、というのが私の経験談でした。
今、本音を言える選手がたくさんいますが、きっと友達を飛び越えたわけではなく、短期間で”ただの友達”という枠を脱出できたのだと思います。

友達だし、仲間だよ

そして、1つ後悔。
長距離部員とはもっと友達になりたかったな。
きっと厳しいことは真維が言ってくれるでしょう。
ほぼ同じタイミングで入部した同期唯一の女子マネージャー仲間として、色んな話をしてきましたが、共に頭を悩ませながら上を目指していけることはとても楽しかった。
真維を信頼しているからこそ、私は厳しいことを言わずに選手と友達になるという選択もよかったな、と。

やっぱ箱根悔しかったぁ。

これは、以下のブログを読んだとき改めて感じたことです。
よければ読んでね☺

長距離部員のことを知りたくて、真維と二人でEvernoteを開設して、日々の出来事を共有したり、質問し合ったりした期間がありました。長距離部員のことを知れるのは、新鮮ですごく嬉しかった。
また、選手皆と話す機会の創出として、部員全員分の誕生日をスケジュール帳に入れて話しかけた期間もありました。
島田だったかな?何度もおめでとうと言ったような記憶があります笑
最初は張り切って、たくさん声かけて、でも次第に続かなくてすぐ脱落しちゃいました笑

ALL KEIOで、1年生がみんなで準備している様子を見ると、こういう時間がチームの団結力を高めるのかも、と密かに思っています。
つらいときに助けてくれる仲間、自分の背中を押してくれる仲間を増やす機会だと思って、後輩の皆には積極的に取り組んで欲しいなと思います☺

3つ目

終わりよければすべてよし。なんてない

終わりよければすべてよしって言葉ありますよね。
この言葉、特にサポートには絶対に適用されないと思ってやってきました。
最後に輝いた選手、今年も多かったですね

最後に輝くサポート、かっこいいですか?
私はあまりそう思いません。
最後も輝くサポートはかっこいいけど、ALL KEIOでめちゃくちゃいいサポートができても、最後の全カレでいいサポートができても、それだけじゃマネージャーとしてあまり意味はないと思います。

1年生の頃から、私はずっと焦ってきました。
ほとんど空回りだったけど、今でも間違ってなかったなと思うこともあります。
サポートのみんなが抱える目標は、いつ達成したい目標ですか?

私がずっと掲げてきた目標は、引退の今達成したいんじゃなくて、掲げた瞬間から達成したいものでした。
1秒でも長く自分が掲げた目標を達成したマネージャーでありたかった。
だから早く成長したかった。そこに学年とか、入った時期なんて関係ない。
下級生だからわからない事もあると思いますが、貪欲に理想を掲げることは悪くないです。ぜひ貪欲さを忘れずに!

1番言いたいこと!!!!

@選手

とっても長くなりましたが、最後に皆への感謝。
これが1番言いたかったことです笑

周りに追いつきたいともがいた下級生、存在意義を見出したくてあがいた上級生、様々な感情が私の原動力となりましたが、これだけはどんなときだって1番の原動力だったこと。

やっぱり選手への尊敬(リスペクト!!)です。

以前、全体集合で話したこともありましたが、私は心の底から選手を尊敬しています。
何があっても4年間これだけは、失う日もわからなくなる日もありませんでした。

自身の競技に向き合って、プライベートも制限して、日々取り組む皆は本当にかっこよかった。皆を見ていると、「まっ、いっか」と普段なら思ってしまうことも、目的を持って妥協せずに取り組むことができました。
「まっ、いっか」をしない選手が強く、そんな選手がたくさんいたから。

様々な部活の人と話すことがありましたが、競走部の選手が誰よりも競技に真摯に向き合って日々取り組んでいる、と自信を持って言えます。
そんな選手の近くで支えられることは、「選手の隣にいてふさわしい存在でありたい」、「日本一のサポートを届けたい」、と、日々何度も何度も思わせてくれました。
先が見えない不安に駆られたときも、グラウンドに出て競技の話をして、練習を見て、みんなと過ごすと心を前向きにしてくれました。

みんなありがとう!
来年も試合を見に行くからね。活躍を楽しみにしているよ。
私は今後も東京にいると思うので、疲れたらいつでもご飯に行きましょう!

@サポートチーム

先輩、後輩、どの代も私にたくさんの刺激を与えてくれました。
視野を広げてくれました。
皆さんありがとうございました!!

@コーチの方々

どのコーチの方にも本当にお世話になりました。
選手と深い話ができない、と悩んでいたとき。
競技の事情を何も知らなかったとき。
コーチの目線を学びたかったとき。
慶應がファールばかりなのは、マネージャーのせいだ、と頭を抱えていたとき。

他にも様々な場面でコーチに相談し、助けていただきました。
そのたびにどの方も真摯に向き合ってくださり、様々な意見をくださいました。
私の視野を広げ、私の背中を教えてくださいました。

素敵なコーチの方々に出会うことができて、本当に幸せです。

これを持っていると幸せになれるらしい。佐藤先生にいただきました笑
棒高跳大好き!!!こういうときだいたい府中さんいない!!
たくさん教わり、数え切れないほど助けていただきました。本当に感謝しかありません。

写真がないですが、短い期間ながら石井さんにも大変お世話になりました。
そして、中島さん。たくさんのお菓子をありがとうございました!投擲は特にわからないことが多かったので、実践して教えていただき非常に為になりました。
最後に大江さん。
酷使させてしまう日々でしたが、たくさんの学びと、楽しい時間を過ごさせていただきました。慶應にここまでコミットしてくださり、本当にありがとうございました。

@監督陣

107代、スタートから困らせてしまうことが多かったかと思います。
パッション溢れる大人のありがたみを、もっと大人になってから改めて感謝をする日がくるのだろうな、と思っています笑
この1年、様々な事がありましたが、向き合い続けていただきありがとうございました。

@友達!!

絶対みんなここまで読んでないよね。
でもここに感謝を書きます。

予定を断ってばかりだったし、私のせいで日程が決まらないこともたくさんあったし、多くの人に迷惑をかけた4年間でしたが、常に応援してくれてありがとう!

特に体育会の人とは、部活のことたくさん話し合ったなぁ。
部外の人と話すのは心が整理されて、新しい価値観も見せてくれて、すごく助けられていました。
みんなが頑張っている姿も私のモチベーションの1つでした。
引退したら思いっきり遊ぼう!!

そして、友達兼應援指導部。
慶應の応援が1番でした。
指先まで力の入った動き、おなかの底から響かせた声、選手ではないという意味で同じ立場からしてたくさんの刺激をもらいました。
対校戦にきてくれたのも、行きたいっていってくれたのも実はすっごく嬉しかったです。
みんなありがとう。

改めて、ここに書いていない私と関わってくださった方々。
私たちが部活動に邁進できるよう支えてくださったOBOGの方々。
これまでありがとうございました。
この場を借りてお礼申し上げます。

4年間、全力で駆け抜け、絶対にここでしか経験できなかった思い出をたくさん作らせてもらいました!
みんなまたね!

P.S.三輪が昨年の卒部ムービーでRADWIMPSの「正解」を選んだセンスが大好きで、ブログのタイトルにしました。
後輩のみんな、選手もサポートも「答えのない問い」に頭を抱える日々だと思うけど、この貴重な時間を無駄にせず、全力で考え続けてね
きっとその先に素敵な未来が待ってるよ~~~💐




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