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『覚悟』 宗像 善大

みなさん、こんにちは。
 
107代副務を務めさせていただいております、短距離ブロック・商学部2年の宗像善大(むなかたよしひろ)と申します。
藤永さんは下の名前を一発で読まれたことはない、とおっしゃっていましたが、僕の場合は、名字も名前も一発で読まれることが稀のようです。
ちなみに宗像という名字は地元ではまあまあいます。中高、学年で他に1人はいました。
 
まずは簡単に自己紹介から。箇条書きにさせていただくと、

・福島県出身、出身高校は安積(あさか)高校(これも一発で読まれない模様)
・陸上を始めたのは小5で、今年で10年目
・上野さんと三輪さんに弟子入り中(自称?)
・部内での呼ばれ方は、名字と名前以外に、ジュニアとかコダック?とか 

↑ミスドに売っていたのを大越と仲良く食べました。
(なお、同期の松尾に共食いと言われる始末)


さて、幹部ブログ、最後を担当いたします。
 
…正直、荷が重いです。(笑)
 
何度も、書いては消し、書いては消しを繰り返して、どうにかして書き上げました。
拙い文章ですが、最後まで読んでいただけたら幸いです。
よろしくお願いいたします。
 
 



1.『人は夢を二度見る』

僕がここ5年くらいずっとドハマりしている、乃木坂46。
これはその乃木坂46の曲なのですが、競走部に入ってからの自分自身と重なるような曲で思い入れもあったので、ここでのタイトルにしました。
(PBを出した佐野スプリントの時、前日から当日までずっと聞いていました。)

https://youtu.be/DHea-Qcy9g0?si=IeJEEqLyiUP-T4aS より


まずここでは、競技者としての想いを綴らせていただきます。
 
前述のように、僕は陸上を始めて今年で10年目だったのですが、陸上を始めたその時から全国の舞台に立つことが夢でした。
というのも、僕には兄がいて、その兄が全国の舞台で戦う姿を幼い時から見ていたこともあってか、僕も同様に目指すべき場所だと思っていたのだと思います。
 
小6のころに県で3位になり、その時にかけられたメダルの重量感。
最後の大会、最後の組で、ただ一人12秒台で走って優勝した時の爽快感。
この時の感覚は今でも鮮明に覚えています。
このままいけば絶対に全国の舞台に立てる、と思っていました。
 
しかし期待とは裏腹に、全国の舞台はどんどんと遠ざかっていきました。
 
自分の可能性を信じられず、心のどこかで切れるわけないと思ってしまった全中標準。
口に出せるレベルですらなくなってしまったインターハイ。
いつの間にか、全国の舞台を目指す気持ちはどこかへ行ってしまっていました。
 
でも競走部に入って、もう一度、全国という舞台を夢見始めることができました。
 
こんな僕でも、全国に出たい、いや、全国で勝負したいという目標を掲げてもいいのだと。
むしろ、目指さなきゃダメだとまで言ってもらえるような環境、
そして競走部は、それを達成することが可能な環境であると思っています。
 
だからもしも一度諦めた何かがあるのなら、この歌詞のように問いかけたいです。
 
“夢をもう一度見ないか?
叶うわけがないと諦めたあの日の何かを…”

大学初PBを出せた慶大競技会。たくさんのおめでとうが非常に嬉しかったです。


2.「○○する選択」

ここからは、主務系に関して書きます。
 
僕は今年の6月から主務系トライアルというものに参加し、結果として107代の副務に任命していただき今に至ります。
主務系が何をしているのかは気になりましたが、正直、僕自身がやるという考えはそれまで全くなかったです。
トライアル期間の終わりごろに藤永さんと一度面談をしましたが、その時ですら僕自身の口から「副務やります」とははっきり言わなかったと思います。
競技に専念したいから主務系をしない、と言うことももちろんできたと思うし、むしろその方が前述した夢を達成できる可能性は高いと僕も思います。
ですが、主務系をやると決めたのには1つ理由があります。
 
それが、僕が初心表明の際に名前を挙げさせていただいた、憧れの105代主務・田村さんの引退ブログにあった、「やる選択とやらない選択」の話です。(どんな内容だったか、皆さん読み返してみてください。(田村さん、勝手に失礼します。))

たった1年前なのに自分がすごく幼く見えますね。年を取るのは怖い。

このブログの中の、“何かに悩んだとき「○○する選択」を選んでほしい”という言葉。
 
最終的に、副務をやってほしいという話をいただいた時に、この言葉が僕の決断を後押ししました。
競技で結果を出すこととの両立が僕にできるのか?という考えは当然頭をよぎりましたが、とにかく1回やってみればいいじゃないか、と思えました。
 
ですが正直、今はまだ目の前のことで手一杯です。
先輩方が“主務系”であるとするなら、僕はまだ“作業をしているだけの人”です。
でも、何事も経験でしか語りえない、成しえないと思うので、めげずに1歩1歩、着実に歩んでいき、主務系として多くの経験を積んでいこうと思います。
 
 

3.主務系史上最強の人間

最後に、
 “主務系史上最強の人間”
これは僕がマネブロで書いた意気込みです。
 
主務系と競技という2足の草鞋を“履きこなすこと”は容易ではないと思います。
ですが、それが可能であることを示すことは主務系のこれからにとっても1つ重要なことだと個人的に思っています。
 
できるかどうかは僕自身にもまだ、わかりません。
 
でも書いたからには強い覚悟を持って、精進していく所存です。
 
1年間、よろしくお願いいたします。


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